つてゐた。
「どうだい。よく燃えたもんぢやないか。」見物の一人が顧みて他の一人に云つた。
「うむ、何しろ乾いてると来た上、新校舎がペンキ塗りだらう。堪まりやしないよ。」と一人が答へた。
「またゝく間に本校舎の方へ移つたのだね。」
「うむ、あの六角塔だけは残して置きたかつた。」
「でも残り惜しさうに骸骨が残つてるぢやないか。」
かう云つて二人は再び残骸を見た。併しその顔には明かに興味だけしか動いてゐなかつた。私にはその無関心な態度が心から憎らしかつた。
他の一群では又こんな事を話し合つてゐた。そしてそこでは私は明かに父の噂を聞き知つた。
「何一つ出さなかつたつてね。」
「さうだとさ。御真影まで出《だ》せなかつたんだとよ。」
「宿直の人はどうしたんだらう。」
「それと気が附いて行かうとした時には、もう火が階段の処まで廻つてゐたんださうだ。」
「何しろ頓間《とんま》だね。」
「それでも校長先生が駆けつけて、火が廻つてる中へ飛び込んで出さうとしたけれども、皆んなでそれをとめたんだとさ。」
「ふうむ。」
「校長先生はまるで気狂ひのやうになつて、どうしても出すつて聞かなかつたが、たうとう押へられて了つたんだ。何しろ入れば死ぬに定まつてゐるからね。」
「併し御真影を燃やしちや校長の責任になるだらう。」
「さうかも知れないね。」
「一体命に代へても出さなくちやならないんぢや無いのか。」
「それはさうだ。」
私は聞耳を立てゝ一言も洩らすまいとした。併し会話はそれ以上進まなかつた。要するに彼等も亦《また》無関係の人であつたのである。が、彼等の間にも、御真影の焼失といふことが何かしらの問題になつてゐて、それが父にとつて重大なのだと云ふ事だけは感知された。
その中《うち》に群集の中に「校長先生が来た。校長先生だ。」と云ふ声が起つた。
其時、私は向うの煙りの中から、崩れた壁土を踏み乍ら、一人の役人と連れ立つて此方へやつてくる父の姿を見た。門のほとりにゐた群集は、自づと道を開いて二人の通路を作つた。平素《いつも》の威望《ゐぼう》と、蒼白な其時の父の顔の厳粛さが自《ひと》りでに群集の同情に訴へたのである。二人は歩き進んだ。そして、私ははつきり父の顔を見る事が出来た。広い薄あばたのある顔が或る陰鬱な白味を帯びて、充血した眼が寧ろ黒ずんだ光りを有《も》つてゐた。そして口の右方に心持皺を寄せ
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