ぢやないですか。僕には迚《とて》も正視する事が出来ない位ゐですね。」
 O君とS君とは、そんなやうな事を口々に云つた。
「君たちは揃ひも揃つて天保時代だね。一概にさう反感を以《もつ》て、あゝ云ふ世界を頭から拒絶して了《しま》ふのは、寧《むし》ろあゝ云ふものに敗ける事だよ。其《その》点では僕はもつと勇敢だ。僕は是《これ》からダンスを始めるよ。」
 それから半月ほど経つてからだつた。当時、家に居ると来客や雑用で、どうも原稿の書けなかつた私は、よく東京近郊の宿屋へ出かけて、其処で月々の仕事を片付ける事にした。そして其の一つの常用地として、長谷川|時雨《しぐれ》さんの妹さんがやつてゐる、鶴見《つるみ》の花香苑《はなかゑん》があつた。確か六月の事だつたが、いつもの通り其処へ出かけて行つてみると、生憎《あいにく》部屋が一ぱいだつた。で、平岡権《ひらをかごん》八|郎《らう》君との関係上少しは知つてゐる花月園の、ホテルの方へ暫《しば》らく滞在する事にした。
 花月園内には京浜第一の、大舞踏場がある事は、兼々《かね/″\》知つてゐた。そして其処では水曜と土曜と日曜とに、毎《いつ》もバンドが来て舞踏会が開
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