十五六の弟の少年が、一緒に踊つてゐるのを見ましたが、是もようござんしたよ。」
 谷崎潤一郎氏も、其の頃、一家連れでよくやつて来た。そして此の悪魔主義の作家が可愛い鮎子ちやんの手を取つて、室の隅つこの方で、鮎子ちやんよりもたど/\しいステツプを踏みながら、踊つてゐるのを見るのも、決して悪い感じではなかつた。
 それから矢張り横浜の或る医師のお嬢さんで、必ず両親の中の誰かに附き添われながら、踊りに来て居る人があつたが、父なる人が、娘の軽《かる》やかに踊るのを、――その人は大抵品のいゝ西洋人とばかり踊つてゐた。――さも嬉しそうに眺めて、一晩中|卓子《てーぶる》に坐つてゐるのも、決して悪い感じではなかつた。そして是からの人々は、決して社交ダンスと云ふものが、不良少年少女のものではない、生きた証拠のやうな気がするのだつた。
 世上には、ダンス流行の声が高い。が、事実はそれ程の事はない。常に同じ顔振れで、同じダンス場をぐる/\廻つてゐるに過ぎない。私の見る所では、此の広い京浜間でも、内外人取交ぜて五百人とは居ないやうな気がする。そして色々な非難もあらうが、谷崎君も嘗《か》つて云つた通り、明るく快活
前へ 次へ
全12ページ中11ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
久米 正雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング