な気持で、一|夕《せき》を過すと云ふ意味なら、もつと、寧ろ流行させたいやうな気がする。ダンスとプロレタリア! さう云ふ問題は、又|自《おのづか》ら別に存するだらう。が、ダンス其物が、必ずしもプロレタリアの思想と逆行するものでない事は、共産ロシアにもダンスが盛んでない事はないと云ふ一事で証明が付く。要は踊る『人』の問題だ。私は浅草あたりに、一つ民衆ダンス場を拵《こしら》へたいとさへ思ふ。ダンスは由来民衆的なものなのだから。……
茲《こゝ》に『私の社交ダンス』一篇を敢《あへ》て草する所以《ゆえん》である。
底本:「日本の名随筆 別巻96 大正」作品社
1999(平成11)年2月25日第1刷発行
底本の親本:「久米正雄全集 第十三巻」平凡社
1931(昭和6)年1月
入力:浦山敦子
校正:noriko saito
2007年8月11日作成
青空文庫作成ファイル:
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