久野は少しく浅ましいような思いで皆の飯を食うのを待っていた。二番を漕いでいる早川なぞは久野の目の前で何とか申しわけをいいながら七杯目の茶碗《ちゃわん》を下婢の前に出した。そしておまけに卵を五つ六つ牛鍋《ぎゅうなべ》の中に入れて食べた。しかしその無邪気な会話と獣性を帯びた食欲の裏に、一種妙な素朴な打ち融《と》けた心持が一座の中に流れているのを久野はすぐ感知した。
食後には皆が一間に集まって雑談した。女の人の話なんぞもかなり修飾のない程度で交《か》わされた。が主な話は遠漕中の失策とか、練習中の逸話とかであった。そしてその合間合間に「短艇《ボート》なぞは孫子の代までやらせるもんじゃない」とか、「もう死ぬまで櫂《オール》は握りたくない」とか言う冗談の下に、練習の苦痛が訴えられた。主将の窪田は黙って笑いながらそれを聴《き》いていた。そして自分も高等学校の時、練習の苦るしさに堪えかねて合宿を逃げ出したが中途でつかまった話なぞして聞かせた。「苦るしいけれども今に面白くなるよ」と彼の眼瞼《まぶた》を垂《た》れた黒光りのする面貌《めんぼう》が語っていた。
打ち見たところ、皆はすっかり融け合っているら
前へ
次へ
全36ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
久米 正雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング