お早いんですねえ」などと言っても見た。雨の日などにはその家の妓が五人ほど集まって、一緒に三味線のお浚《さら》いをし出した。雛妓《おしゃく》の黄色い声が聞えたり、踊る姿が磨硝子《すりガラス》を透《とお》して映ったりした。とうとうお終《しま》いには雛妓が合宿へ遊びに来るようになった。そいつが「書生さんて随分大口をきくわね」なんぞと大人びたことを言った。……何だかすべてが久野には妙な落着きがないちぐはぐ[#「ちぐはぐ」に傍点]な周囲であった。
 初め久野が合宿へ行った時、皆遠漕から前日に帰って、初めて練習を了《お》えたところであった。久野は皆の顔のひどく黒いのにびっくりした。あんな穏やかな初春の日光が、四日間照りつけたからと言って、こう黒くなるとは到底信じることが出来なかった。久野が入って行くとその六つの黒い顔が一様にこっちへ向いて、「いやあ」と言ったなり飯を食い初めた。窪田は遠漕の話をぼつぼつしながら、「何しろ四日間ずっと天気がよかったんだからなあ。春の方がずっと日に焼けるよ。一つには油断して日に顔を晒《さら》すせいもあるし、徐々と焦げて来るんですぐ脱《お》ちないせいもある」などと言った。
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