だ」
「じゃ十六日からでいいから出てくれ給え。そうすれば正味二十五日間の練習だよ」
「じゃ十五日までに書き上げられたら出るとしよう」
「よろしい。ありがとう。これでやっと安心した。では僕らは明日から四日間佐原まで遠漕に行って来るから、その間に君の方は書き上げ給え」
「よし、全速力で書いて見よう」
こんなことでとうとう久野は文科の舵手として競漕に出ることになった。
二
合宿所は言問《こととい》の近くの鳥金《とりきん》という料理屋の裏手にあった。道を隔てて前と横とが芸者屋であった。隣りには高い塀《へい》を隔てて瀟洒《しょうしゃ》たる二階屋の中に、お妾《めかけ》らしい女が住んでいた。朝などはその女が下婢《かひ》に何とか言いつけているきれいな声が洩《も》れたりした。しかし合宿所を引き上げるまで、とうとうその女は姿を見せないでしまった。芸者屋の方では、こっちが朝九時ごろ起きて二階の雨戸を開《あ》けでもすると、向うの二階で拭《ふ》き掃除《そうじ》をしていた女たちが、日を受けてるので眩《まぶ》しそうにこっちを見やりながら、微《かす》かな笑《え》みを送ったりした。稀《まれ》には「大変
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