か身が緊ったように感ぜられた。四時十五分前にはそこを出た。四時の定刻に繋留《けいりゅう》しないと競漕からオミットされるからである。土堤では観衆が一種の尊敬と好奇の念をもってこの樺色の衣服を着た選手たちに道をあけた。
 文科の短艇《ボート》が先に拍手に送られて台船を離れた。窪田らはいつもより緩やかな調子で漕ぎ出した。そして三十本ほど試漕をした。その時三番の水原がどうした加減か大きなスプラッシュを一つした。皆の顔にちょっとした陰影があらわれた。
「競漕になってからしないように今のうちさんざやっとくさ」と久野は咄嗟《とっさ》の間に悲観している水原を元気づけた。皆はも一度「やり直し」の気味で二十本ほど漕いで、審判艇の差し出す綱へ繋留した。つづいて農科の艇もつながれた。
 艇庫と土堤と応援船とから「文科あ! 農科あ! 樺あ! 紫い!」などと言う声が錯綜《さくそう》して起った。審判艇は二つの艇を曳いて発足点へ向った。漕手は皆艇の中へ寝ていた。久野は舵の綱をまさぐりながら、応援の声の多寡を聞き知ろうと思った。どうしても農科の応援の方が多いように思われた。洗い場の辺に久野の友人の松田と成沢が立っていた
前へ 次へ
全36ページ中28ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
久米 正雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング