漕ぎ出した。文科も予定通り五分の力漕まで漕ぎつけて、競漕の三日前からレースコースをやることになった。もうこう差し迫っては泣いても吠《ほ》えても追いつかない。そこで正々堂々と衆目環視の中に競漕水路を漕ぐのである。土堤《どて》の上では野次が寄ってたかった。敵味方の漕力を測ったり比較したりする。だんだんいわゆる土堤評というものが出来上ってくる。それが初めは農科必勝ということに傾いていた。ところが今になって見ると文科の選手もなかなか侮れないという風に形勢が変りかけている。
久野と窪田らは気が気でない。出来るだけうまく漕いで自分らにも自信をつけ、敵へのデモンストレーションをしようと思うからである。敵の漕いだ時間は土堤で先輩や応援の誰れ彼れが測ってくれている。その日文科では農科の漕いだあと十分ばかりしてから薄暮を縫うて漕いで見た。五分十五秒かかった。皆は思いのほかかかったのに落胆して、しおれながら艇を一番最後に艇庫へ入れた。そこへ岸にいた先輩や津島君なぞが喜色を湛《たた》えて入って来た。「大丈夫だ。もう勝った」と口々に言っている。聞けば農科の方がコンディションがいいにもかかわらず、五分二十秒以上
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