て来たので、何となく疎隔されてしまい、今では二人はまるで外出行《よそゆ》きの話しかしなくなってしまった。二人は出身地方の土語を用いて妙な蟠《わだかま》りのある話を始めた。それも、
「今年はいつもよりお寒うござす[#「ござす」に傍点]な」というような当り障《さわ》りのないことを言うのであった。そしてたまたま艇のことに及んでもお互いに冷たい好意で敵手のことを賞《ほ》め、わざとらしいまでに自分の方を謙遜《けんそん》した。彼らはお互いに自分の方を「駄目ですよ、僕の方こそ駄目ですよ」なぞと言い合った。こうしているうちには誰れでも敵味方で二三言は言葉を交した。そしてお互いに敵手が案外人の好いのに驚いた。敵愾心などというものは平凡な発見ではあるが、ある団体間の自欺的邪推であるということが個人個人にはわかった。物に感じやすい四番の斎藤なぞは漕いでしまってから向うの舵手に「御苦労でした」と言われて今までの敵意をすっかり「隅田川へ流してしまった」と自白したほどであった。
 しかし主将たる窪田らの心の中はこの間にも敵の船脚《ふなあし》や漕法に注意することを怠らなかった。彼は競漕の間に自分の艇へ来ている敵の中
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