た。
「なあにこれから三日目ごとに一分ずつ増して行けば競争までには楽に五分漕げることになるよ。三分どこが一番苦しいんだ。今の三分力漕を十分仕上げておけばあとの二分はその割に苦しくないもんだよ」と窪田は慰撫《いぶ》的に言った。皆の心には軽い奮励の心が湧《わ》いた。
農科の艇はその後も幾度か勝ち誇った自信の下に、文科の眼前を力漕して通った。しかしこっちではそれを見せつけられた日にはことに皆の練習に油が乗った。そしてこのごろでは勝負などはどうでもいいなどと思っている久野までかなり激烈な敵愾心《てきがいしん》に支配されるようになった。こっちの艇は農科の前では努めてわざと力を抜いた。それでも向うも眼を光らして見送ることはこっちと異りなかった。いい加減な自信がついた時、誰言うとなく「農科の前を精一杯うまく漕いで見せてやりたい」と言い出した。しかし窪田はそれをとめた。そして競漕の三日前になったら、思う存分彼らの前でデモンストレーションをするからと言って皆をなだめた。その時分やっと窪田の思い通りに漕法が固まりかけていた。
ある日こういうことがあった。文科の艇ではその日珍らしく弁当を持って上流の方へ
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