から受け取ると急いでそっちを見やった。「うん、農科だ、農科だ」艇の人たちは皆一様に刎《は》ね起きた。窪田はじっと望遠鏡に目をあてて見ていたが、「あ力漕をするぞ。久野君時計を見ていてくれ給え。そらいいかい。初めた! 一本二本三本……」と窪田は櫂数を数え初めた。農科の方では無心に力漕を続けている。こっちの七人は息をひそめてだんだん漕ぎ近づいて来る敵艇を見守った。やがて窪田が百本ほど数えると農科の艇は漕ぎやめた。まだこっちの艇までには十分距離があるので、向うではこっちに気がつかぬらしい。ようやく望遠鏡を離した窪田は久野に、「何分かかったい」と訊《き》いた。
「三分と十秒ほどだ」と久野はストップ・ウォッチを見ながら言った。
「ふん。すると彼らは百本の力漕を練習しているのだな。あのピッチじゃ一分間三十六本ぐらいだから」と窪田はまた艇内に寝転《ねころ》びながら、誰れに言うともなく言った。
「奴らのやり方は、どうだい」と久野は心配そうに訊《たず》ねた。
「大丈夫だよ」窪田は単純に答えた。
「だって僕らはやっと三分の力漕ができるだけなんだからなあ」と四番の斎藤が静かな奮励を含んだ口吻《こうふん》で言っ
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