高nt to the Encyclopae&dia Britannica, article Mortality, by Milne, Actuary to the Sun Life Assurance Society.〕 ここに挙げた五年間には何も顕著な伝染病はなく、また種痘は一八〇四年に開始された。
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年平均出生は、男子、五五、一一九、女子、五二、七六二、合計、一〇七、八八二、すなわち男子出生の男子人口に対する比率は、一対二八・三八、女子出生の女子人口に対する比率は、一対三一・九二、平均、一対三〇・一五である。
以上の資料に基づいてミルン氏の作成した貴重な表から見ると、一八〇五年に終る五年間スウェーデンを支配した死亡法則によれば、出生時の平均余命は、男子、三七・八二〇、女子、四一・〇一九、男女三九・三八五であり、そして男子の半数はほぼ四三歳まで、女子の半数はほとんど四八歳まで生存し、従って出生総数の半数は四五歳まで生存することとなるであろう。
出生率は一対三〇・一五、死亡率は一対四〇・九二であるから、年々の出生超過は人口に対して一対一一四・五となり、これは、それが持続すれば(第二篇第十一章末尾の第二表によれば)八〇年未満で人口を倍加せしめる増加率である。
『百科辞典評論』〔Revue Encyclope'dique〕 の一八二五年三月号には、一七四八年以降のスウェーデンの人口増加に関する調査委員会の調査結果につき短い報告が載っているが、それによって見ると、フィンランドを除くいわゆるスウェーデン本土の人口は、当時、一、七三六、四八三、一七七三年には、一、九五八、七九七、一七九八年には、二、三五二、二九八、一八二三年には、二、六八七、四五七人であることがわかる。一八二三年には、死亡は、五六、〇五四、出生は、九八、二五九である。従って、この年だけの出生超過は、四二、二〇五であり、そして翌一八二四年にも同一の超過が生ずるものと想定すれば、最近十五年間の平均年超過は、二三、三三三であろう。これは平均人口に対し一対一〇八の比率となるが、この超過が持続するならば、人口は約七五年で倍加するであろう。右の数字によれば、一八二三年の出生の人口に対する比率は一対二七・三、死亡は一対四七・九である。従って、この国の健康状態及び人口増加率は、一八〇五年以降引続き増進してきているのである。この増進は、農業及び産業の発達と種痘の実施とに、帰せられている。
前世紀(訳註――十八世紀)中葉以降の死亡率の漸減は、極めて顕著なるものがある。
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第三章 ロシアにおける人口に対する妨げについて
ロシアにおける出生、死亡、及び結婚の表は、極めて異常な結果を示しているので、たぶんの疑惑なしにこれを受取ることは出来ない。同時にこれを蒐集した規則的方法と、各年におけるその相互の一致は、注目に価《あたい》する。
一七六八年にB・F・ヘルマンがペテルスブルグ学士院に提出し、学士院新報第四巻に発表された論文には、帝国内の諸州や都市における出生、死亡、及び結婚の比較が行われ、そして次の比率が与えられている。
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ペテルスブルグにおける出生対埋葬……………一三対一〇
モスコウ県…………………………………………二一対一〇
モスコウ区(市を除く)…………………………二一対一〇
ツヴェール…………………………………………二六対一〇
ノヴゴロド…………………………………………二〇対一〇
プスコヴスク………………………………………二二対一〇
レザン………………………………………………二〇対一〇
ヴェロネッシュ……………………………………二九対一〇
ヴォログダ大僧正管区……………………………二三対一〇
コストロマ…………………………………………二〇対一〇
アルハンゲル………………………………………一三対一〇
トボルスク…………………………………………二一対一〇
トボルスク市………………………………………一三対一〇
レヴァル……………………………………………一一対一〇
ヴォログダ…………………………………………一二対一〇
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これらの比率の若干は、見られる如く非常に高い。例えばヴェロネッシュでは、出生が死亡に対してほとんど三対一であるが、これは思うに、かつてアメリカで知られた比率と同じくらいに高い比率である。しかしながら、これらの比率の平均的結果は、爾後の観察によってある程度確証されている。トゥック氏はその『ロシア帝国論』View of the Russian Empire において、全国を通じての出生の死亡に対する一般的比率をもって、二二五対一〇〇1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、すなわち二・四分の一対一であるとしている。この比率は一七九三年の表から得られたものである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。
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1)[#「1)」は縦中横] Vol. ii. b. iii. p. 162.
2)[#「2)」は縦中横] Id. p. 145.
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年結婚及び年出生から、ヘルマン氏は、次の結論を出している。
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ペテルスブルグにおける産児数……………………………四
モスコウ県…………………………………………………約三
ツヴェール……………………………………………………三
ノヴゴロド……………………………………………………三
プスコヴスク…………………………………………………三
レザン…………………………………………………………三
ヴェロネッシュ………………………………………………四
ヴォログダ……………………………………………………四
コストロマ……………………………………………………三
アルハンゲル…………………………………………………四
レヴァル………………………………………………………四
トボルスク県…………………………………………………四
トボルスク市(一七六八年―一七七八年)………………三
同 (一七七九年―一七八三年)………………五
同 (一七八三年)………………………………六
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ヘルマン氏は云う、ロシアにおける結婚の出産率は他国のそれを超過しないが、死亡率は遥かに少ないのであり、これは各県人口の概算から得られた次の比率の示すところである、と。
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ペテルスブルグの年死亡…………………………二八分の一
モスコウ県…………………………………………三二――一
モスコウ区…………………………………………七四――一
ツヴェール…………………………………………七五――一
ノヴゴロド…………………………………………六八・七分ノ六――一
プスコヴスク………………………………………七〇・五分ノ四――一
レザン………………………………………………五〇――一
ヴェロネッシュ……………………………………七九――一
ヴォログダ大僧正管区……………………………六五――一
コストロマ…………………………………………五九――一
アルハンゲル………………………………………二八・五分ノ三――一
レヴァル……………………………………………二九――一
トボルスク県………………………………………四四――一
トボルスク市………………………………………三二――一
同 (一七八三年)……………………二二・四分ノ一――一
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ロシアの諸州の大部分においては年死亡率は六〇分の一であると結論し得よう、とヘルマン氏は云っている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
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1)[#「1)」は縦中横] 〔Nova Acta Academiae&, tom. iv.〕
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この平均数は極めて高く、そして特定州の比率のあるものは極めて異常であるから、これを正確と信ずることは不可能である。しかしながら、それ以後の表は、トゥック氏によれば、全ロシアの一般死亡率を五八分の一としているから、これにより右の表はほぼ確証される1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。しかしトゥック氏自身は記録簿のうちのこの特殊部門の正確さを疑っているように思われる。そして私はその後、信ずべき筋から、死亡の脱漏はあらゆる州において出生の脱漏より遥かに大であり、従って出生の非常に大きな超過と、非常に小さな死亡率とは、単に外見に止って真実ではないと信ずべき理由のあることを聞いた。多くの子供が、特にウクライナでは、僧侶に届出でずに、その父親によってひそかに埋葬されるという。多数の補充兵の招集がたびたび行われて、多数の人民を連れていくが、その死亡は記録されない。帝国の各地方に一家を挙げて移住するものが頻々とあり、またシベリアに罪人を送るので、旅行中に死んだり、正規の記録のおいてない所で死んだりするものが、必ず多いに違いない。またある脱漏は、出生を登録することには興味をもつが死亡を登録することには興味をもたぬ教区僧侶の怠慢に帰せられている。
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1)[#「1)」は縦中横] View of the Russian Empire, vol. ii. b. iii. p. 148.
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私はなお、これらの理由に加うるに、各州の人口はおそらく、そこにある各所領に属する隷農の数によって推定されているらしいという事実をもってしたい。しかし彼ら隷農の大部分が都市に移住する許可を有っていることは、周知の事実である。従って彼らの出生は地方に現われるが、死亡はそうはならない。都市の外見的死亡率はこの移住に比例しては増加しないが、けだしそれは現住人口調査に従って計算されるからである。都市の死亡表は、正確に、これら都市に現住する一定数の中での死亡数を示すけれども、しかし地方の死亡表は、その州の推定人口の中での死亡数を示すことになっているのであって、実際は、推定人口のかなりの部分は現住していないのであるから、これよりも遥かに小さな人口の中での死亡数を示すに過ぎないのである。
ペテルスブルグでは、一七八四年の調査によれば、男子の数は一二六、八二七、女子の数はわずかに六五、六一九であることがわかった1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。従って男子の比率はほぼ二倍であるが、これは家族を田舎に残して都市に人頭税を稼ぎに来る者が多いのと、貴族の間に、莫大な数に上るその隷農を、ペテルスブルグやモスコウに家僕として留めておく習慣があるのとによって、生じたものである。
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1)[#「1)」は縦中横] 〔Me'moire par W. L. Krafft, Nova Acta Academiae&, tom. iv.〕
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ロシアにおける出生数の全人口に対する比率は約二六分の一であって、他国の一般平均と異ならない1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
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1)[#「1)」は縦中横] Tooke's View of the Russ. Emp. vol. ii. b. iii. p. 147.
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前に引用したヘルマン氏の論文によると、満一年以内に死亡する男児の比率は、ペテルスブルグでは五分の一、トボルスク県では十分の一、トボルスク市では三分の一、ヴォログダ大僧正管区では一四分の一、ノヴゴロドでは三一分の一、ヴェロネッシュでは二四分の一、アルハンゲルでは五分の一である。これらの州のあるものでは幼児の死亡率は小であるが、特に計算に大きな誤りがあるようには思われないから、一般死亡率は小であると信じてよかろう。スウェーデンでは、全国を通じて、満一年以内に死亡する幼児の比率は、五分の一またはそれ以上である1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
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