人口論
AN ESSAY ON THE PRINCIPLE OF POPULATION
第二篇 近代ヨオロッパ諸国における人口に対する妨げについて
トマス・ロバト・マルサス Thomas Robert Malthus
吉田秀夫訳
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)吾々《われわれ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一|封度《ポンド》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「口+馬」、第3水準1−15−14]
〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)〔Thaarup's Statistik der Da:nischen Monarchie, vol. ii. p. 4.〕
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
http://aozora.gr.jp/accent_separation.html
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第一章 ノルウェイにおける人口に対する妨げについて
現代ヨオロッパ諸国を概観するに当って、吾々《われわれ》の研究の助けとなるものは、出生、死亡、及び結婚の記録簿であるが、それは完全で正確ならば、一般に行われている人口に対する妨げが積極的妨げであるか予防的妨げであるかを、ある程度正確に、吾々に指示するものである。たいていのヨオロッパ諸国民の習慣は、もちろん、彼らの境遇が近似しているために、おおむね似ており、従って彼らの右の記録簿も時に同一の結果を示すものと期待してよい。しかしながら、この時折りの一致に余りに頼りすぎたために、政治算数家は、概言して、あらゆる国には不変的死亡秩序がある、と想像するの誤謬に、陥ったのである。しかし事実はこれと反対に、この秩序にはありとあらゆる差別があるのであり、すなわち同一国内でも場所を異にすれば大いに異り、またある限度内では、人間の力で変化せしめ得る事情に依存するものなることが、わかるのである。
ノルウェイは、前世紀のほとんど全期に亙って、不思議に戦争による人口の減少を免れた。気候は驚くべきほどに伝染病を受けつけず、そして平年には、死亡率は、記録簿が正確だと認められるヨオロッパの他のいかなる国よりも、小である1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。全国を通じて平均すれば、全人口に対する年死亡の比率は、わずかに四八対一に過ぎない2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。それにもかかわらず、ノルウェイの人口は、決して著しく急速には増加していないように思われる。それは、最近十年ないし十五年間、増加し始めている。しかし、それまではその増加は極めて緩慢であったに違いない、けだしこの国が開けたのは極めて早いことであり、しかも一七六九年にその人口はわずか七二三、一四一なのであるから3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。
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1)[#「1)」は縦中横] ロシアの記録簿はもっと低い死亡率を示しているが、しかしそれには欠陥があると思われている。しかしながら英蘭《イングランド》及びウェイルズでは、一八二〇年をもって終る十年間には、死亡率はノルウェイよりも更に低かった。(訳註――『しかしながら』以下は第六版のみに現わる。)
2)[#「2)」は縦中横] 〔Thaarup's Statistik der Da:nischen Monarchie, vol. ii. p. 4.〕
3)[#「3)」は縦中横] Id. table ii. p. 5.
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その国内経済に関する検討に立入るに先立って、吾々は、この国の人口に対する積極的妨げは極めて小であったのであるから、予防的妨げはそれに比例して大であったに違いない、と信ぜざるを得ず、従って吾々は記録簿から、全人口に対する年結婚の比率が、一三〇対一であり1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、これはスイスを除くいかなる国の記録簿に現われているものよりも小なる結婚比率であることを、見出すのである。
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1)[#「1)」は縦中横] Id. p. 4. 年結婚の総人口に対する比率は、全く正確なものというわけではないが、予防的妨げの作用の最も明瞭な基準の一つである。概言すれば、予防的妨げはこの基準から推測し得るよりも大きい。けだし結婚率の低いヨオロッパの健康国においては、かかる結婚の時期に達している年長者の数はより[#「より」に傍点]多いけれども、これは青春期未満のものの比率がより[#「より」に傍点]低い事実によって相殺されて余りあろうからである。ノルウェイの如き国においては、二〇歳ないし五〇歳のもの、換言すれば最も結婚しそうな年齢にあるものは、総人口に対し、他のたいていのヨオロッパ諸国よりも大きな比率を示す。従ってノルウェイの実際の結婚率は、他の諸国のそれに比較して、予防的妨げの作用している全範囲を表わしはしないであろう。(訳註――この註における文章の部分、すなわち『年結婚の』以下は、すべて第四版より現わる。)
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結婚数がかくの如く少ない原因の一つは、最近数年前まで行われていた兵士徴募方法である。デンマアク及びノルウェイでは、農民または労働者に生れた一切の男子は兵士となる1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。以前には地区司令官はかかる農民を年齢を問わず望むがままに徴集することが出来た。そして彼は一般に、二十五歳以下のものより二十五歳ないし三十歳のものを選んだのである。軍務にとられた後は、男子は、妻と家族とを養うに足る資のあることを証明した、教区牧師の署名のある、証明書を提出しなければ、結婚することが出来ず、またその場合でも、その上に士官の許可を得ることが必要であった。この証明書と許可を得るのが困難であり、また時には費用がかかるので、非常に境遇のよいわけはないものは、十年という服務期が切れるまで、一般に結婚のことを考えるのを思い止《とどま》ったのである。そして三十六歳以下のものは何歳であろうとも兵役に入れることが出来、また士官はとかく最年長者を第一にとるので、人々が自由に身を固め得ると考え得るようになるのはしばしば晩年のことであったであろう。
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1)[#「1)」は縦中横] ノルウェイに関して私が述べる若干の詳細は、私が一七九九年同国に夏期旅行を試みた際に蒐集したものである。
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教区牧師は軍役にないものが結婚するのを妨げる法的権力はもたなかったけれども、しかもこの種の裁断権はある程度習慣によって認められ、そして僧侶はしばしば、当事者が家族を養う資力がなさそうに思われる時には、彼らが結婚するのを拒絶したのである。
しかしながら、この種のあらゆる障害は、法律に発するものであろうと習慣に発するものであろうと、今では全然除かれてしまった。何歳であろうと結婚は全く自由であり、司令官の認可も僧侶の認可もいらない。そして兵役徴集においてはすべての二十歳のものをまずとり、次いですべての二十二歳のものをとる、という風に必要な数が得られるまでこのようにして行われるのである。
士官は一般にこの改正に不賛成である。彼らは、ノルウェイの青年は、二十歳では、体力も十分に発達せず、立派な兵士となることは出来ない、と云っている。そして多くの人は、農民は今や早婚に奔《はし》り過ぎ、またこの国が養い得る以上の子供が生れるであろう、と云っている。
しかし、兵役編入に関するあらゆる規定を別としても、ノルウェイの特殊事情は、早婚に対する非常に強い障害をなすものである。国内の過剰人口を吸収すべき大工業都市はなく、また各村落も当然に自ら需要以上の人手を供給するから、仕事を求めて場所をかえてみても滅多に成功しそうもない。従って外国移民の機会がない限り、ノルウェイの農民は一般に生れた村に留っている。そして、死亡率が低いので家屋と職業のあきはなかなかに出来ないから、農民はしばしば、家族を養い得る地位を獲得し得るまでには、長期間待つのを余儀なくされるであろう。
一般にノルウェイの農場には、その大きさに比例して一定の数の既婚労働者が用いられており、それは家人《ハウスマン》と呼ばれている。彼らは農業者から、家屋と、ほぼ一家を支えるに足る土地を受け、これに対して、何時《なんどき》なりとも要求された場合に安い一定の価格で働らく義務を負うている。都市のすぐ近くと海岸地方とを除けば、この種の地位の空くのが、家族を養う唯一の機会である。人口が少なく、仕事の種類が少ないので、この問題は誰の眼にもはっきりとわかる。従って彼は、かかる空席が生ずるまでは、結婚の志向を抑えるの絶対に必要なることを感ぜざるを得ない。材料が十分にあるので自分の家を建てたいと思っても、農業者が既に十分な労働者を持っている場合には、農業者がそれに適当な土地を与えようとは期待し得ない。そして彼は夏の三、四箇月の間は一般に仕事を見出すことが出来ようが、丸一年間家族を養うほどの稼ぎをする機会はほとんどなかろう。おそらく教区牧師が結婚拒絶権を行使したのは、彼らが待ち切れないで自ら家を建て、または建てようと企て、そして彼らの稼ぎを当てにするという場合であろう。
従って、若い男女は、家人《ハウスマン》の地位が空くまでは、未婚の使用人として農業者の許に止まらざるを得ない。しかもこれら未婚の使用人は、あらゆる農場やあらゆる紳士の家庭で仕事に必要なよりも遥かに大きな比例をなしている。ノルウェイではほとんど分業が行われていない。家内経済の必要品のほとんど全部は、各自の家計で供給される。啻《ただ》に醸造、パン焼、洗濯の如き普通の仕事が家庭で行われるばかりでなく、多くの家庭は自分自身のチイズやバタを作りまたは仕入れ自分自身の牛肉や羊肉を屠殺し、自分自身の雑貨を仕入れる。そして農業者や地方人は一般に、自分自身の亜麻や羊毛を紡ぎ、自分自身のリンネルや毛織布を織る。クリスチアニアやドロンタイムのような大都市にも、市場と呼ばるべきものは何もない。一片の鮮肉を得るのさえ極めて困難であり、盛夏の候でさえ一|封度《ポンド》の新鮮なバタはなかなか買えるものではない。一年のある季節に大市が開かれ、保存のきく一切の食料品はこうした時に買込まれる。そしてもしこの注意を怠ると、ほとんど何物も小売では買えないから、非常な不便を蒙ることになる。一時的に田舎に住居を構える者や農場を有《も》たぬ小商人は、非常にこの不便を喞《かこ》ち、また大きな地所を有つ商人の妻達は、ノルウェイの家族の家内経済は、あまり広汎複雑なので、それに必要な監督をするだけで注意が全部占められて、他を顧みる余裕はない、と云っている。
この種の制度が多数の使用人を必要とするに違いないことは明かである。その上、彼らはそれほど勤勉でもなく、同じ仕事をするのに他国よりも多くの人が必要であると云われている。その結果として、どんなところでも、使用人の比例は英国の二、三倍である。そして、田舎の農業者は、外見ではその使用人のどれとも区別がつかないのに、時として自己の家族を含めて二十人もの世帯を有つことがある。
従って生活資料が制限されていることは、未婚者よりも既婚者の方が遥かにひどい。そしてかかる事情の下では、商業資本の増加または農場の分割と改良によってより[#「より」に傍点]多量の仕事が既婚労働者に与えられるまでは、下層階級は大いに増加することは出来ない。もっと人口の多い国では、この問題は常に曖昧にされてしまっている。各人は当然に、その隣人と同様な就職の機会があると考え、もしある場所でしくじっても他の場所で成功出来ると考える。従って彼は結婚をし、僥倖をあてにする。そしてその結果はほとんど常に、かくの如くして作り出された過剰人口は貧困と疾病という積極的妨げによって抑圧される、ということになるのである。ノルウェイにおいてはこの問
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