題はこういう風に曖昧にされない。労働に対する需要の増加が支持し得べき家族数の増加はより[#「より」に傍点]明瞭にわかる。人口は少ないので、都市においても、この問題に関して大きな誤謬に陥ることはない。そして田舎では、地所の分割や改良、及び家人《ハウスマン》の地位の増加は、誰にもはっきりわかることでなければならぬ。この地位を獲得し得るならば結婚して家族を養い得ようが、それが出来ないならば独身を続けることになる。かくして過剰人口は、生じて後に滅ぼされることなく、未然に防止されるのである。
 上述の如き社会状態によって人口に対する予防的妨げが一般に普及し、また軍役参加のために早婚が妨げられるので、このことは、ノルウェイの下層階級のものの境遇を、土壌や気候の性質から想像し得るよりも良くする上に、大いに与《あずか》って力あることは、疑い得ない。漁撈により相当の食物の供給を得る望があるために予防的妨げが同じ程度には行われていない海岸地方では、人民は非常に貧しく困窮しており、奥地の小農よりも比較にならぬほど劣悪な状態にある。
 ノルウェイの土地の最大部分は全く穀物が出来ず、気候は極めて急激致命的に変化する。八月の終り頃には特に鉄夜《アイアンナイト》とよばれる三夜があるが、その名はそれにより往々にして大豊作の見込を無にしてしまうところから出たものである。かかる場合には下層階級は必然的に困窮するが、しかしいずれも家畜を飼っているところの前述の家人《ハウスマン》を除けば、独立の労働者はほとんどいないのであるから、松の内皮をパンに混入しなければならぬというほどの困窮も、一般に冬の食料として蓄えることの出来るチイズや、塩バタや、塩肉や、塩魚や、ベイコンによって、緩和されるのである。穀物の不足によりもっとも困窮する時期は、一般に、収穫前の約二箇月である。そしてこの時には、極貧の家人《ハウスマン》でも一般に二、三頭は有ち多くの者は五、六頭を有っている牝牛は、乳が出始めるので、家族には、特に子供達には、大いに助けになるはずである。一七九九年の夏、ノルウェイ人の顔には豊饒と満足の色が浮んでいたが、その隣国のスウェーデン人は絶対的飢餓に悩んでいた。そして家人《ハウスマン》の息子や農業者の男児が、英蘭《イングランド》の同じ年齢、類似の境遇の男児よりも、よくふとっており、脚も発達していたことが、特に私の注意を惹いた。
 ノルウェイの死亡率がかくも少ないのは、何か特有な空気の健康性によると同様に、人口に対する予防的妨げの普及によるものなることもまた、疑いはなく、気候や土地が住民の一般的健康に非常に有利だと想像せしめるものは何もない。しかしあらゆる国において、主たる死亡は極めて幼い小児の間に生ずるのであるから、気候が等しく健康的であると仮定しても、ノルウェイでは他国よりも全人口に比して極めて幼い小児の数が少ないので、当然に死亡率が小さくなるのである。
 ノルウェイの死亡率が低い主たる理由の一つは、都市が小さくかつその数が少なく、そして不健康な工場に雇われているものがほとんどないことだ、とおそらく云われるであろうが、これはもっともなことである。他の国の農村の多くでは、人口に対する予防的妨げは同じ程度には行われていないが、死亡率はノルウェイと同じほど小である。しかしこの場合に計算は特定の村に限られるのに、他方ノルウェイの場合は四十八分の一という数字は全国に関するものであることを、忘れてはならない。これら村落の過剰人口は絶えざる都市移住によって処分され、また教区で生れたものの大部分の死亡は記録簿には現われない。しかしノルウェイでは、すべての死亡は計算に入ってき、そしてこの国が養い得る以上に生れる場合には、何らかの形で大きな死亡率が生じなければならないことは、明かである。人は疾病によって殺されなければ、飢餓によって殺されるであろう。従って大きな外国への移民がなく、国の資源が著しく増加するということがなければ、ノルウェイでは、いかに空気が清浄であろうとも、またその国民の職業がいかに健康的であろうとも、人口に対する予防的妨げの普及の拡大以外には、他国以下の死亡率を生ぜしめるものはあり得ないのである。
 ノルウェイは古来、ゴオルスと呼ばれる大きな地所または農場に分たれていたようである。そして相続法によればすべての兄弟は財産を平等に分割するのであるから、これらの地所はますます再分されなかったのは、驚くべきことであり、また人口がこれまでいかに遅々たる増加しかしなかったかを示す証拠である。現在はそれらの多くはなるほど半ゴオルス、四分の一ゴオルス、またはそれ以下に分割されている。しかし従来一般に、父親が死亡した場合、委員は地所の価値を低い率で評価する習慣があり、そしてもし長男がこの評価に従ってその地所を抵当に入れまたは他の方法により弟や姉妹1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]の分け前を支払うことが出来る場合には、その全部が長男に与えられるのである。そして習慣の力と生来の怠惰とのために、多くの場合長男は、その農場を先祖代々のやり方に倣って経営し、改良の努力はほとんどまたは全く払われないのである。
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 1)[#「1)」は縦中横] 娘の分け前は息子の分け前の半分である。
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 ノルウェイにおける農場の改良に対するもう一つの大きな障害は、オーデル権と称せられる法律であり、この法律によって直系の子孫は誰でも、この家族から売り渡された地所を、その際の買値を支払って買戻すことが出来るのである。以前には直系子孫と同じく傍系子孫もこの権利を有ち、そして期限は絶対になかったので、買手はいつ請求されるかわからないという状態にあった。その後期限は二十年に制限され、一七七一年には更に十年に制限され、また一切の傍系子孫は除外された。しかしながらそれは十年間の連続所有でなければならない。けだしもし、この期限満了前に、法律上の請求権者が、所有者に対して、自己の請求権を抛棄しないことを通告するならば、彼がその時に買戻し得る境遇にいなくとも、所有者は更に六年間待たなければその所有を保証されないのであるから。そしてその上、直系の長男は、弟の買戻した土地を更に請求出来るのであるから、この法律は、現在の改訂された状態でもなお、改良に対する非常に大きな障害と考えなければならぬのであり、そして昔の状態では、期限に限りはなく、そしてこうした地所の売買がもっと頻繁に行われたのであるから、この法律は、あたかも農場の改良に対する最も完全な障害たるに相違なく思われ、また明かにノルウェイの人口増加が幾世紀にも亙って著しく緩慢であった事実を説明するものである。
 土地の開発や開墾に対するもう一つの困難は、森林に関して大木材商が有つ懸念から生ずる。農場が子供や孫に分割される時には、その各々は森林に対して一定の権利を有つことになるから、各人は一般に出来るだけ多く伐採しようとし、かくて樹木は小さい中《うち》に伐り倒され、森林は荒らされる。これを防ぐためには、商人は、広大な森林地を、農場をこれ以上は分割せずまたはその家人《ハウスマン》の数を増さないことを契約するか、少くとも、家族数が増加しても森林についての権利はこれを与えないことを契約する農業者から、買取る。こういう買取をした商人は、小農業者や家人《ハウスマン》が木材を自家用に取らぬ限り、格別頑固なことは云わぬそうである。これらの森林地を売却した農業者も、家畜を放牧し、家屋、修理、及び薪炭用に充てるに足る木材を伐採する権利は、法律上これを留保しておかなければならぬ。
 住居の周囲にある一筆の土地も、まず森林の所有者に、その土地が植樹に不適当であることを述べて申請し、次いで地方長官に申請しなければ、耕作の目的で囲込むことは出来ないが、後者の許可が必要なのは、おそらく所有者の許可を合法的に得たか否かを確かめる目的のために必要なのであろう。
 これらの云わば人為的な、耕作改良に対する障害に加えて、この国の性質が、耕作や人口が土地の面積と何らかの点で釣り合うことに対し、打克ち難い障害を与えている。ノルウェイ人は、遊牧状態にはいないけれども、未だかなりの程度に牧畜状態にあり、そして著しく家畜に依存している。山地に接する耕地は絶対に穀物の栽培に適せず、その唯一の用途は夏期の間三、四箇月家畜を放牧することである。従って農業者は、この季節には、その全部の家畜をそこに送り、これをその家族の一部の監督に委ねる。そして彼らが販売用または自家用のバタやチイズを全部作るのはここである。そこで非常に困難なことは、その家畜を長い冬の間養うことであり、そのためには、谷間の最も肥沃な広い土地が乾草の刈取に当てられなければならぬ。もし過大な土地が耕作に取られると、家畜の数はそれに比例して減らされなければならず、そして高地の大部分は絶対に無用になってしまうであろう。そしてこの場合、この国が全体としてより[#「より」に傍点]大なる人口を養うことになるか否かは問題であろう。
 しかしながら、これら一切の障害があるにもかかわらず、ノルウェイには非常に大きな改良の余地があり、それは最近行われはじめている。コペンハアゲンの一教授から、私は、ノルウェイの農業の進歩がかくも緩慢であったのは、改良農業の範を示し、そして農業上の父祖伝来の無智と偏見を打破すべき郷紳がいなかったからである、と聞いた。私がノルウェイで実見した所からすれば、この欠陥は今はある程度除かれたと云いたい。多くの聡明な商人や事情に通じた一般官吏が現在農業に従事している。クリスチアニア周辺の地方では、農業方法に非常に大きな改良が行われ、またドロンタイムの近隣地方ですら、人工牧草栽培養が行われるようになってきたが、これは家畜のためにかくも多くの冬期食物の必要な国においては最も重大なことである。ほとんどあらゆる所で馬鈴薯の栽培は成功し、僻地ではなお一般人の愛好物となっていないけれども、その使用はますます普及しつつある。
 農場の分割は、昔よりもむしろ近年の習慣である。そしてノルウェイにおける商品の販路は、おそらく、大農場の完全な耕作を奨励するに足るほど大ではないから、この分割はおそらく、土地の改良に貢献してきたことであろう。ノルウェイの農業が一般に最近著しく進歩したことは、正しい判断を下し得る地位にある人の間で実際|あまねく異論のないことと思われる。そして記録簿は、人口がそれよりも早い速度でこれに随伴したことを示している。一七七五年ないし一七八四年までの十年間を平均して、出生の死亡に対する比率は、一四一対一〇〇であった1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。しかしこれはむしろ急激に過ぎる増加と思われる。けだし翌年すなわち一七八五年は、不作と疾病の年で、死亡が大いに出生を超過し、そして次の四年間、特に一七八九年には、出生の超過は大きくなかったからである。しかし一七八九年ないし一七九四年の五年間では、出生と死亡の比率はほとんど一五〇対一〇〇であった2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。
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 1)[#「1)」は縦中横] 〔Thaarup's Statistik der Da:nischen Monarchie, vol. ii. p. 4.〕
 2)[#「2)」は縦中横] Id. table i. p. 4. その後刊行された『デンマアク国統計表』Tableau Statistique du Etat Danois. では、一七九四年以後五箇年間の出生の総数は一三八、七九九、死亡は九四、五三〇、結婚は三四、三一三となっている。これらの数からすると、出生の死亡に対する比率は一四六対一〇〇であり、出生の結婚に対する比率は四対一、また死亡の結婚に対する比率は二七五対一〇〇である。平均年出生率は総人口の三五分の一、同年死亡率は四九分の一と述べられている。Vol. ii. ch. viii.(訳註――『その後刊行された』以下は第
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