蘭《イングランド》の人口は…………』
〔訳註3〕ここには第二―四版では次の如き註があった、――
『この記述は、ある程度まで、最近フランスで、革命以来生じた出生の増加によって、実証されている。』
[#ここで字下げ終わり]
ニュウ・ジャアシイでは(訳註)、出生の死亡に対する比率は、一七四三年に終る七年間を平均して三〇〇対一〇〇であった。フランス及び英蘭《イングランド》では、平均比率は一二〇対一〇〇以上を数え得ない。この差はまことに大きく驚くべきものであるが、吾々は余りびっくりしてこれを天の奇蹟的配剤に帰してはならない。その原因は、深遠でも潜在的でも神秘的でもなく、吾々の身近かに身のまわりにあるもので、いやしくも研究心ある者の調査に委ねられているのである。神の力の直接の働きがなければ、石も墜ち得ず草も成長し得ないと信ずるのは、最も自由な哲学精神と一致するものである。しかし吾々は、経験からして、いわゆる自然なるもののこれらの作用はほとんど常に、一定法則に従って行われるものなることを、知っている。そして開闢以来、人口増減の原因は、おそらく吾々が知っている他のあらゆる自然法則と同様に、不断に働いてきたものなのである。
[#ここから2字下げ]
〔訳註〕これ、及びこの後の、六パラグラフは、大体において第一版からのものである。Cf. 1st ed., pp. 126−133.
[#ここで字下げ終わり]
両性間の情欲はあらゆる時代においてほとんど同一であるように思われるから、それは常に、代数の用語で云えば、与えられたる量と考え得よう。いかなる国においてもそれが生産するか獲得するかすることが出来る食物以上に人口が増加するのを妨げる必然の大法則は、吾々の眼前に横わり、吾々の理解力にとり明瞭明白な法則であるから、吾々はそれを一瞬も疑うことが出来ない。自然が過剰人口を抑圧するためにとる種々なる様式は、実際吾々に、それほど確実に規則的には映らないが、しかし吾々が常に必ずしもその様式を予言出来ないとしても、その事実は確実に予言することが出来る。もし出生の死亡に対する比率が数年間、その国の増加または獲得された食物の比率を遥かに超過する人口増加を示すならば、吾々は、移民が行われないかぎり、死亡はまもなく出生を超過し、そして数年間見られた増加はその国の真の平均的な人口増加ではあり得ないことを、確信し得よう。もしほかに人口減退の原因がなく、またもし予防的妨げが非常に強くは働かないとすれば、あらゆる国は疑いもなく週期的な疫病《ペスト》と飢饉とに襲われることであろう。
あらゆる国の人口真実の永久的の増加の本当の基準は、生活資料の増加である。しかしこの基準ですらある軽微な変動を免れないが、しかしながらこの変動は、完全に吾々の観察し得るところである。ある国では人口増加が強制されているように見える。換言すればその人民は漸次にほとんど最小可能量の食物で生活するように慣らされてきている。かかる国では、人口が生活資料の増加なくして永続的に増加した時期があったに違いない。支那やインド及びベドウィン・アラビア人の占拠する国は、本書の前の方で述べた如くに、この部類に属するように思われる。これら諸国の平均生産物はわずかに住民の生命を辛うじて支えるに足るに過ぎぬように思われ、従って不作により少しでも食料不足が起れば、それはもちろん致命的でなければならない。かかる状態にある国民は必然的に飢饉の襲来を蒙らなければならない。
労働の報酬が現在極めて潤沢なアメリカでは、不作の年には甚だしい節約を行っても、それほど困ることはない。従って飢饉はほとんど不可能のように思われる。が、アメリカの人口が増加するにつれ、労働者の報酬は早晩その潤沢さを大いに減ずるものと、予期し得よう。この場合には、人口は、それに比例する生活資料の増加なくして、永続的に増加するであろう。
ヨオロッパ各国には、それぞれの国に行われる生活の習慣の相違から生ずる、住民数と食物消費量との比率の若干の変化があるに違いない。英蘭《イングランド》南部の労働者は精白小麦粉のパンを食う習慣があるので、彼らは半ば餓死するほどの地位に陥らぬ限り、蘇格蘭《スコットランド》の農民の如き生活には甘んじないであろう。
彼等もおそらく早晩、必然という厳酷な法則の不断の作用により、支那の下層民のような生活に没落するかもしれず、その時は、この国は同一量の食物をもってより[#「より」に傍点]大なる人口を養うことであろう。しかしこれを実現するのは常に困難な企てでなければならず、そしていやしくも人道の友たるものはこれが不成功に終らんことを希望するであろう(訳註)。
[#ここから2字下げ]
〔訳註〕ここまでの六パラグラフは大体において第一版を基礎とするものであるが、第一版のこのパラグラフの後半とその次の一パラグラフとは、第二版で削除された。それは次の如くである、――
『人口に対し与えらるべき奨励ほど普通に耳にすることはない。もし人口増加の傾向が、私が述べたほど大であるならば、それがこれほど要求されているのに実現しないのは奇妙に思われるであろう。その本当の理由は、より[#「より」に傍点]大なる人口に対する要求がそれを養うに必要な基金を準備することなくして行われている、という事実である。耕作を促進して農業労働に対する需要を増大し、従ってそれと共に国の生産物を増加し、そして労働者の境遇を改善すれば、それに比例する人口増加については何の危惧の必要もないのである。何か他の方法でこの目的を実現しようとする企ては、罪悪であり残酷であり圧制的であり、従ってかなりの自由の存するいかなる国においても成功し得ないものである。人口増加を強制し、これによって労働の価格を低め、従ってまた陸海軍費と輸出製造品原価とを低めるのは、一国の支配者と富者の利益であるように思われるかもしれない。しかしあらゆるこの種の企ては、なかんずくそれが慈善という欺瞞的装いのもとに行われ、従って一般人民が快く喜んで受容される可能性のある際には、貧民の友たるものはこれを注意深く監視し執拗に拒否すべきものなのである。
『私は、ピット氏が、その貧民法案の中に、労働者が三人以上も子供を有てばその一人につき一週一シリングを与えるという条項を作った点で、何らかの不正な意図を有っているとは、決して思わない。この法案が議会に提出される前には、またその後もしばらくの間は、かかる法令は極めて便宜なものと考えたことを、私は告白するが、しかしこの問題をもっと考えてみたところ、私は、たとえその目的が貧民の境遇の改善にあるとしても、それはその所期する目的そのものを挫折せしめるべきものである、と信ぜざるを得なくなった。それは私の知る限りでは国の生産物を増加する傾向を何も有たない。そしてもしそれが生産物を増加することなくして人口を増加せしめる傾向があるならば、その必然的不可避的結果として、同一の生産物がより[#「より」に傍点]多数のものに分たれなければならず、その結果として一日の労働はより[#「より」に傍点]少量の食物を購買することとなり、貧民は従って一般により[#「より」に傍点]悲惨な境遇に陥らなければならぬように、思われるのである。』
なおこれ以後の四パラグラフは、大体において第一版を基礎とする。Cf. 1st ed., pp. 135−139.
[#ここで字下げ終わり]
私は、人口が、それに比例する生活資料の増加なくして永続的に増加し得る場合があることを、述べた。しかし、食物とそれにより養われる人口との間の比率の、国を異にするにより生ずる変化には、越し得ない限度があることは、明かである。人口が絶対的に減少しつつはない国においては、すべて、食物は必然的に、労働者階級を扶養し維持するに足るものでなければならない。
他の事情が同一ならば、一国の人口の多寡は、それが生産しまたは獲得し得る人類食物の量に比例し、また幸福の程度は、この食物の分配される量、すなわち一日の労働が購買する量に比例する、と断定し得よう。麦産国は畜産国よりも人口が多く、また米産国は麦産国よりも人口が多い。しかし彼らの幸福は、人口の粗密にも、国の貧富にも、国の新旧にも依存せず、人口と食物とが相互にとる比率に依存するのである。
この比率は一般に、新植民地で最も良いのであるが、そこでは、古国の知識と勤労とが、国の肥沃な無主の土地に充用されるのである。他の場合では、国の新旧はこの点において大きな重要性を有たない。おそらく大英国の食物は、二千年、三千年、または四千年以前よりも、現在の方がより[#「より」に傍点]潤沢にその住民に分配されている。そして、蘇格蘭《スコットランド》のハイランド地方の貧しく人口稀薄な地方は、ヨオロッパの最も人口稠密な地方よりも、過剰人口により[#「より」に傍点]多く悩んでいるのである。
もしある国が、技術のより[#「より」に傍点]進んだ国民によって決して侵略されることなく、それ自身の文明の自然的進歩のままに委ねられるならば、その生産物を一単位と考え得る時から百万単位と考え得る時まで、数千年数万年の間、人民の大衆が、直接にか間接にか、食物の不足に悩まなかったと云い得る時は、ただの一時もないであろう。歴史あって以来、ヨオロッパのあらゆる国では、それに関する記録をはじめてもって以来、幾百幾千万の人類は、――もとよりこれら諸国のあるものではおそらく絶対的の飢饉は一度も起らなかったかもしれぬが、――この単純な原因により抑圧され来っているのである(訳註)。
[#ここから2字下げ]
〔訳註〕第一―三版ではこの次に飢饉を論ずる一パラグラフがあったが、これは第四版で削除された。それは次の如くである、――
『飢饉は最後の、最も恐るべき、自然の方策であるように思われる。人口増加力は、人間に対し生活資料を生産する土地の力に優越すること極めて大であるから、予防的妨げによって阻止されぬ限り(訳註――この一句は第一版にはない。)、幼死が何らかの形において人類を襲わなければならない。人類の罪悪は活溌有能な人口減退の使臣である。これは破壊の大軍の先駆であり、しばしば自ら恐るべき作業を成就する。しかしそれがこの殲滅戦に失敗した場合には、疾病季や伝染病や流行病や疫病《ペスト》が恐るべき陣列をなして突進し、その数千数万を一掃する。成功がなお不十分の場合には、巨大な不可避的な飢饉が殿軍となって襲来し、力強い一撃をもって人口を世界の食物の水準と一致せしめるのである。』
なお三〇六頁の訳註を参照。
[#ここで字下げ終わり]
しからば、人類の歴史を細心に検討するものは、人類が従来存在しまたは現に存在しているあらゆる時代あらゆる国においても次の事実の存在することを、認めざるを得ないのではなかろうか、すなわち、
人口の増加は必然的に生活資料によって制限される。
人口は、有力にして顕著なる妨げによって妨げられない限り、生活資料が増加する時には1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]普く増加する。
これらの妨げ、及び人口を生活資料の水準に抑止する妨げは、道徳的抑制、罪悪、及び窮乏である(訳註1)。
[#ここから2字下げ]
1)[#「1)」は縦中横] ここに云う生活資料の増加とは、常に、人口の大多数が支配し得る如き増加のことである。しからざればそれは人口増加を奨励する上で何にもならないであろう。(訳註――この註は第五版より現わる。)
〔訳註1〕この三命題は第一版では次の如くなっていた、――
『人口の増加は必然的に生活資料によって制限されること。
『人口は生活資料が増加する時には普く増加すること。及び、
『人口の優勢な力は抑圧され、そして現実の人口は窮乏及び罪悪によって生活資料と等しく保たれるということ。』
なお本訳書第一分冊三四―五頁を参照。
[#ここで字下げ終わり]
この第二篇で(訳註)考察した社会状態を第一篇の主題をなしたそれと比較すると、近代ヨオロッパでは、過去の時代や世界の文
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