、この疾病の歴史から見て、これは天候や季節の過去または現在の情勢とはほとんどまたは全く関係するところがないらしく、そして厳霜の候には幾分減退するが、時期と空気の状態とを問わず伝染流行する、と云っている。吾々は思うに天然痘がどういう状況の下ではっきり発生したかという事例は知らない。従って私は、貧困と密集家屋とがそれを絶対的に発生せしめたのだとは云うつもりはない。しかし私は、その囘起が規則的であり、そしてそれが、子供なかんずく下層階級の子供の間に猖獗を極めるところでは、通常よりも甚だしい上記の事情が、常に天然痘の発生に先行しまたは同伴しなければならぬ、ということにならざるを得ない、換言すればその流行が終ると、子供の平均数が増加し、人民はその結果としてより[#「より」に傍点]貧しくなり、家屋はますます密集して、そしてついに次囘の襲来がこの過剰人口を除き去るのである、と。
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 1)[#「1)」は縦中横] Hist. of Air, Seasons, etc., vol. ii. p. 411.
[#ここで字下げ終わり]
 これらの場合にはいずれも、現実の疾病を発生せしめる人口原理の結果をいかに軽視するとしても、吾々は、それが伝染に途を開く原因であり、その範囲と害とを著しく大ならしめる力をもつことを、認めざるを得ないのである。
 ショオト博士は、激しい致命的伝染病は、虚弱者や老衰者の多くを一掃するので、その後には一般に通常見られぬ健康状態が現われる、と云っている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。この事実のもう一つの原因は、おそらく、余地と食物との量の増加、従って下層階級の者の境遇の改善であろう。ショオト博士によれば、非常に多産的な年の後には非常に死亡と疾病の多い年が来、また死亡の多い年の後にはしばしば非常に多産的な年が来るのであって、これはあたかも自然が死亡による損失を防止しまたは急速に恢復しようと欲しているが如くである。一般に疾病と死亡の多い年の翌年は、残った生殖能力者に比して出生が多いものである。
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 1)[#「1)」は縦中横] Id. p. 344.
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 この最後の結果は(訳註)、プロシアとリトアニアの表に極めてはっきりと例証されていることは1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、吾々の既に見たところである。そしてこの表やジュウスミルヒの他の表から見ると、一国の生産物が増加しまた労働に対する需要が増大し、ために結婚を大いに助勢するほど労働者の境遇が改善される時には、早婚の慣習は一般に継続し、ついに人口は生産物の増加以上に増加することとなり、そして疾病流行年となるのがその自然的な必然的な帰結であるように思われる。大陸の記録簿は、急速な人口増加がかくの如くして致命的な疾病によって阻止された幾多の事例を示している。そしてこの事実から推論し得ることは、生活資料は人口増加を助勢するに足るほど増加しつつあるけれども、しかし増加する人口のあらゆる要求に応ずるには、足りない国は、人口増加が平均的生産物とより[#「より」に傍点]均衡を保っている国よりも、週期的伝染病に襲われやすい、ということである。
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 1)[#「1)」は縦中横] New Observ. p. 191.
〔訳註〕これと次との二パラグラフはおおむね第一版より。Cf. 1st ed., pp. 119−120.
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 この反対ももちろん真実であろう。週期的疾病に襲われる国においては、それほどかかる疾病に襲われない国に通常見られるよりも、流行病の中間期における人口の増加すなわち死亡以上に出ずる出生の超過が大である。もしトルコやエジプトが前世紀の間平均人口においてほとんど停止的であるとすれば、その週期的|疫病《ペスト》の中間期において、死亡以上に出ずる出生の超過の比率が、フランスや英蘭《イングランド》の如き国よりも遥かに大きかったに違いないのである。
 現在の増加率または減少率から算出した将来人口の増減の推測に信頼し得ないのは、この理由によるものである。サア・ウィリアム・ペティは、一八〇〇年にはロンドン市は五、三五九、〇〇〇の人口になろうと計算したが1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、実際は今日その五分の一もない。イートン氏は最近、今後一世紀にトルコ帝国の人口は絶滅すると予言したが2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]、これは確かに起りそうもないことである。もしアメリカが今後一五〇年間、現在と同一の比率で増加し続けるならば、その人口は支那の人口をも超過するであろう。しかし、予言は危険であるけれども、私は、五、六百年の後はともかく一五〇年ではこんな増加は起らない、とあえて云いたいのである。
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 1)[#「1)」は縦中横] Political Arithmetic, p. 17.
 2)[#「2)」は縦中横] Survey of the Turkish Empire, c. vii. p. 281.
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 ヨオロッパは疑いもなく、現在よりも従来の方が、疫病《ペスト》や荒廃的な伝染病に多く襲われた。そしてこのことは、従前には出生の死亡に対する比率がもっと高かったという、多くの著者が述べている事実の、大きな理由をなすものであろう。けだしかかる比率を余りに短い期間からとり、そして一般に疫病《ペスト》流行年を偶発的なりとして除外するのが、常に通例となっているからである。
 最近一世紀の間|英蘭《イングランド》では出生の死亡に対する平均比率(訳註1)は約一二対一〇、すなわち一二〇対一〇〇であると考え得よう。一七八〇年に終る十年間のフランスの比率は約一一五対一〇〇であった1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。これらの比率は疑いもなくこの一世紀間時期を異にするにつれて変動しているけれども、しかも吾々は、それは何らか著しい程度には変動しなかったと考うべき理由がある。従ってフランス及び英蘭《イングランド》の人口は(訳註2)、他の多くの国よりも、それぞれの国の平均生産物に均衡を保っていたことがわかる。予防的妨げの作用――戦争――大都市及び工場における暗黙のしかも確実な生命の破壊――多数貧民の狭隘な住居と不十分な食物――これらが、人口が生活資料以上に突進するのを防止しているのであり、そして一見確かに奇妙に思われる表現を用いてもよいならば、それは激しい暴威を振う伝染病が過剰なるものを破壊するという要を排除してくれるのである。もし荒廃的|疫病《ペスト》が英蘭《イングランド》で二百万、フランスで六百万を一掃したとすれば、住民がこの恐るべき衝撃から恢復した後は、出生の死亡に対する比率は両国において前世紀間の通常平均比率より遥か以上になるべきことは、疑い得ないのである(訳註3)。
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 1)[#「1)」は縦中横] Necker's[#「Necker's」は底本では「Necker」] de l'Administration des Finances, tom. i. c. ix. p. 255.
〔訳註1〕ここの句に『最近一世紀の間』なる語が挿入されたのは第六版であり、また『平均比率』の語は第二―四版では『最高平均比率』とあった。
〔訳註2〕この前の二パラグラフと、このパラグラフのここまでとは、第二版以後のものであり、第一版ではこれに代えて次の如くあった、――
『ある国における五年または十年間の出生の埋葬に対する比率は、従って、その真の人口増加を判断するには極めて不適当な基準であることが、わかるであろう。この比率は確かに、かかる五年または十年間の増加率を示すものである。しかし吾々はこれからは、その前の二十年間の増加|如何《いかん》、またはその後の二十年間の増加|如何《いかん》は、推論し得ない。プライス博士は、スウェーデン、ノルウェイ、ロシア、及びナポリ王国は急速の増加しつつある、と云っている。しかし彼が与えている記録簿の抜萃は、この事実を確証するに足る範囲に亙る期間のものではない。しかしながら、スウェーデン、ノルウェイ、及びロシアは、プライス博士が採っている短期の出生の埋葬に対する比率が示す如き率ではないとしても1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、たしかに人口が実際増加しつつあるらしい。一七七七年に終る五箇年間に、ナポリ王国における出生の埋葬に対する比率は、一四四対一〇〇であった。しかしこの比率は、百年間にこの王国がなしとげた増加よりも遥かに大きな増加を表わしている、と想像すべき理由があるのである。
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『1)[#「1)」は縦中横] See Dr. Price's Observations, 2 Vol. Postscript to the controversy on the population of England and Wales.
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『ショオト博士は、二つの期間における英蘭《イングランド》の多数の村と市場都市との記録簿を比較しているが、その第一の期間は、エリザベス女王から前世紀(訳註――十七世紀)の中頃までであり、第二の期間は前世紀終末の色々の年から現世紀の中頃までである。この抜萃の比較から見ると、前期においては出生は埋葬を一二四対一〇〇の比率で超過したが、後期ではわずかに一一一対一〇〇の比率で超過しているに過ぎない。プライス博士は、前期の記録簿は信頼出来ないと考えているが、しかしおそらくこの場合それは不正確な比率は与えていないであろう。少くとも、後期よりも前期の方が埋葬以上に出ずる出生の超過が大であると期待すべき、多数の理由がある。ある国の人口の自然的増加においては、その後期よりも初期の方が、他の事情にして等しければ1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、より[#「より」に傍点]良い土地が耕作されることであろう。そして生産物のより[#「より」に傍点]大なる比例的増加は、ほとんど常に、人口のより[#「より」に傍点]大なる比例的増加を伴うであろう。しかし、埋葬以上に出ずる出生の超過をして現世紀の中頃よりもエリザベス女王の末期において当然より[#「より」に傍点]大ならしめるべきこの大原因の外に、私は、前期において疫病《ペスト》が時々暴威を振ったのでこの比率はやや増大する傾向がなければならぬ、と考えざるを得ない。この恐るべき疾病の襲来した中間期の十年の平均を採ったとすれば、または疫病《ペスト》流行年が偶然的なりとして排除されたとすれば、記録簿は確かに、真の平均人口増加としては高きに過ぎる出生の埋葬に対する比率を与えるであろう。一六六六年の大疫病後の数年間には、おそらく通常以上の埋葬以上の出生の超過があったことであろうし、ことに英蘭《イングランド》は現在よりも革命の際(これはわずかにそれより二二年後に起ったものである)の方が人口が多かったという、プライス博士の意見が根拠あるものであれば、いっそうそう思わざるを得ない。
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『1)[#「1)」は縦中横] 私は、他の事情にして等しければ、と云うが、けだしある国の生産物の増加は、常に著しく、そこに行われる勤労の精神とこの精神の指導様式とに、依存するからである。人民の知識と習慣その他の一時的原因、なかんずくその当時の市民的自由と平等との程度は、常に、この精神を刺戟し指導するに当り大きな影響を及ぼさざるを得ないものである。
[#ここから2字下げ]
『キング氏は、一六九三年に、ロンドンを除く大英国全体の出生の埋葬に対する比率は、一一五対一〇〇であると述べている。ショオト博士は、現世紀の中頃に、これを、ロンドンを含んで一一一対一〇〇としている。一七七四年に終る五箇年間のフランスではこの比率は一一七対一〇〇であった。もしこれらの記述が真に近いとすれば、また特定の時期にこの比率に非常に大きな変動が何もないとすれば、フランス及び英
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