飢饉や天災による荒廃から急速に復興する事実によって明かである。かかる場合には、これら諸国はしばらくの間はいささか新植民地の如き状態に置かれ、そしてその結果は常に予期せられるところに一致する。もし住民の勤労が破壊されないならば、生活資料はまもなく減少せる人数の欲求するところ以上に増加し、その不変的結果として、従前にはおそらくほとんど停止的であった人口は直ちに増加し始め、そして以前の人口が恢復されるまでその増加を継続するであろう。
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〔訳註〕第一版では『食物の不足』の代りに『余地と食物との不足、換言すれば窮乏』とある。
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肥沃なフランダアス州は、あれほど頻々と最も破壊的な戦争の舞台となったけれども、数年を経過すれば、常に以前と同じ富と人口とに立帰った。前述した、フランスの人口が減少しなかった事実は、極めて適切な一例である。ジュウスミルヒの表は、大きな死亡率の後に、極めて急速な増加が起ることを、絶えず立証しており、そして私が前に挿入したプロシアとリトアニアの表は1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、この点において、特に顕著である。一六六六年のロンドンの恐るべき疫病《ペスト》の影響は、十五年または二十年後にはもはや眼につかなくなってしまった。トルコやエジプトが、週期的にこれを荒廃せしめる疫病《ペスト》のために、平均して遥かに人口が減っているかどうかは、疑ってもよかろう。もしこれらの諸国の人口が従前よりも今の方が著しく少いならば、それは、疫病《ペスト》によって蒙る損失よりもむしろ、彼らを悩ます政府の圧政と暴政、及びその結果たる農業の阻害に、帰せらるべきものである。支那、インド、エジプト、その他の諸国の最も破壊的な飢饉の痕跡も、あらゆる記録によれば、極めて短時日にして消滅し、また噴火や地震の如き最も恐るべき天災も、それが住民を駆逐しまたはその勤労の精神を破壊するほど頻発しないならば、いかなる国家の平均人口にも軽微な影響しか与えないことは、人のよく知るところである(訳註)。
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1)[#「1)」は縦中横] 二六八―二六九頁参照。
〔訳註〕ここまでが第一版の第六章に該当するところであり、これ以下は第七章に該当する。第一版第七章は伝染病に関する観察から始まるが、この第七章冒頭の部分は第二版以下では削除された。それは、次の如きものである、――
『清潔にたいして注意した結果、疫病《ペスト》はついに完全にロンドンから駆逐されたように思われる。しかし、疾病流行季や伝染病をさえ生ずる第二次原因のうちには、密集せる人口と不健全な不十分な食物を数えるべきであるというのは、あり得べからざることではない。私は、プライス博士が、英蘭《イングランド》及びウェイルズの人口に関する論争の追記に対する註の一つに抜萃している、ジュウスミルヒ氏の表の若干を眺めて、こういうことを云う気になったのである。それは極めて正確なものと考えられている。そしてもし、かくの如き表が一般的であるならば、人口がある国において抑止されかつ生活資料以上の増加を阻止される各種の様式に、大きな光明を投ずることであろう。私は、表の一部を、プライス博士の説明と共に、抜萃することとする。
[#表(fig45455_12.png)入る]
『「注意。一七〇九年及び一七一〇年には流行病がこの国の住民二四七、七三三を奪い、一七三六年及び一七三七年には伝染病が流行し、これがまたもその増加を妨げた。」
『出生の埋葬に対する最大の比率は、大流行病後の五箇年間に現われていることを、注意し得よう。
[#表(fig45455_13.png)入る]
『「この場合には、非常に悪性の伝染病が一度も増加を阻止しなかったので、住民は五六年にしてほとんど倍加したことがわかるが、しかし最後の期間(一七五六年に至る)の直後の三箇年には疾病が非常に流行し、ために出生は一〇、二二九に低下し、埋葬は一五、〇六八に増加した。」
『この場合、住民の数は、彼らを健康に保つに必要な食物の備えよりも急速に、増加したのではなかろうか。人民大衆は、この仮定によれば、生活の困難が増大し、そして一軒に押込められる人数は増加することであろう。そしてこれが、三疾病流行年を生ぜしめた原因に属するというのは、確かにあり得ないことではない。たとえその国が、絶対的な意味で極度に密集し人口稠密になっていなくとも、これらの原因はかかる結果を生じ得よう。たとえ人口稀薄な国であっても、食物の生産が増加し家屋の建築が増加しないうちに人口増加が生ずるならば、人口はある程度余地と生活資料とに悩まなければならぬ。来る八年または十年間|英蘭《イングランド》における結婚が通常以上に多産的となるとすれば、または通常以上に多数の結婚が行われるとすれば、家屋数を同一と仮定すれば、小屋一軒当りに五、六人ではなく七、八人が住まなければならず、そしてこのことは、生活の困難の増大と相俟って、おそらくは一般人民の健康に対し極めて不利な影響を与えることであろう。
[#表(fig45455_14.png)入る]
『「一七三六年ないし一七四一年の六年間に伝染病が流行し、増加を妨げた。」
[#表(fig45455_15.png)入る]
『「一七三八年、一七四〇年、一七五〇年、及び一七五一年には特に、疾病が流行した。」
『この問題についてこれ以上知りたい読者は、ジュウスミルヒ氏の表を見られたい。私の行った以上の抜萃は、不規則であるが週期的な疾病流行季の囘起を証示するに足るものであり、そして十中八九、余地と食物との稀少が、これを齎らした主要原因の一つと考えられるのである。』
[#ここで字下げ終わり]
既に掲げた(訳註)各国の記録簿によって見ると、その人口増加は、不規則ではあるが週期的な疫病《ペスト》と疾病流行季の囘起により妨げられていることが、分る。ショオト博士は、死亡表に関するその興味ある研究の中で、しばしば『人類の過剰の恐るべき矯正1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]』という言葉を用いており、そして報告を蒐集し得た一切の疫病《ペスト》、伝染病、飢饉に関する表の中で、その作用の不断にして普遍的なることを示している。
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1)[#「1)」は縦中横] New Observ. on Bills of Mortality, p. 96.
〔訳註〕これを含んでこの後の合計一〇パラグラフは第一版にはない。
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彼れの表にある伝染病流行年、すなわち疫病《ペスト》またはある激しい荒廃的な伝染病が流行した年は、(というのは小さな疾病流行季は表に含まれていないらしいからである)四三一であり1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、そのうち二三は紀元前に属する2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。従って紀元後の年数を三九九で割ると、かかる伝染病が吾々の知る国を襲ったのは、平均わずか四年半間隔であることがわかるであろう。
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1)[#「1)」は縦中横] Hist. of Air, Seasons, etc., vol. ii. p. 366.
2)[#「2)」は縦中横] Id. p. 202.
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表に列挙されている大飢饉及び凶作二五四のうち、一五は紀元前に属し1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、その最初はアブラハムの時代にパレスチナに起ったものである。この一五を引いて、その残りで紀元後の年数を割ると、この恐るべき災難の襲来した平均間隔は、わずかに約七年半に過ぎぬことがわかるであろう。
[#ここから2字下げ]
1)[#「1)」は縦中横] Id. p. 206.
[#ここで字下げ終わり]
どれだけかかる『人類の過剰の恐るべき矯正』が、人口の過度に急速な増加から生じたものであるかは、これを幾分でも正確に決定することの極めて困難な点である。たいていの吾々の疾病の原因は、吾々には、非常に神秘的に見え、またおそらく実際その種類が非常に多いから、そのうちいずれかの一つを強調しすぎることは早計であろう。しかしこれらの原因の中には[#「中には」に傍点]、吾々は確かに、住居と食物に関する一国の備えが許す以上に急速な人口増加の自然的結果たる、密集家屋と不十分または不健全な食物を、数えるべきである、と云っても過言ではないであろう。
吾々のもつほとんど一切の伝染病の歴史書は、伝染病は一般に、下層階級の間で主として猖獗を極めると書いて、この仮定を確証する傾きがある。ショオト博士の表ではこの事情がしばしば述べてある1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。そして更に、伝染病流行年の極めて多数は、凶作と不良な食物季節の後に生じたかまたはこれと時を同うして生じたものであることが、わかる2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。他の場所で彼はまた、激しい疫病《ペスト》は特に下層階級または奴隷階級の人口を減少するとも云い、3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]また各種の疾病を論ずるに当って、劣悪不健全な食物により生じた疫病《ペスト》は一般に、最も長患である、と述べている4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]。
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1)[#「1)」は縦中横] Id. p. 206 et seq.
2)[#「2)」は縦中横] Id. p. 206 et seq. and 336.
3)[#「3)」は縦中横] New Observ. p. 125.
4)[#「4)」は縦中横] Id. p. 108.
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吾々は、不断の経験から、熱病は、我国の牢獄や、我国の工場や、我国の密集した救貧院や、我国の大都市の狭隘な街路に醸成されることを、知っているが、これらの環境は、いずれも、その結果において極貧に類似するように思われる。そして吾々は、この種の原因が、その程度を悪化し、従前にはヨオロッパに、かくも頻々と生じた疫病《ペスト》の発生と蔓延にあずかって力あったことを疑い得ないのであるが、しかしそれは今日では、これらの原因が緩和されたので、至るところで大いに減少し、また多くの場所では完全に絶滅されたように思われる。
人類に対する他の大きな災厄(訳註)、すなわち飢饉については、人口の増加が絶対的にこれを発生せしめるというのは、事実に反する、と云い得よう。人口の増加は、たとえ急速であっても、必然的に漸進的である。そして人間の体躯は極めて短期間といえども食物なくしては支持し得ないから、これを養うべき食料が存在する以上の人類は成長し得ないことは明かである。しかし人口原理が絶対に飢饉を発生せしめ得るものではないとはいえ、それは飢饉に対する道を準備するものである。そしてしばしば下層階級をして生命を維持すべきほとんど最小量の食物で生活するを余儀なからしめることにより、季節の不良によるちょっとした食物の不足をすら惨憺たる凶饉たらしめるのであり、従って飢饉の主たる原因の一つであると云い得よう。凶饉の接近の前兆として、ショオト博士は、一年または、それ以上続いた豊作を挙げている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。そしておそらくこの説は正しいであろうが、けだし物が安く豊富であれば、一般的に、多数の人の結婚を促す結果となり、そしてかかる事情の下では、平年作の囘起ですらが食物の不足を惹起し得ようからである。
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1)[#「1)」は縦中横] Hist. of Air, Seasons, etc., vol. ii. p. 367.
〔訳註〕飢饉については第一―二版では本章の終末近くにこれと異る内容の一パラグラフがあった。その場所の訳註を参照。
[#ここで字下げ終わり]
ヨオロッパにおける最も普遍的な致命的な伝染病と考え得る天然痘は、多くの地方で規則的に囘起してはいるけれども、一切の伝染病の中でおそらく最も説明の困難なものである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。ショオト博士は
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