ている間はその増加は極めて遅々たるものであったが、エジプトの肥沃な地方に定着するや、その滞留の全期間に亙って十五年ごとに人口を倍加したと計算されている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。しかし遠い事例を縷説せずとも、アメリカにおけるヨオロッパ人の植民地は、思うに未だかつて疑われたことのない一命題の真理なることを、十分に証明するものである。ほとんどまたは何物をも提供せずに肥沃な土地を豊富に得られるということは、一般に一切の障害に打勝つほど強力な人口増加の原因たるものである。
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 1)[#「1)」は縦中横] Short's New Observ. on Bills of Mortality, p. 259. 8vo. 1750.
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 いかなる植民地も、メキシコ、ペルウ、キトウにおけるスペインの植民地ほど劣悪な監理を受けているものは、容易にあり得ないであろう。母国の圧政と迷信と罪悪とはその植民地に多量にもたらされた。国王は法外な租税を誅求し、その貿易には勝手極まる制限が課せられ、そして総督は主人のためにも自分のためにも苛斂誅求を逞しくするに後れをとらなかった。しかもかかる一切の困難にもかかわらず、植民地は急速にその人口を増加した。インディアンの一村落にすぎなかったキトウ市は、約五十年以前に五、六万の住民を有した、とウロアは述べている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。征服以後に創設されたリマは、一七四六年の大震災前に、それと同一またはより[#「より」に傍点]以上の人口を有していた、と同じ著者は云っている。メキシコは十万の人口を有すると称されているが、これは、スペインの著者達の誇張にもかかわらず、モンテズマ時代の人口の五倍に当ると想像されている2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。
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 1)[#「1)」は縦中横] Voy. d'Ulloa, tom. i. liv. v. ch. v. p. 229. 4to. 1752.
 2)[#「2)」は縦中横] Smith's Wealth of Nations, vol. ii. b. iv. ch. viii. p. 363.
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 ほとんど同様の圧政下にあるブラジルのポルトガル植民地には、三十年以上前に、ヨオロッパ系の住民六十万が存在した、と想像された1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
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 1)[#「1)」は縦中横] Id. p. 365.
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 オランダ及びフランスの植民地は、独占的営利会社の統治下にあるが、それでもあらゆる不便を蒙りながら繁栄を続けた1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
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 1)[#「1)」は縦中横] Id. p. 368, 369.
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 しかし、英蘭《イングランド》の北アメリカ植民地、すなわち今日ではアメリカ合衆国の有力な国民は、その人口増加において、他の一切をはるかに凌駕した。彼らは、スペインやポルトガルの植民地と同じく多大の肥沃な土地を有っていたが、これに加うるにまたそれよりも大きな程度の自由と平等とを有っていた。その海外貿易に対しては多少の制限がないわけではなかったけれども、その内政処理の自由は認められていた。当時の政治制度は財産の譲与と分割に好都合であった。一定期間内に所有者が耕作しない土地は他の何人にも与え得ることが宣言されていた。ペンシルヴァニアには長子相続権はなく、またニュウ・イングランド州では長子はわずかに二|磅《ポンド》分の分前を受けるだけであった。どの州にも十分一税はなく、また租税はほとんど何もなかった。そして沃土が極めて低廉であり、位置は穀物の輸出に好適であったので、資本は農業に使用するのが最も有利であるが、この農業たるや、最も多量の健康な仕事を与えると同時に、社会に対し最も貴重な生産物を供給するものなのである。
 これら好都合な諸事情は相合して、史上ほとんど比類のない急速な人口増加を生ぜしめた。すべての北部諸州を通じて、人口は二十五年にして倍加したことが見出された。一六四三年にニュウ・イングランドの四州に植民した本来の人数は二一、二〇〇であった。その後、そこに入ってきたものよりも出ていったものの方が多いと計算されている。しかも一七六〇年にはそれは五十万に増加した。従って彼らは前後を通じ二十五年にして倍加したのである。ニュウ・ジャアシイでは倍加期間は二十二年、ロウド・アイランドではそれよりも更に短かかったらしい。農業にもっぱら従事し奢侈の知られなかった奥地の植民地では、彼らはその人口を十五年にして倍加すると想像された(訳註1)。当然最初に植民の行われる海岸地方では、倍加の期間は約三十五年であり、またある海港都市では人口は全く停止していた1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。アメリカで行われた最近の人口調査から見ると、全洲を総括して、彼らはなお引続き二五年以内に(訳註2)その人口を倍加していることがわかる2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。そして全人口は、今ではヨオロッパ移民により実質的影響を蒙らないほどに大となっており、また海岸に近い都市や地方の若干の人口増加が緩慢であることが知られているから、この国の内部地方では一般に、増殖のみによる倍加期間は、二五年より遥か以下であったに違いないことは、明かである(訳註3)。
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 1)[#「1)」は縦中横] Price's Observ. on Revers. Paym. vol. i. p. 282, 283, and vol. ii. p. 260. 私は最近、プライス博士がこれらの事実を得てきたスタイルズ博士の説教の抜萃を若干見る機会を得た。ロウド・アイランドを論じて、スタイルズ博士は、この植民地全体の倍加期間は二五年であるけれども、それは場所を異にするにつれて相違があり、内部では二〇年及び一五年である、と云っている。グロウスタア、シチュエイト、コヴェントリ[#「コヴェントリ」は底本では「コヴェンリ」]、ウェスト・グリニチ、及びイクシタの五都市の人口は、西紀一七四八年には五、〇三三であり、西紀一七五五年には六、九八六であった。これは、わずか一五年の倍加期間を意味する。彼は後に、ケント州は二〇年にして倍加し、プロヴィデンス州は一八年にして倍加する、と述べている。(訳註――第二―五版ではこの註にはなおこの後に二パラグラフあったが、これは第六版では削除された。削除されたものは次の如くである、――
『私はまた最近、「合衆国人口に関する事実と計算」Facts and calculations respecting the population of the United States. という一論を見たが、これはその最初の植民以来の合衆国全体の倍加期間をわずか二〇年としている。私はこの論文が何の典拠を基礎としているのか知らないが、しかしそれが公けの事実と人口実測とに関する限りにおいて、それは信頼すべきものと考える。その期間の一つは極めて驚くべきものがある。一七八二年の下院への報告によれば人口は二、三八九、三〇〇とあり、一七九〇年の人口調査では四、〇〇〇、〇〇〇とあるが、この九年間の増加は一、六一〇、七〇〇である。それからヨオロッパの移民として年一万、すなわち九〇、〇〇〇を控除し、また彼らの五パアセント、四年半の増加、すなわち二〇、二五〇を斟酌すると、残った増加はこの九年間で増殖のみによって一、五〇〇、四五〇となるが、これはほぼ七パアセントであり、従ってこの率による倍加期間は一六年以下であろう。
『もし合衆国の全人口に対するこの計算が幾分でも真に近いとすれば、特定地方では、増殖のみによる倍加期間はしばしば一五年以下であったことは、疑い得ない。戦争直後の期間は非常に急速な増加の期間であったらしい。』)
 2)[#「2)」は縦中横] 〔See an article in the supplement to the Encyclopae&dia Britannica on Population, p. 308 ; and a curious table, p. 310, calculated by Mr. Milne, Actuary to the Sun Life Assurance Office.〕 後者ははっきりと合衆国で計算された増加率を確証し例解し、そしてそれが移民の渡来によって重大な影響を蒙り得ないことを証示している。
〔訳註1〕第一版ではここに重要な註があったが、第二版以下では削除された。それは、次の如くである、――
『この種の場合においては、土地の力は、そこで人間の有ち得る一切の食物需要に十分応じ得るものと思われる。しかし、もしこのことから、人口と食物とは常に実際同一率で増加すると仮定するとすれば、吾々は誤謬に陥るであろう。一方は依然幾何的比率であるが、他方は算術的比率であり、換言すれば、一方は乗法で増加するが、他方は加法で増加する。ほとんど人間がおらず多量の沃土がある場合には、年々の食物増加を供給する土地の力は、適度の水流で補給を受ける大きな貯水池に比較し得よう。人口が急速に増加すればするほど、ますます多量に水がいることとなり、従って毎年ますます多量が取られることとなろう。しかし疑いもなくそれだけ早く貯水池の水は涸れ、水流だけが残るであろう。一エイカアに一エイカアと附け加えられ、ついに一切の沃土が占有された時には、年々の食物増加は既に所有された土地の改良に依存することとなるであろう。そしてこの適度の水流でさえ徐々として逓減しつつあるであろう。しかし人口は、食物がそれに与えられ得るならば、不滅の力をもって増進し、一期間の増加は次の期間のより[#「より」に傍点]大なる増加の力を与え、かくしてこれは際限なく続くであろう。』
〔訳註2〕この文の最初の『アメリカで行われた』以下パラグラフの終りまでは、第二版の加筆であるが、ただし『二五年以内に』とあるは第六版の訂正であり、第二―五版では『二五年ごとに』とある。
〔訳註3〕第一版ではこの次に一パラグラフあったが、第二版以後では削除されている。それは、次の如くである、――
『かかる事実は、人口が、それに対する二大妨げたる窮乏及び罪悪が除去されるに正確に比例して、増加するものであり、かつ人民の幸福と純潔の最も正しい基準はその増加であることを、証示する如く思われる。ある人々がその商売上必然的に逐いやられる都市の不健全は、一種の窮乏と考えなければならず、また一家を養う困難を見越した結果少しでも結婚が阻害されるならば、これも立派にこの部類に属せしめられ得よう。略言すれば、人口に対する妨げにして何らかの種類の窮乏または罪悪に属しないものを考えることは困難である。』
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 一八二〇年の第四囘人口調査によれば、アメリカ合衆国の人口は、七、八六一、七一〇であった。大英国は、かかる人口を生み出す元となった少数のものを移民として出したために、現在それだけ人口が少い、と考えるべき理由は何もない。反対に、ある程度の移民は、母国の人口増加に有利なことは周知のことに属する。アメリカに最多数の移民を送ったスペインの二州が、その結果として人口がより[#「より」に傍点]多くなったことは、特に注目されているところである。[#「。」は底本では「、」]
 アメリカにおいてかくも急速に増加した英国移民の本来の人数がいくらであろうと、それは別として、吾々はここに問いたい、何故《なにゆえ》に同一人数が同一時期に英国において同一の増加を生じないのであるか、と。指摘さるべき明かな理由は食物の不足(訳註)である。そしてこの不足は、あらゆる社会に存在することを上来観察し来った、人口に対する三つの直接的妨げの最大の有効原因であることは、古国ですら、戦争や伝染病や
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