り、これは若干の州で認められている幼少年期の異常な健康状態と一致するものである。おそらくこれら諸州の各一結婚は出生約六を産み、そのうち四が結婚まで生存するのであろう。そして、表によれば、適当な比率の出生を結婚まで保持するこの仮定は、死亡以上に出ずる出生の超過及び急速な人口増加を、説明するであろう。
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『1)[#「1)」は縦中横] Chap. xii. p. 188. 4to. 1770. Petersburgh.
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『年出生が年結婚に対して四対一となっている州では、前に打樹てた原則によれば、三のうち二ではなく、わずかに四のうち二が、結婚まで生存する。そして埋葬における脱漏1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]につき大きな斟酌をしてもこれらの州の若干で見られる出生の超過を生ずるためには、各一結婚につきその継続期間中に八という如き高い出生があったものと想像しなければならぬであろう。
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『1)[#「1)」は縦中横] 私は、産児のわずか半数が結婚まで生存する場合には、一結婚当りの子供の数がいくらであろうと、出生の死亡に対する比率は決して二対一という如き高率ではあり得ないと思う。従ってわずかに産児の半数が結婚まで生存し、同時に出生の死亡に対する比率が二対一以上であることを意味する、ヴェロネッシュのそれの如き表は、死亡における大きな脱漏と移民出国とによってのみ説明され得るものである。
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『全国の年出生の結婚に対する一般比率をトゥック氏が述べている通りと見積るならば、三六二の出生のうち二〇〇が結婚まで生存することがわかるであろう1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。そしてトゥック氏が与えているように二・四分の一対一ではなく、二対一という出生の死亡に対する比率を生ずるためには、換言すれば埋葬における脱漏として四分の一の斟酌を行えば、各一結婚当り七または七半の出生を仮定しなければならぬが、これはある程度女帝の言葉を保証することになろう2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。
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『1)[#「1)」は縦中横] Tooke's View of Russian Empire, vol. ii. b. iii. p. 147.
『2)[#「2)」は縦中横] 私は周知の死亡における脱漏の測定法を知らないから、私が推定した出生の死亡に対する比率はどうも適当ではないらしいが、そうだとすると結果は云うまでもなく変ることとなり、従ってこれを余り重要視してはならない。
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[#表(fig45455_07.png)入る]
『これは、ウォレイスがその「人口数論」の中で行っている計算の計画に従って表を構成し、かつ産児数と結婚まで生存する数とに関する各種の仮定から生ずる出生の死亡に対する比率を観察して、行った、概算である。この論文は誰もが有っているわけではないから、私は、読者が私の行った計算の根拠がわかるようにここに挿入することにする。
『それは一組の夫婦から出発しているが、しかし云うまでもなく、二人から出発しようと二百万人から出発しようと同じことである。それには八欄あり、その内容は各々の頭に説明してある。
『ウォレイス氏のこの表の目的は、単に、一組からの人口増加と倍加期間とを示すにあるに過ぎぬのであるが、しかしその構成に何も本質的な欠陥が見られないならば、それはもっと広汎にかつ有益に用いられ得よう。
『期間は三三年三分の一とされているが、しかし真の増殖期間は云うまでもなく、平均結婚年齢により国を異にするにつれて異るであろう。各一結婚は六人の子供を産み、そのうち二人すなわち三分の一は嬰児期、独身期に死亡し、また四人すなわち三分の二は二つの結婚をなし子供の養育に当るまで生存するものと、仮定されている。
『第二期の数を検討すると、出生を表わす第三欄には一二とあり、嬰児期、独身期の死亡を表わす第四欄には四、親の死亡を表わす第六欄には二とある。従って同期における出生の死亡に対する比率は、一二対四プラス二、すなわち一二対六、すなわち二対一であり、そしてこの比率は他の期間全部を通じ引続き同一である。この事実から、思うに、ある国で出生が死亡に対し二対一であり産児の三分の二が結婚まで生存するならば、各一結婚は正確に六人の子供を産まなければならぬ、と推論して差支えなかろう。
『任意の同期間の出生と結婚とを検討すると、第二期には出生一二、結婚者八、すなわち出生一二対結婚四という比率が見られ、第三期には出生二四、結婚者一六、すなわち出生二四対結婚八という比率が見られ、かくて常に比率は三対一である。しかしこれらの期間における出生の総計の結婚の総計に対する比率は、正確に年平均と同一でなければならず、従って年出生は年結婚に対して三対一である。通常の計算方法によれば、この事実から、各一結婚当り子供六人という仮定から出発したにもかかわらず、各一結婚は子供三人を産むものと推論されることになる。この矛盾は、本章の前の方で述べた推理を力強く確証するものであり、また年出生の年結婚に対する比率は各一結婚当りの子供の数を表わすものではなく、これとは全く別物の、結婚まで生存する産児の数を表わすものであることを、示すものである。
『もし今の場合の如くに三分の二ではなく、わずか産児の半数が結婚まで生存する――この方がもっと普通の比率であるが――ものと仮定すれば、第二期には、出生を表わす第三欄に九、結婚者を表わす第五欄に四・二分の一という数字を得る。従って結婚は出生に対して一対四となるが、これはヨオロッパの最も通常の平均である。もっとも今の場合には、吾々は依然各一結婚はその持続期間中に六人の子供を産むものと仮定している。同じ仮定によれば、出生は死亡に対し九対四・二分の一プラス二、すなわち一八対一三、すなわち約一三・五分の四対一〇であろう。従って、出生が死亡に対して一三・五分の四対一〇すなわち一三八対一〇〇であり、また産児の半数が結婚まで生存する場合には、各一結婚は出生六を産まなければならぬと推論し得よう。
『もし吾々が、一結婚当りの出生は五であり、産児の半数が結婚まで生存すると仮定すれば、表によれば、出生は死亡に対して約一三・五分の一対一〇であり、従って吾々は、同様に、出生が死亡に対し一二・五分の一対一〇であり、また産児の半数が結婚まで生存する場合には、各一結婚は五人の子供を産まなければならぬ、と推論し得よう。
『かかる原則によれば、もしある国で出生の死亡に対する比率と出生の結婚に対する比率とを得ることが出来るならば、吾々は各一結婚当りの産児数にかなり近いものを計算することが出来よう1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。この数字は実際、旧式の計算方法の結果とは非常に異るものとなるであろう。しかしこの事情はむしろそれが正しいことを示すものである。けだし人口に関する既知の事実は、ヨオロッパの一般平均として四以下を与えるところの一結婚当りの出生数の通常の測定方法によっては、おそらく説明し得ないからである。
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『1)[#「1)」は縦中横] 換言すれば、表の構成に、またはそれから下し得ると思われる推論に、不正確が何もないと仮定して。今のところでは私は不正確はないと思う。
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『ビュフォンはその著作に若干の死亡表を挿入しているが、これは彼のつもりでは全人類に当てはめ得るものと考えらるべきものである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。もし吾々が、一結婚当り子供四人という平均を、ビュフォンの死亡率推定に当てはめるならば、ヨオロッパの人口は、有力な増加傾向を有つことなく、数年にして絶滅するの危険に瀕している、と思われるであろう。それは、幾何級数において増加してはおらず、幾何級数において減少していることになろう。もし、各一結婚につき認められた四人の子供のうち二人が八歳一箇月以下で死亡するものとすれば、吾々が期待し得る極点は、新婚一を得るためには一人半が生残しなければならぬということ、または現在の結婚四は次代の結婚三を生じなければならぬということ、これである。これは久しからずしてヨオロッパの人口を皆無ならしめる減少率である。
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『1)[#「1)」は縦中横] Histoire Naturelle de l'Homme, tom. iv. p. 420. 12mo. 1752.
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『しかし本当のことは、双方の計算が誤っているのである。ビュフォンの表は、パリとその周辺の村落の記録簿から得られたものであり、一般に適用し得るものとは決して考え得ないものである。他の誤りの源泉は、本章でこれまで指摘してきたものである。
『産児の半数が八、九歳以下で死亡するのは、特殊な境遇におかれている不健康な都市や村に限られる。ヨオロッパ中の平均をとれば、啻に産児の半数以上が青春期以上まで生存するのみならず、更に各一結婚は遥かに四以上、思うに五以上の出生を産むことを、私はほとんど疑わない。人口を妨げる貧困は、出生数を減少するよりも有力に死亡数を増加する傾向のあるものである。
『年出生と年結婚の表から結婚まで生存する産児の比率に関して断定を下すことは、右に打樹てた原則に従ってそれが有用たり得る唯一の観点なのであるが、このことをなすに当っては、特別の注意を払わなければ大きな誤りに導く虞れのある一つの事情がある。
『移民が出ている地方教区においては、結婚まで生存する比率は過小に与えられ、また引続き他所者を受入れている都市においては、この比率は遥かに過大に与えられるであろう。年出生の年結婚に対する比率は一般に地方の方が都市よりも高い。しかしもし住民の移動がないならば、都市の比率は遥かに最高であろう。もし地方教区において、出生が結婚に対し四または四・二分の一対一であるならば、この事実は、その地の出生四または四・二分の一のうち、その地で二が結婚まで生存したことを意味するが、しかしおそらく多数のものが移民となって出ており他の地で結婚しているであろうから、従って吾々は、この比率から、四または四・二分の一のうちわずかに二が結婚まで生存したとは、積極的に推論することは出来ない。
『都市では、出生の結婚に対する比率は極めてしばしばわずかに三、及び三・二分の一対一であり、この事実は、三人または三人半の子供のうち二人が結婚まで生存したことを意味するように思われよう。しかしこれらの都市では、おそらく死亡表から、産児の遥か半数以上が青春期以下で死亡することが知られている。従って上記の比率はおそらく、都市で生れて結婚まで生存する子供の真の比率を表わし得ないものであり、その出生は記録簿に現われないのにその結婚は現われている他所者の流入によって生じたものである。幼少年期の大きな死亡率のある都市では、その地で生れたものの結婚以外には記録されぬならば、年出生の年結婚に対する比率は、各一結婚に対しその存続期間中生れる子供の比率よりも大であり、そしておそらく、三または三・二分の一対一ではなく、六または七対一に達するであろう。
『ライプチヒでは、出生の結婚に対する比率はわずかに二・八対一である1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。そしてジュウスミルヒは、この事実をもって各一結婚当りの産児がわずかに二・八なることを意味するものと想像して、この異常な出産性の低さを説明するのに当惑している。しかし記録簿におけるこの外見は、疑いもなく、他所者の大きな流入によるか、または近隣地方の住民の結婚式を市内で挙げる慣習によって、生ずるものである。
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『1)[#「1)」は縦中横] 〔Sussmilch's Go:ttliche Ordnung, vol. i. c. v. s. lxxxiii. p. 171.
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『記録簿がかなり注意深く記録されていると想像さ
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