范ヲなるものは、総じて結婚年齢にあるものの間に予防的妨げが同じく行われていることを、意味するものではないことは、明かである。
予防的妨げが都市で最も行われていることにはほとんど疑いはあり得ないが、それにもかかわらず、都市では地方よりも結婚率が大であるのは、一部分は、青春期以下の人口の比率が小であること、並びに外来者の流入に、よるものである。この反対もまた真であろう。従って、人口の半数が十六歳以下のアメリカのような国においては、年結婚率は、予防的妨げの作用が実際いかに少いかを正確に表わしはしないであろう。
しかし、たいていの国の婦人の自然的出産性はほとんど同一であると仮定すれば、出生率の小なることは一般に、かなり正確に、予防的妨げの行われる程度を表現するものであるが、ただしこの場合それが主として晩婚従って不生産的結婚によって生じたものであるか、または独身で一生を終る青春期以上の人口の比率が高いのによって生じたものであるかは、問わないのである(訳註)。
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〔訳註〕本章のここまでのところは、第三版に書き改められたものが大体第六版まで踏襲されているのであって、第二版のものは全部削除されている。ここまでの第二版の分は(前述の如くそれは同版では第四章となっているが)次の如くである、――
『第四章 結婚の出産性について
『前章で触れた如くロシアにおいては出生の死亡に対する比率は異常なるものがあり、またかかる比率は極めて急速な増加を確証している人口実測によってかなりに確証されているのであるが、かかる事実にもかかわらず、たいていの州においては、各一結婚はわずかに三人の子供を産むに過ぎぬように思われる。
『しかしちょっと考えてみるならば、一国の人口が規則正しく減少するのを防止するためには、各一結婚が、平均して、一結婚を、換言すれば結婚まで生存する子供二人を、産まなければならぬことは、明かであろう。もしその結果がこれに達しないならば、結婚数は徐々として減少していき、そして各一結婚当りの子供の数が依然同一であるならば、人口は云うまでもなく減少し続けるであろう。もし各一結婚が正確に二人の結婚する子供を産むならば、結婚数と子供の数とはどの世代でも同数であるから、人口は減退することも増加することも出来ず、正確に停止的でなければならない。
『各一結婚の産児の数が、ロシアの若干の州の表によると事実らしく見える三人であると仮定すれば、この三人のうち一人が嬰児期、独身期に死亡する全部であると見るのは、比率が小に過ぎることが認められるであろう。しかしこの比率を認めれば――これは今の場合にはおそらく真実であるかもしれぬが――一結婚ごとに正確にちょうど二人の子供が新婚まで生存するということになり、この場合には、前述せるところによって、いかなる増加も不可能である。しかもこれらの同じ州では、出生の死亡に対する比率は、二六対一〇、二二対一〇、二一対一〇、二〇対一〇、等となっており、これは極めて急速な増加を意味する。従ってこの表は極めて甚だしい矛盾を有つわけである。しかも出生及び結婚に関する記述の正確なことを疑う理由はない。そして埋葬の若干の脱漏を斟酌すれば、出生の超過はなお大であろうし、また実際人口が増加しつつあることは前章で述べた人口実測によって確証されているのである。
『これらの表は矛盾はしているけれども、しかしそれは、各一結婚当りの産児数を表わす他国の表以上の矛盾を有っているわけではない。そして、それはおそらく、私が接したことのある一切の政治算術家がこの問題に関して陥っている極めて重大な誤りを説明することとすれば、次章において取扱う機会のある表のより[#「より」に傍点]よき理解をはかる上に与って力あることであろう。
『これらの表は、実際は、年結婚と年出生に関する実測である。そして両者の間の比率はもちろんその年に行われた出生の結婚に対する比率を正確に表わしている。しかしこの比率は、各個の結婚がその存続期間中に産んだ出生数を表わすものと推定されている。いかなる理由によってかかる推定が行われているかは、以下に述べるところによってわかるであろう。
『もし、移民の出国も入国もないある国において、極めて長期間に亙って生じた出生と結婚の数を得ることが出来るならば、結婚数の二倍、または同じことであるが、結婚者の数が、結婚まで生存した産児の数を正確に表わすことは、明かである。そしてこの数と出生数との差は、これまた正確に、嬰児期、独身期に死亡した産児の比率を表わすであろう。しかし、この期間における出生及び結婚の総数は、明かに、年出生の合計と年結婚の合計以上のものではない。従ってもしある国において、年出生と年結婚との間の平均比率を得ることが出来るならば、この比率は、その総数と同じことを、明瞭に表わすであろう。換言すれば、年出生と比較した年結婚者数は結婚まで生存する産児の比率を、また両者の差は、嬰児期、独身期に死亡する産児の比率を、正確に表わすであろう。例えば、もし年結婚の年出生に対する平均比率が、ある国において、一対四であるならば、この事実は、産児四人のうち二人が結婚まで生存し、他の二人は嬰児期、独身期に死亡することを、意味するであろう。これは極めて重要なかつ興味ある知識であり、これから最も有益な推論が引出さるべきものである。しかしそれは、各個の結婚がその存続中に産む出生数とは、全然異るものである。従って、右に行った産児の半数が結婚まで生存するという極めて通例の比率を仮定すれば、各個の結婚当りの産児が四であろうと二であろうと、または一〇〇であろうと、年結婚の年出生に対する比率は一対四であろう。産児一〇〇という数をとれば、今の仮定によれば、五〇が結婚まで生存し、出生一〇〇ごとに二五の結婚があり、しかも結婚の出生に対する比率は依然一対四であろう。同じ比率が明かに各一結婚当りの結婚二と云う場合にも妥当するが、けだしこの比率は一結婚がその存続期間中に産む子供の数によって少しも影響されるものではなく、単に結婚まで生存するこれらの子供の数、または一結婚の元となる出生数に、関するに過ぎないからである。
『年出生の年結婚に対する比率が各個の結婚当りの出生率と同一になる唯一の場合は、出生と死亡とが正確に同数の場合である。そしてこの場合それが同一になる理由は、出生と死亡とを正確に同数ならしめるためには、吾々は、各一結婚は正確にもう一つの結婚を生じ、そして各一結婚から何人の子供が生れるかを問わず彼らは一組のほかは全部嬰児期、独身期に死亡するものと、仮定しなければならぬ、という事実である。かくて、もし各一結婚が五人の子供を産み、そのうち二人だけが新婚まで生存するとすれば、年結婚の年出生に対する比率は一対五であり、この後の数は、仮設によって、各個の結婚が産む出生数と同一のものである。しかし各一結婚の産児が結婚する一組以上か以下の場合には、換言すれば人口が増加しつつあるか減少しつつある場合には、常に、年出生の年結婚に対する比率は、各個の結婚がその存続期間中に産む出生の比率とは同一であり得ないのである。
『従って、それらが同一であると仮定する場合には、常に、いかなる人口増加も不可能である、ということになる。かくて、もし右の推理が承認され、年々結婚する者の年々生れる子供の数に対する比率が結婚まで生存する産児の比率を本当に表わすことが認められるならば、同時にまた、これらの表を作ったものが仮定しているように、それらは各個の結婚が産む出生数を表わすものと仮定すれば、かかる表が全部、人口の停止的なることを証明していることは、明かである。しかるに他の報告によって、急速な増加が進行中であることが、確実に知られている。かくて、スウェーデンにおいて、もし吾々が、一対四・一という年結婚の年出生に対する比率が、四・一の出生のうち一組が結婚まで生存することを表わすものと――これは事実そうなのだが――認め、かつ同時に、ワルゲンティン、ジュウスミルヒ、クロオメ、プライス、その他に従って、各一結婚はその存続期間中にわずかに四・一の出生を齎らすに過ぎぬと仮定すれば、四・一の出生のうち二・一が嬰児期、独身期に死亡し、わずかに各結婚当り二人の子供が新婚まで生存する、ということになり、この場合には何らの増加も不可能なのであるが、しかし死亡[#「死亡」は底本では「出亡」]以上に出ずる出生の超過から見ると、また現実の人口実測から見てさえ、人口増加が著しいことが完全に確かめ得るであろう。
『プライス博士はこの問題を考察した結果、人口の増減が生じつつある国においては、表は各一結婚当りの出生数を正確には表わさないことに気が附いた。しかし彼が、この点に関する正しい結論と私の考えるところに決して到達していないことは、彼が、産児の半数が結婚まで生存すると仮定すれば、もし結婚の出産性が増大するとすれば、出生は結婚の四倍以上に上るであろう、と述べているところからわかる1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。しかるに実際は、正確に産児の半数が結婚まで生存する限り、結婚の出産性がどれだけ変動しようとも、年出生は常に正確に年結婚の四倍であろう2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。
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『1)[#「1)」は縦中横] Observations on Revers. Paym. vol. i. p. 270, note.
『2)[#「2)」は縦中横] 換言すれば、出生をして結婚に影響を及ぼさしめるに足る時が経過したときには。
『なるほどこの時期以前には、プライスの述べるところは正しいであろう。しかし実際上は、一国の婦人が突然通常以上に多産的になるということは滅多にない。そしてこの演繹の原本たる一般死亡表では、出生が結婚に影響を及ぼすようになっていないならば、それはいかなる種類の正しい平均をも表わし得ず、従ってあらゆる見地においてほとんど全く無用であろう、
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『プライス博士がこの問題を理解していないその上の証拠には、彼はこれにつき長い念入りの註釈を加えているけれども、しばしば年出生と結婚の表をもって各一結婚当りの産児数を表わすものとしており、特に、スウェーデンの比率をもって該国の結婚の出産性の程度を示すものと指摘している1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。彼は単に、年出生と結婚の表は、あらゆる場合において、結婚の出産性を正確に表わすものでないと考えたに止り、それがこれと絶対的に何の関係もなく、また、単に不正確であるどころか、他の知識なくただかかる表からだけでは、ある国の結婚の出産性がその持続期間中に出生二を生ずる如きものであるか、または出生一〇〇を生ずる如きものであるかは、決して云い得ないものであることに、少しも気附いていないように思われる。
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『1)[#「1)」は縦中横] Observations on Revers. Paym. vol. i. p. 275.
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『従ってかかる表は、結婚の出産性の表わすものと考えれば、全く無用のものとして排斥されなければならぬが、しかし結婚まで生存する産児の比率を表わすものと考えれば、極めて貴重なものであり、極めて興味ありかつ望ましい知識を与えるものとして保存されなければならない。
『先女帝カザリンは、ロシアの新法典に関する告示の中で曰く、「我が農民は、大部分、一結婚から十二人、十五人、はなはだしきは二十人の子供を挙げている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。」これは確かに誇張であるが、しかしおそらく、この言葉は、ロシアの婦人は一般に多産的であるという知識に基づくものであろう。しかも作られた表によると、たいていの州では、わずか三人の子供しか産まぬことがわかるが、これは女帝の言葉とは全く両立し得ないものである。しかし以上の推理によれば、これらの表は単に、三人の産児のうち二人が結婚まで生存することを表わすだけのことで
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