搗蛯キれば(生命の蓋然率[#「生命の蓋然率」に傍点]と結婚に対する奨励[#「結婚に対する奨励」に傍点]とが引続き同一であるとして)、年出生も埋葬も、年結婚に比例して、増大する、と云っている。年出生率が増大することは確かに本当であり、そして私はここに、前版でこの点についてプライス博士と意見を異にした私の誤謬を、承認する。しかし私はなお、埋葬の結婚に対する比率は、ここに仮定された事情の下では、必ずしも増大しないと考えている。
出生の結婚に対する比率が増大する理由は、出生は、自然の順序上、それから生ずる結婚よりもかなりに前に起るから、その増加は、時を同うする結婚の記録簿よりも出生の記録簿に遥かに影響を及ぼす、という事実である。しかし同じ理由は死亡に関しては決して通用しないが、けだし平均死亡年齢は一般に結婚年齢よりおそいからである。そしてこの場合、出生と結婚との最初の間隔が過ぎた後には、残る永続的結果は、結婚の記録簿は時を同うせる死亡の記録簿よりも出生の増加によって影響を蒙る、ということであろう。従って埋葬の結婚に対する比率は増加するよりもむしろ減少するであろう。平均結婚年齢がしばしば中位死亡年齢よりかなり早いという事情に注意しなかったので、プライス博士がこの註で下している一般的結論もまた、厳密に正確とは思われないのである。
2)[#「2)」は縦中横] 全産児は死亡しなければならぬものであるから、死亡はある場合出生と同数と考えてよいことに、読者は気が附くであろう。もし一定期間にある国に生じた全出生が既婚と未婚を区別して記録されているならば、死亡総数と比較した既婚死亡者数は、結婚まで生存した出生者の比率を正確に表わすことは、明かである。
〔訳註1〕この文は第六版のみに現わる。第三―五版では、『第三に、』という語を冒頭に加えてその次の文から始っている。
〔訳註2〕第三―四版では、ここに『何らかの比率によって』の句がある。
〔訳註3〕第三―第四版には『ほとんど』の語はない。なおこのパラグラフにはその他の用語修正がある。
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平均結婚年齢と平均死亡年齢との間には、何ら(訳註)必然的な関連はない。その資源が急速な人口増加を許す国においては、平均寿命すなわち平均死亡年齢は極めて高く、しかも結婚年齢は非常に若いことがあろう。かかる場合には、記録簿における同時期の死亡数と比較しての結婚は(再婚及び三婚につき修正を行っても)、産児のうちで結婚まで生存するものの真の比率を表わすにははなはだしく大に過ぎるであろう。かかる国では、吾々は、平均死亡年齢は四〇歳、結婚年齢はわずかに二〇歳と想像してもよかろう。かかることは稀であろうが、しかしその場合には、結婚と死亡との間隔は出生と結婚との間隔と等しいであろう。
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〔訳註〕第三―五版にはここに『絶対的に』の語がある。
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以上の観察を記録簿一般に当てはめるならば、吾々は、出生、死亡、結婚の比率は変化するのであり、また平均結婚年齢はわからないのであるから、産児のうち結婚まで生存するものの真の比率を見出し得ることは滅多にないのであるけれども、しかも吾々はそこに含まれる知識から多くの有益な推論を下し、また若干の外見的な矛盾を調和することは出来る。そして結婚が死亡に対して極めて大きな比率をとる国においては、結婚年齢は平均死亡年齢よりも遥かに若いと信ずべき理由があるのが、一般にわかるであろう。
トゥック氏が作り本書六二頁に引用した一七九九年のロシアの表では、結婚の死亡に対する比率は、一〇〇対二一〇となっていた。再婚及び三婚につき修正を行って結婚から六分の一を控除すれば、それは一〇〇対二五二となる。これによると二五二の出生のうちその二〇〇が結婚まで生存したということになるようであるが、しかし吾々は、二五二のうち二〇〇が結婚まで生存するというほどに健康的な国というものは、考えることが出来ない。しかしながら吾々が、ロシアの結婚年齢が平均寿命すなわち平均死亡年齢よりも一五年若いと仮定すれば――これは妥当な仮定と思われるが――結婚まで生存する比率を見出すためには、吾々は、今年の結婚を一五年後の死亡と比較しなければならない。出生の死亡に対する比率を(六二頁で述べた如くに)一八三対一〇〇、死亡率を五〇分の一と仮定すれば、年増加は人口の約六〇分の一となり、従って一五年にして死亡は〇・二八やや強増加しているであろう。そしてその結果は、結婚は一五年後の死亡と比較して、一〇〇対三二二ということになろう。すなわち三二二の出生のうち、二〇〇が結婚まで生存することになるであろうが、これはロシアの子供の周知の健康性と、結婚年齢の若いことから見て、あり得べき比率である。結婚の出生に対する比率は一〇〇対三八五であるから、結婚の出産性は、前述の法則により、一〇〇対四一一となり、すなわち各結婚は、再婚及び三婚も含んで、平均して四・一一の出生をもたらすであろう。
ロシアに関する章の初めの方に載せた表はおそらく正確でなかろう。出生にも死亡にも、なかんずく死亡には、脱漏があると考えて差支えなく、従って結婚率は過大になっている。ロシアにおけるこの大きな結婚率には、このほかになお理由があり得よう。カザリン女帝は、新法典に対する教書の中で、両親が、未だ実際は子供である息子を、女奴隷を買う費用を省く目的で、成人の女子と結婚させるという、農民の間に一般に行われている習慣に、言及している。これらの女子は一般に父の情婦になると云われており、女帝はこの習慣は人口増加に有害なものとして特にこれを非難したのである。この慣行は当然に、再婚及び三婚の数を通常以上に増加せしめ、そして云うまでもなく、記録簿における結婚の出生に対する比率を通常以上に増大させるのである。
『フィラデルフィア協会会報』Transactions of the Society at Philadelphia (vol. iii. No. vii. p. 25.) には、『合衆国における生命蓋然率に関する諸観察』Observations on the Probability of Life in the United States. と題するバアトン氏の一文が載っているが、それでは、結婚の出生に対する比率は一対四・五となっている。彼は実際は六・五と云っているが、彼れの数字からは四・五にしかならない。しかしながら、この比率は主として都市からとられたものであるから、出生はおそらく低過ぎることであろう。そして教会と地方との平均としては五と考えて十分差支えなかろうと思う。同じ典拠によれば、死亡率は約四五分の一である。そしてもし人口が二十五年ごとに倍加するものとすれば、出生は約二〇分の一であろう。結婚の死亡に対する比率は、以上の仮定に立てば、一対二・九分の二となり、そして再婚及び三婚について修正を行えばほぼ二対二・七となろう。しかし、二七の出生の中《うち》二〇が結婚まで生存するとは考えることが出来ない。しかしながらもし、結婚年齢が平均死亡年齢より十年若いとすれば――これは極めてあり得べきことであるが――吾々は、産児のうち結婚まで生存するものの真の比率を得んがためには、今年の結婚を十年後の死亡と比較しなければならぬ。ここに述べた如き人口増加をもってすれば、十年間の死亡の増加は〇・三やや強となり、従ってその結果は、三五一のうち二〇〇、すなわち三五のうち約二〇――二七のうち二〇ではなく――が結婚まで生存することになろう1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。前に設けた法則に従って、結婚を四年後の出生に比較すれば、この場合結婚の出産性は五・五八ということになる。産児の半数が生存する年齢に関するバアトン氏の計算はおそらくアメリカ一般には適用し得ないであろう。この計算の基礎となっている記録簿はフィラデルフィア及び一、二の小都市や村落からとったものであり、これらはヨオロッパの中都市ほど健康に適するとは思われず、従ってこの国一般の基準とはなり得ないものである。
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1)[#「1)」は縦中横] もしバアトン氏が述べている比率が正しいとすれば、アメリカにおける平均寿命はロシアにおけるよりも著しく短いということになるば、さればこそ私は、結婚年齢と死亡年齢との差を、ロシアの如くに十五年とせずにわずか十年としたのである。人口の増加しつつある国における平均寿命を測定する、プライス博士の方法によれば(vol. i. p. 272.)、ロシアにおけるこの平均寿命は約三八であり(出生二六分の一、死亡五〇分の一、中項三八分の一)、結婚年齢を二三歳とすれば、その差は一五年[#「一五年」は底本では「一〇年」]である。
アメリカでは平均寿命は同一の原理によればわずかに三二・二分の一であり(出生二〇分の一、死亡四五分の一、中項三二・五分の一)、結婚年齢を二二歳半とすれば、その差は一〇年である。
右を書いて後に、サン生命保険協会の保険技師ミルン氏の計算を見て、プライス博士の、人口が増加しつつある国における平均寿命の測定法は決して正しくなく、そしてかかる国における真の平均寿命は、年死亡率と年出生率の中項よりも年死亡率に遥かに近いと信ずべき、理由がわかった。しかし私は本章の計算においては中位比率を残しておくことにするが、それはけだし、この中項の方が、平均寿命の長さよりも、死亡が現在の出生と等しくなる時期、または現在の結婚と一致する時期を、よく表わすと思うからである。年出生が著しく年死亡を超過する進歩的な国においては、年死亡が現在年出生と等しくなる時期は、平均寿命よりも短い。(訳註――この最後のパラグラフのみは第六版のみに現わる。)
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英蘭《イングランド》においては、結婚の出生に対する平均比率は、近年は約一〇〇対三五〇と思われる。『英蘭《イングランド》における人口に対する妨げについて』と題する章において、私は出生及び死亡の脱漏はほぼ六分の一と推測したが、これを七分の一と見て、これを出生に加算すれば、私生児の事情も酌量されたことになろう。そうすると結婚は出生に対して四、死亡に対して三ということになる1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。再婚及び三婚についての修正を行うと、結婚の死亡に対する比率は一対三・六となる。英蘭《イングランド》における結婚年齢は平均死亡年齢より約七年若いと仮定すれば、この七年間の増加は、年に一二〇分の一という現在の人口増加率によれば、〇・〇六となり、そして結婚まで生存する比率は、三八一のうち二〇〇、すなわちやや半数以上となる2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。結婚を四年後の出生と比較すれば、結婚の出産性として四・一三六が得られる。
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1)[#「1)」は縦中横] これは一八〇〇年以前の人口の状態に当てはまる。(訳註――この註は第五版より現わる。)
2)[#「2)」は縦中横] 出生三〇分の一、死亡四〇分の一、中項三五分の一。結婚年齢を二八歳と仮定すれば、その差は七年となる。(訳註――第三―五版ではこれに直ちに続いて次の如くあったが、第六版で削除された。『出生及び死亡の脱漏についてこの場所及び前の章で行った斟酌については、私は準拠すべき極めて確実満足な根拠は何もなかったのであるから、これは不正確であるかもしれず、またおそらく過大であろう、もっともかかる斟酌を行っても、国情を考えると死亡率は異常に低いように思われるが。しかしながら、増加率を異にする国では、年死亡はその比較上の健康状態の非常に不正確な基準であることを、注意しなければならない。人口増加が進行中の場合には、人口のうち毎年死滅する部分は、今述べたロシアやアメリカの場合で非常に明瞭にわかったように、平均寿命とは極めて異るものである。そして英蘭《イングランド》の人口増加は近年はフランスよりも急速なのであるから、この事情は疑いもなく、年死亡
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