ノ対する比率は、常に結婚の出産性を過小に表わすであろう。また人口が減少しつつある場合には、これと反対の結果を生ずるであろう。従って問題は、出生と死亡とが同数でない場合に、いくらを加算しいくらを控除すべきか、という点に存する。
 ヨオロッパにおける出生の結婚に対する平均比率は、約四対一である。例証のために、各一結婚が隔年ごとに一人の割合で四人の子供を産む、と仮定しよう1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。この場合、記録簿の期間のどこから始めても、その前の八年間の結婚はわずかにその出生の半数しか産んでおらず、そして残りの半数はこの期間に含まれる結婚と併置され、従ってそれから控除しなければならぬことは明かである。同様にして、この期間の最後の八年間の結婚はその出生のわずか半数しか産んでおらず、従って他の半数が加算されなければならない。しかし任意の八年間の出生の半数は、これに続く三年四分の三の全出生とほとんど同数と考え得よう。最も急速な増加の場合には、それはむしろ次の三年半の出生を超過し、また緩慢な増加の場合には、次の四年間の出生に接近するであろう。従ってその中項は、三年四分の三と見積り得よう2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。従って、この期間の最初の三年四分の三の出生を控除し、またこの期間後の三年四分の三の出生を加算するならば、吾々は、この期間に含まれるすべての結婚により生れた出生とほぼ同数の出生数を得、また云うまでもなくこれらの結婚の出産性を得ることになろう。しかしもし一国の人口が規則正しく増加しており、そして出生、死亡、結婚が引続き常に相互に、また総人口に対し、同一の比率を保っているならば、任意の期間の全出生が、一定年数後の同一の長さの他の任意の期間の全出生に対し、例えば任意の一箇年または五年平均の出生は、同年数後の一箇年または[#「または」は底本では「は」]五年平均の出生に対し、同一の比率を採るであろう。そしてこれは結婚についても同様であろう。従って、結婚の出産性を測定するためには、吾々は、今年または五年平均の結婚を、翌年三年四分の三後の一年または五年平均の出生と、比較するだけでよいのである。
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 1)[#「1)」は縦中横] 蘇格蘭《スコットランド》の統計報告では、同一家族に属する子供の年齢の平均間隔は、約二年と計算されている。
 2)[#「2)」は縦中横] 英蘭《イングランド》に最近生じている増加率(一八〇二年)によれば、この期間は約三年四分の三ということになるであろう。
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 吾々は、今の事例において、各一結婚は四人の出生を産むものと仮定した。しかしヨオロッパにおける出生の結婚に対する平均比率は四対一であり1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、そしてヨオロッパの人口は現在増加していることが分っているから、結婚の出産性は四以上でなければならぬ。もし、この事情を酌量し、三年四分の三ではなく四年という間隔を採るならば、真実に遠からぬものと云い得よう。そして疑いもなく、この期間は国を異にするにつれて異るであろうけれども、しかしそれは吾々が最初想像するほど大きなものではなかろう。けだし結婚がより[#「より」に傍点]多産的な国では、出生は一般により[#「より」に傍点]短い間隔で生じ、またより[#「より」に傍点]多産的ならざる国ではより[#「より」に傍点]長い間隔を置いて生ずるものであり、従って出産性の程度が異っても、この期間は依然同一であり得ようからである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。
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 1)[#「1)」は縦中横] 前述の如くに、一切の記録簿では、出生及び死亡の脱漏が結婚のそれより多いと信ずべき理由があるならば、真の比率はもっと大であろう。(訳註――この註は第五版より現わる。ただし第六版で用語若干訂正。)
 2)[#「2)」は縦中横] 人民の移住が多いところでは、計算はもちろん紊されるであろう。特に、住民が頻々と変っており、またしばしば近隣地方の人民が結婚式を挙げることのある、都市では、出生の結婚に対する比率による推論は信頼を置き得ない。
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 以上の観察からして、人口増加が急速であれば急速であるほど、結婚の真の出産性は、記録簿における出生の結婚に対する比率をますます超過する、ということになるであろう。
 ここに述べた法則は、任意に選んだ結婚の出産性を測定せんとするものである。しかしこの意味の出産性は、初婚または既婚婦人の出産性とは慎重に区別しなければならず、更に最も好適な年齢にある婦人一般の自然的出産性とはいっそう慎重に区別しなければならぬ。おそらく婦人の自然的出産性は、世界の大部分においてほとんど同一であろう。しかし結婚の出産性は、各国に特有な各種の事情、なかんずく晩婚の数によって影響を受けやすいものである。あらゆる国において、再婚及び三婚はそれだけ極めて重大な意義を有するものであり、そして平均比率に本質的な影響を与えるものである。ジュウスミルヒによれば、全ポメラニアで、一七四八年と一七五六年とを含めてその期間に、結婚したものの数は五六、九五六であり、そのうち一〇、五八六は鰥夫寡婦であった1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。ブッシングによれば、プロシア及びシレジアで、一七八一年に結婚者二九、三〇八の中《うち》、四、八四一は鰥夫寡婦であったのであり2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]、従って結婚の比率はたっぷり六分の一だけ過大になることになろう。既婚婦人の出産性を測定するに当っては、私生児の数は3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]、たとえその程度は軽微であるにせよ、結婚の超過を相殺する傾向があるであろう。そして再婚する鰥夫の数は寡婦の数より多いことが分っているのであるから、右の修正の全体はこの理由によりそのまま適用することは出来ないが、しかし、吾々がこれから試みるところの、結婚と出生または死亡の比較によって結婚まで生存する産児の比率の測定を行うに当っては、この修正の全体が常に必要なのである(訳註)。
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 1)[#「1)」は縦中横] 〔Go:ttliche Ordnung, vol. i. tables, p. 98.〕
 2)[#「2)」は縦中横] Sussmilch, vol. iii. tables, p. 95.
 3)[#「3)」は縦中横] フランスでは、革命前には、私生児の比率は全数の四七分の一であった。我国ではおそらくこれより低いであろう。
〔訳註〕第三―五版では、この次になお若干のパラグラフがあったが、それは第六版で削除された。それは次の如くである、――
『結婚まで生存する産児の比率を見出すためには、吾々はまず結婚から六分の一を控除し、次いでかくの如くして修正を加えた任意の年の結婚を、平均結婚年齢と平均死亡年齢の差に等しい間隔を置いている記録簿の死亡と、比較しなければならない。
『かくて例えば、もし結婚の死亡に対する比率が一対三であるならば、結婚から六分の一を控除すればこの比率は五対一八となり、そして年々結婚する初婚者の数は年死亡数に対して一〇対一八となるであろう。この場合、中位死亡年齢を中位結婚年齢より十年おそいと仮定し、この十年間に死亡が九分の一増加するとすれば、年々死亡年齢の差だけの間隔を置いた年死亡数と比較すれば、一〇対二〇となり、この事実から、産児の半数が結婚まで生存するということになろう。
『この法則の根拠は、記録簿一般に関する次の観察によって、明かとなるであろう。
『人口が停止的な国においては、同時的死亡は出生と比較すれば同数であり、云うまでもなく全産児中の死亡を表わすであろう。そして結婚は、またはもっと適切に云って、出生と死亡との両者と比較した結婚者の数は、再婚及び三婚につき適当な斟酌をすれば、結婚まで生存する産児の正しい比率を表わすであろう。しかしもし人口が増加か減少をしつつあり、また出生、死亡、結婚が同一率で増加か減少をしつつあるならば、出生と比較した死亡と、出生及び死亡に比較した結婚は、記録簿において時を同うする出来事が自然の順列においても時を同うするのでない限り、以前に表わしたものをもはや表わさないであろう。
『第一に、死亡は出生と同時的であり得ず、平均して常に平均寿命または中位死亡年齢と等しいだけの間隔を置いていなければならぬことは、明かである。従って、全出生中の死亡は、移民がない場合には、記録簿の中に存在するにもかかわらず、または存在するであろうにもかかわらず、しかも、人口が停止的な場合を除いては、出生及び死亡の同時期は決してこれを示さず、そして吾々はわずかに、もし死亡を、記録簿の出生から平均寿命に等しいだけの間隔をおいて、とるならば、死亡が出生に等しいことを見出すのを、期待し得るに過ぎない。そして実際上、出生及び死亡は、このようなとり方をすれば、常に同数であることが見出されるであろう。』
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 第二に、ある年の結婚はその結婚を行うものの出生とは決して時を同うすることは出来ず、常に平均結婚年齢に等しいだけの間隔を置いていなければならぬことは、明かである。もし人口が増加しつつあるならば、今年の結婚は、今年の出生よりも少数の出生により行われるものであり、そして云うまでもなく、時を同うする出生と比較しての結婚は、常に、産児の中《うち》結婚まで生存するものの比率を表わすには、少な過ぎるであろう。そしてもし人口が減少しつつあるならば、この反対のことが生ずるであろう。従ってこの比率を見出すためには、吾々は、ある年の結婚を、平均結婚年齢だけこれから遡った年の出生と、比較しなければならぬのである。
 しかしこの時期との隔りが大きいから、結婚をこれと時を同うする死亡と比較するのが、本質的にはそれほど正確ではないけれども、しばしばより[#「より」に傍点]便であろう(訳註1)。平均結婚年齢と平均死亡年齢との間隔は、ほとんど常に、結婚と出生との間隔よりも小であろう。従って時を同うする年死亡と比較した年結婚の方が、出生と比較した結婚よりも、結婚まで生存する産児の真の比率を、よく表わすであろう1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。出生と比較した結婚は、再婚及び三婚につき適当な斟酌を行っても、人口が絶対的に停止的であるのでない限り、結婚まで生存する産児の真の比率を決して表わすことは出来ない。しかし(訳註2)、人口が増加しつつあっても減少しつつあっても、平均結婚年齢はなお平均死亡年齢と等しくあり得よう。そしてこの場合には、時を同うする死亡と比較した記録簿の結婚は(再婚及び三婚につき修正を行えば)、結婚まで生存する産児の真の比率をほとんど(訳註3)表わすであろう2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。しかしながら、一般に、人口増加が進行中の場合には、平均結婚年齢が平均死亡年齢よりも少く、従って時を同うする死亡と比較した結婚の比率は、結婚まで生存する産児の真の比率を表わすには大に過ぎるであろう。そこでこの比率を見出すためには、吾々は、ある特定の年の結婚を、記録簿においてその年から平均結婚年齢と平均死亡年齢との差に等しいだけ間隔を置いた、その後の年の死亡と比較しなければならない。
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 1)[#「1)」は縦中横] プライス博士は極めて正当にも曰く、(Observ. on Revers. Pay. vol. i. p. 169, 4th edit.)『一国において進行中の増加の及ぼす一般的結果は、一定数の産児のうち結婚するものの真の比率よりも、年々結婚する者の年死亡に対する比率を、大ならしめ、またそれの年出生に対する比率を、小ならしめるにある。この真の比率は一般に右の二つの比率の中間にあるものであるが、しかし常に前者の方に近い。』この説に私は全く同意するが、しかしこの章句に対する註では彼は誤謬に陥っているように思う。彼は、結婚の出産性が
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