に接しても、吾々は少しも驚くことはないのである。彼は九箇年に関して表を与えているが、その中から次の例を引いている。
[#ここから表]
/年次/結婚/出生/死亡
凶年/一七五七年/一八、七九九/八一、八七八/六九、〇五四
凶年/一七五八年/一九、五八四/八三、二九九/七四、三七〇
豊年/一七五九年/二三、二一〇/八五、五七九/六二、六六二
豊年/一七六〇年/二三、三八三/九〇、六三五/六〇、〇八三1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
[#ここで表終わり]
この表によると、一七六〇年に出生は死亡に対して一五対一〇であるが、一七五八年にはわずかに一一対一〇であることがわかる。ワルゲンティン氏が与えている一七五七年及び一七六〇年の人口実測によって見れば2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]、一七六〇年の結婚数は全人口に対して一対一〇一であるが、一七五七年にはわずかに一対約一二四であることがわかる。一七六〇年の死亡数は全人口に対して一対三九、一七五七年は一対三二、一七五八年は一対三一である。
[#ここから2字下げ]
1)[#「1)」は縦中横] 〔Me'moires Abre'ge's de l'Acade'mie de Stockholm, p. 29.〕
2)[#「2)」は縦中横] Id. p. 21, 22.
[#ここで字下げ終わり]
スウェーデンの記録簿に関する観察の中で、ワルゲンティン氏は、不健康な年には毎年約二九分の一、健康な年には三九分の一が、死亡し、従って中項をとれば平均死亡率は三六分の一と考え得よう、と云っている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。しかし、二九と三九の平均は三四であるから、この推論は正しくないように思われる。そして事実、彼自身が提出している表は三六分の一という平均死亡率とは矛盾し、それが約三四※[#4分の3、1−9−21]分の一であることを証しているのである。
[#ここから2字下げ]
1)[#「1)」は縦中横] Id. p. 29.
[#ここで字下げ終わり]
年々この結婚の全人口に対する比例は平均してほとんど一対一一二であり、その時々に家族扶養の見込に応じて、一対一〇一と一対一二四の両極間を上下するように思われる。おそらく実際はそれはもっと大きな両極の間を上下するのであろう。けだしこの計算の行われた期間はわずかに九箇年に過ぎないからである。
ワルゲンティン氏は、同じ書物に発表されている他の論文の中で、再び、スウェーデンにおいては、生産物の最も豊かな年はまた子供が最も多く生まれる年である、と述べている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
[#ここから2字下げ]
1)[#「1)」は縦中横] Id. p. 31.
[#ここで字下げ終わり]
もし他の国でも正確な観察が行われるならば、たとえ程度は同じでなくとも同じ性質の差異が現れるべきことは、ほとんど間違いがない1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。スウェーデンについて云えば、この差異は、その人口が極めて有力な増加の傾向を有ち、そしてそれは、啻《ただ》に生活資料の平均的増加が少しでもあれば常にこれに間髪を容れずに追随せんとしているばかりでなく、更に一時的な偶発的な食物増加があるごとに直ちに増進を始め、かくの如くしてそれは絶えず平均的増加を超過しつつあり、そして激烈な窮乏の週期的襲来とそれから生ずる疾病によって抑圧されるものなることを、明かに立証するのである。
[#ここから2字下げ]
1)[#「1)」は縦中横] この事実は、英蘭《イングランド》に関し、最近発表された教区記録簿摘要によって、確証された。一七九五年と一八〇〇年とは、結婚及び出生の減少と、死亡の増加とを、特徴としている。
[#ここで字下げ終わり]
しかも、かくの如き不断のかつ顕著な過剰人口の傾向があるにもかかわらず、奇怪至極にも、スウェーデンの政府と経済学者とは、絶えず、人口を、人口を、と要求しているのである。カンツレエルは、政府は外人の国内移住を誘う能力もなく、また出生数を任意に増大する能力もなくして、一七四八年以来、国の人口を増加するに適すると思われるあらゆる手段に没頭している、と云っている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。しかし、政府が実際に外人の移住を誘う能力を有ち、また出生数を任意に増大する能力を有つと仮定して、その結果はどうであろうか。もし外人がより[#「より」に傍点]良い農業制度を導入するのでなかったならば、彼ら自身が飢えるか、またはより[#「より」に傍点]多くのスウェーデン人を飢えさせるかのいずれかであろう。そしてもしも年出生数が著しく増加するならば、その主たる結果が単に死亡率の増加に過ぎないことは、ワルゲンティン氏の表から見て、私には全く明瞭なことと思われる。現実の人口はおそらくそれによって減少さえすることもあり得よう。けだし栄養不良と人家の密集とにより伝染病がひとたび発生する時には、それは常に必ずしも過剰人口を除去した時に終了するとは限らず、それと共に、その人口のうち国が十分養い得る一部分、しかも往々にして極めて大きな部分をも、除去してしまうからである。
[#ここから2字下げ]
1)[#「1)」は縦中横] 〔Me'moires du Royaume de Sue`de, c. vi. p. 188.〕
[#ここで字下げ終わり]
農業上の主作業が必然的に夏の二、三箇月の短期間に限らなければならぬあらゆる北国地方では、この期間の人手不足はほとんど不可避的に生ずるであろう。しかしこの一時的不足は、単に二、三箇月ではなく丸一年を通じて職業と生活とを与える力を意味するところの真実の有効な労働需要とは、慎重に区別しなければならない。スウェーデンの人口は、その増加の自然的過程においては、この有効需要に常に十分応ぜんとしているであろう。そして、これ以上に出ずる供給は、それが外人によるものであろうと出生数の増加によるものであろうとを問わず、ただ窮乏を生み出し得るに過ぎないのである。
スウェーデンの学者は、スウェーデンでは一定の人数と日数で生産するものは、他のどの国に比べても三分の一に過ぎない、と云っている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。その結果として国民の勤労ぶりに対して強い非難が挙げられている。こうした非難の一般的根拠については、他国人は決して適当に是非の判断を下すことは出来ないが、しかし今の場合では、国民の勤勉が現実に不足しているというよりも、気候と国土とがより[#「より」に傍点]多くその原因となっているように、私には思われる。一年の大部分の間彼らの努力は必然的に峻烈な気候によって妨げられ、そして農事作業に従事し得る時期には、土地が本来農業に適せず、そして一定の生産物を得るに必要な面積が大であるために、比較的より[#「より」に傍点]多量の労働を用いざるを得ない。貧弱な土壌から成る広大な農場が、肥沃な土地から成る小さな農場よりも同一の生産物に対し遥かにより[#「より」に傍点]大なる費用を要することは、英蘭《イングランド》では周知のことである。一般的に云えば、スウェーデンの土壌が本来貧弱であることは否定し得ない2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。
[#ここから2字下げ]
1)[#「1)」は縦中横] Id. p. 191.
2)[#「2)」は縦中横] カンツレエルは、有効に播種[#「有効に播種」に傍点]された土地からの収穫も、一粒当り三粒に過ぎぬ、と云っている。Ch. vi. p. 196.(訳註――この註は第六版のみに現れる。)
[#ここで字下げ終わり]
この国の西側の旅行中に、またその後ノルウェイからストックホルムまでこの国を横断し、そこから東海岸を上ってフィンランドに渡るところへ行く間で、私は予期すべきほどには国民の勤労が不足している徴標を見なかったと告白せざるを得ない。私の判断し得た限りでは、英蘭《イングランド》だったら開墾されるだろうと思われる土地で開墾されていないのはほとんど見受けず、そして英蘭《イングランド》では犁《すき》が触れたことがないような土地が、数多く耕やされているのを、確かに見た。それは五|碼《ヤード》[#「碼」は底本では「※[#「口+馬」、第3水準1−15−14]」]ないし十|碼《ヤード》[#「碼」は底本では「※[#「口+馬」、第3水準1−15−14]」]ごとに大きな石や岩があり、犁を使う時にはそれを迂廻するかその上を持上げて越さなければならぬ土地であり、そのいずれかが岩石の大きさに応じて一般に行われている。犁は非常に軽くて一頭の馬が索《ひ》き、木の株の間を耕す際には、それが低ければ、一般にはその上を持上げて越すのである。犁を持つ男はこれを極めて素早くやり、ほとんどまたはは全く馬を止めないでするのである。
現在広大な森林で蔽《おお》われている土地を耕作するの価値については、私は何とも判断することが出来ない。しかし、スウェーデン人もノルウェイ人も、余りに軽率に、開拓した場合土地の真の価値がどうなるであろうかをあらかじめ考慮することなく、森林を開拓する、と非難されている。その結果として、焼木の灰から得られる肥料により常にライ麦が一作だけ良い作が得られるというので、それだけのために多くの若木が時に台なしになり、そして土地はその後にはおそらくほとんど全く役に立たなくなってしまう、ということになるのである。ライ麦の収穫後は、たまたま成長する草で家畜を飼うのが通例である。土地が本来良質の場合には、家畜の飼育は新らしい樅の成長を防止するが、しかしそれが瘠《や》せている場合には、家畜はもちろん永い間そこに止まることが出来ず、従って風が吹くたびに種子が運ばれて土地は再び樅が密生することとなるのである。
ノルウェイ及びスウェーデンにおけるこの種の多くの土地を観察して、私は、――これは他の理由からするとほとんど不可能な想像なのであるが――かかる外見からすると、これらの国が現在よりも過去の方が人口が多かったかもしれず、また現在森林で蔽われている土地も一千年以前には穀物を生産したかもしれぬ、と想像してもよかろうという感想に、打たれざるを得なかった。戦争や疫病《ペスト》やまたそのいずれよりも有力な人口滅殺者たる暴政が、突如として住民の最大部分を破壊しまたは追放したかもしれぬ。そしてノルウェイまたはスウェーデンで二、三十年間も土地を放置しておけば、国の外見にははなはだ奇異な変化が生ずることであろう。しかしこれはただ私が云わないでいられない一つの感想にすぎず、これは私をしてこの事実を少しでも信ぜしめるほどの力のあるものではないことは、読者の既に知られるところである。
スウェーデンの農業に戻ろう。国民の勤労が足りないかどうかを別問題として、この国の政治制度には、その耕作の自然的進歩を阻害するある事情が確かにある。今日なお若干の煩わしい賦役制度が残存しており、これは一定の土地の所有者が王領のために負担させられるものである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。この国の駅逓は確かに安価で旅行者に便利であるが、しかしその実施のためには農業者は人間の点でも大きな労働の浪費をしなければならぬ。スウェーデンの経済学者の計算によれば、この制度の廃止によって浮く労働だけで、年三〇〇、〇〇〇タンの穀物が生産されるであろうという2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。スウェーデンでは市場が非常に遠く、またそのほとんど必然的な結果として、分業が非常に不完全であるためにも、時間と労力の大きな浪費が生ずる。そしてスウェーデンの農民の間に勤労と活動との著しい不足は何もないとしても、最上の輪作法や土地を施肥し改良する最良の方法についての知識の不足は、確かにあるのである3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。
[#ここから2字下げ]
1)[#「1)」は縦中横] 〔Me'moires du Royaume de Sue`de, ch. vi. p. 202.〕
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