ニの極度に困難なるを証示するものである。だがただその産業を、またその生活の源泉を除去すれば、その結果は直ちに現われるのである。
 この教区では、一結婚当りの平均出生数は、年出生の年結婚に対する比率からするとわずかに四・三分の二人に過ぎないように見えるであろうが、実は七人であると云われていることが、観られるであろう。この差異は他の多くの教区にも生じているのであり、吾々はこのことからして、これらの報告の筆者は、極めて適切にも、単なる年出生の結婚に対する未訂正の比率に依拠するというのとは違う他の計算方法を採用したのであり、そして彼らの与える結果はおそらく、個人的な調査や記録簿の研究を行って、一人の女が結婚中に産んだ子供の数に基づいて与えられたのだと、結論してよいであろう。
 蘇格蘭《スコットランド》の婦人は多産のように思われる。一結婚当り子供六人という平均はしばしばあり、七人または七人半ですらそれほど珍らしくない。非常に珍らしい一例があるが、それは一結婚当り七人半という数が実際生存していたらしいからであり、この事実は云うまでもなく、より[#「より」に傍点]多くの子供が事実生れたしまた生れ得ることを意味するものである。キンカアダイン郡のニッグ教区1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]に関する報告には、農家五七、子供四〇五人で、一家族当り約七・九分の一であり、漁家は四二、子供が三一四人で、一家族当り七人半とある。子供のない農家は七、漁家は零であった。もしこの記述が正しいならば、一結婚はその存続中に九人ないし一〇人にも及ぶ子供を産んだに違いなく、または産みうるものと、私は考えざるを得ない。
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 1)[#「1)」は縦中横] Vol. vii. p. 194.
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 実測によって、一結婚当り約三人の子供があり、すなわち一家に五人またはわずか四人半しかいない――これは極めて普通の比率であるが――ことがわかった場合に、吾々は、一結婚当りの平均出生数は三人以上に多く出ずるものでない、と推論してはならない。吾々は、本年の一切の結婚または世帯にもちろん子供がなく、前年の一切のそれにはただ一人、その前年の一切のそれには二人も子供があろうとは期待し難く、そして四年前の一切のそれに至っては、通常の事態においては、確かに三人以下しかないことを、想起しなければならない。五人の子供の中《うち》、十年を経て一人死ぬというのは異常な低率であり、また十年の後には、長子はその親のもとを離れはじめるものと考え得よう。従ってもし各結婚がその存続期間中に正確に五人を産むと仮定しても、その成員の充実し切った家族もわずかに四人の子供しかもたず、そしてそこまで行っていない家族の大部分は、三人以下しかもたないであろう1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。従って私は、家族の中で両親の一方が死んだと考え得るものの数を斟酌した上で、この場合一家族当り四人半という数になるかどうかには、大きな疑問をもつものである。前述のデュウシル教区2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]においては、一結婚当り子供の数は七人、一家族当りの人数はわずか五人、とある(訳註)。
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 1)[#「1)」は縦中横] 平均して、同一家族内の子供の年齢の差は、約二歳と計算されている。
 2)[#「2)」は縦中横] Vol. iv. p. 308.
〔訳註〕第二版ではこの次に一パラグラフがあったが、これは第三版に至って削除された。それは次の如くである、――
『私がこの事情に着目したのは、結婚は一般に、通常想像されているよりも多産的であるということを証明するために、提出された証拠に対し、かかる調査の結果からおそらく提出されると思われる反対論を、避けんがためである。一結婚当りの子供の平均数を六人、七人、及び七人半だとする蘇格蘭《スコットランド》の多くの教区の報告は、この仮定を極めて力強く確証する傾向がある。そしてこの同じ教区において、年出生の年結婚に対する比率は滅多に三・五、四、または四・五対一以上ではないのであるから、それは同時に結婚の出産性をこのようにして測定する方法の誤りを証明するものである。筆者がこの方法を採用した教区においては、彼らは一般に、当然予期される如くに、三人、三人半、四人、四人半をもって、一結婚当りの子供の平均数としているのである。』
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 蘇格蘭《スコットランド》の貧民は一般に、教区牧師の監督の下に分配される義捐金《ぎえんきん》によって養われている。そして全体として、この義捐金は非常によく管理されているように思われる。しかし救済を受ける請求権はなく1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、またその募集法からして支給は必然的に不確実でありまた決して豊富ではないので、貧民はそれをもって単に極度の貧窮の場合の最後のより所と考えるに過ぎず、安全に依頼することが出来かつあらゆる艱難に際して国法によってその適当な分け前が彼らに与えられるところの資金とは、決して考えていないのである。
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 1)[#「1)」は縦中横] 最近議会において、蘇格蘭《スコットランド》の貧民法は、英蘭《イングランド》のそれとは極めて異って解釈され実施されているが、本質的にはそれと異るものではない、と述べられた。しかし、この問題に関する法律がどうあろうとも、実際は一般にここに記した通りである。そして現在の問題に関係があるのは実際の点だけである。(訳註――この註は第三版に現われ、そこでは前半は、『大蔵省のロウズ氏は、貧民の問題に関する最近のパンフレットの中で、この記述を論難している。しかし、この問題に………』となっている。本文の形になったのは第四版からである。)
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 その結果として、一般人は、こんな乏しい当てにならぬ救済を乞う必要を避けるために非常な努力をしている。報告の多くには、彼らは疾病や老齢に備えて蓄えをしないことは滅多になく、一般に、教区の救済を受けなければならぬ恐れのあるものの、大きくなった子供や親戚は、普く一家の恥辱と考えられているかかる堕落を出来るなら防止しようと、進んで助力をするのである。
 各種教区の報告の筆者はしばしば、極めて強い言葉で英蘭《イングランド》流の貧民税賦課制度を非難し、蘇格蘭《スコットランド》流の救済という方法が決定的に優れていると云っている。工業都市ではあるが貧民が多数いるペイズリに関する報告1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]の中で、筆者はなお英蘭《イングランド》の制度を非難し、そしておそらく行き過ぎの記述をしている。彼は曰く、英蘭《イングランド》ほど多額の貧民救済金はどこでも見られないが、しかも英蘭《イングランド》ほど貧民の多い国はない。そして彼らの状態は、他国の貧民[#「他国の貧民」に傍点]に比較して、真に最も悲惨である[#「真に最も悲惨である」に傍点]、と。
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 1)[#「1)」は縦中横] Vol. vii. p. 74.
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 ケエラヴェロックに関する報告には1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、貧民はいかに給養せらるべきかという問題に答えて、極めて適切に次の如く述べてある。『窮迫と貧困とはそれを救済するために作られた資金に比例して増大する。慈善の方策は、それを分配すべき必要が生ずるまでは、眼に見えぬようにしておくべきである。蘇格蘭《スコットランド》の地方教区では、一般に、少額の随時の自発的義捐金で十分である。立法は、既に十分あり余る水流を増大するために、干渉する必要はない。最後に、貧民税の創設は啻に不必要なるのみならず有害であるが、けだしそれは、貧民に何らの救済をもたらすことなくして、土地保有者を圧迫する傾向があろうからである。』
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 1)[#「1)」は縦中横] Vol. vi. p. 21.
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 以上の如きものが大体において蘇格蘭《スコットランド》の牧師の一般的意見であるように思われる。しかしながら若干の例外はある。そして課税制度が時に是認され、その創設が推奨されている。しかしこれは驚くに当らない。これら教区の多くでは未だ実験を経ていない。そして理論上人口原理を完全に知得することもなく、実践上貧民法の弊害を十分知らなければ、この問題を一見したとき、慈善心の有無を問わずにその能力に応じて納附せしめられ、その時々の必要に応じて増減され得べき、課税の提唱ほど、自然に見えるものはないのである。
 蘇格蘭《スコットランド》では、通常の場合と同様に、伝染病と伝染性疾患とは主として貧民を襲っている。壊血病はある地方では極度に厄介で頑固である。またある地方では伝染性癩病を起し、その結果は常に恐るべきものであり、しばしば致命的である。ある筆者はこれを人性に対する天罰、悪毒と呼んでいる1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。それは一般に、寒い湿潤な環境、乏しい不健康な食物、湿っぽい密集した家屋から生ずる不純な空気、怠惰な習慣、及び清潔に対する不注意に、帰せられている。
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 1)[#「1)」は縦中横] Parishes of Forbes and Kearn, County of Aberdeen, vol. xi. p. 189.
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 広く拡っているリウマチスや、一般人の間に頻々とある肺病も、著しい程度にこれら諸原因に帰せられている。どこでも特殊の事情により、貧民の境遇が悪化した時には、常に右の疾病特に後者の流行が激しくなるのが、見られている。
 軽い神経性熱病や、その他もっと激しい致命的なものが、しばしば流行し、そして時に多数の生命を奪い去る。しかし、従前|蘇格蘭《スコットランド》を襲った疫病《ペスト》の絶滅以後、最も致命的な伝染病は天然痘であり、それは多くの地方では定期的に囘起し、他の地方では不定期的であるが、それも七、八年以上間を置くことは滅多にない。その暴威は、恐るべきものがある、もっともある教区では以前ほど致命的ではないけれども。種痘に対する偏見はなお大きく、そして処置法も小さな密集した家屋では必然的に不十分たらざるを得ず、また病気中見舞に行き合う習慣がなお多くの地方に行われているので、死亡率は高く、貧民の子供が主としてこれにかかるに相違ない、と想像し得よう。西部諸島及びハイランド地方のある教区では、一家の人数が四人半ないし五人から六人半ないし七人に増加している。もしかかる激増が、それに対する適当な備えもなしに生ずるならば、たとえ疾病を生じないとしても、一旦病気が襲来した時にはその荒廃に十倍の力を与えるに違いないことは、明かである。
 蘇格蘭《スコットランド》は常に凶作に襲われており、時には恐るべき飢饉にすら襲われている。一六三五年、一六八〇年、一六八八年、十六世紀(訳註)末の数年、一七四〇年、一七五六年、一七六六年、一七七八年、一七八二年及び一七八三年は、いずれも各所で、欠乏の大厄年として指摘されている。一六八〇年には、この原因のために極めて多数の家族が死滅して、ためにこの人口稠密な六|哩《マイル》に亙って人煙を見ざるに至った1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。十六世紀(訳註)末の七年間は、凶年と呼ばれた。モントキュイッタアの教区に関する報告の筆者2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]の言によれば、その近隣の一農場の一六家族のうち一三家族が絶滅し、もう一つの農場では、一六九人のうち、わずかに三家族が(土地保有者も含めて)生き残ったに過ぎなかった。現在百人も住んでいる広大な農場が、全く荒廃に帰してしまって、放羊場に変えられた。この教区の住民は、一般に死亡によって半減し、またあるものの主張によれば四分の一に減少した。一七〇九年に至るまでは多くの農場は荒地となっていた。一七四〇年にはまたも凶作が起り、貧民は死にはしなかったが極度の窮
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