アろを述べたが、一八一一年の実測もおそらく一八二一年のものほどは正確でないらしい。そうすると二つの期間の増加率は上記のようには大きくはないことになろうが、しかしそれでもなおそれは極めて異常であることがわかるであろう。
前に推定した見積りによれば、一八〇一年の実測で得られた人口は、約一一九、〇〇〇だけ実際より少かった。そしてもしこの理由によって、一八〇一年の人口調査の女子人口が六〇、〇〇〇だけ脱漏しているとし、また一八一一年のそれが三〇、〇〇〇だけ脱漏していると仮定すれば、各期間における英蘭《イングランド》及びウェイルズの女子人口は、一八〇一年には四、六八七、八六七、一八一一年には、五、三一三、二一九、一八二一年には六、一四四、七〇九となり、これは一八〇〇年ないし一八一一年の期間には一三・三パアセント、一八一〇年ないし一八二一年の期間には一五・六パアセントの増加となり、前者の期間の増加率は、もし継続するならば、五五年にして人口を倍加し、後者のそれは四八年にして倍加するであろう。二〇年間全部をとれば、増加率は、もし継続するならば、約五一年にして人口を倍加するであろう。
これは、この国の領土と比較してのその実際の人口と、その大都市や工場が多いこととを考えれば、疑いもなく極めて異常な倍加率である。しかしながらそれは、『人口摘要』の『緒論』に述べられているものよりは低い。しかもこの低い増加率によってさえ、教区記録簿における脱漏は、ことに出生に関しては、最近は減少するよりはむしろ増加していると考える必要がある。そしてこれはリックマン氏の『緒論』における言明が裏書きしている。彼は曰く、『記録洩れの洗礼及び埋葬に関する問題は、一八一一年の脱漏程度においてほとんど四対一の差を示し、記録洩れの洗礼の年平均数は(数州の終末に述べた如く)一四、八六〇であり、埋葬は(ロンドンを除き)三、八九九であった。現在は脱漏程度において五対一であり、記録洩れの洗礼の年平均数は(数州の終末に述べた如く)二三、〇六六であり、埋葬は(ロンドンを除き)四、六五七である。』更に続けて曰く、『最も人口稠密な地方、特に住民の多くが非国教徒であるところでは、牧師が通常見積りをあえてするのを避けるので、これもまた記録洩れの洗礼の全量または比率を現わしていない。』これに反し、埋葬地は目に見えるものであり、そしてこれに関係するものの中でも牧師は通常埋葬数(多かれ少かれ正確な)内容を知ることが出来るのである。
かかる理由から、非国教徒の数の増加その他の原因によって、出生記録簿の脱漏は最近はおそらく減少よりはむしろ増加してきているらしい。しかし一八一二年の条令以来、出生の記録簿は前よりも注意深く記録されていると考えられている。そして、一八二〇年をもって終る一〇箇年間では、出生の結婚に対する比率がより[#「より」に傍点]大であることは、確実である、――もっとも出生及び結婚の総人口に対する比率は共に、一八〇〇年におけるよりも、また一八一〇年をもって終る十箇年間におけるよりも、小であるけれども。かかる事情の下においては、出生及び埋葬の脱漏の蓋然数について何らかの新しい結論を引出す前に、より[#「より」に傍点]以上の文献が現われるのを待った方がよいかもしれぬ。確実と考え得ることは、出生を六分の一、埋葬を十二分の一だけ加え、国外死亡者につき適宜斟酌すれば、これはリックマン氏の数字による一七八一年ないし一八〇一年の二十箇年間の人口増加を説明して余りあるものであるけれども、それは実測による一八〇一年ないし一八二一年の二〇箇年間の人口増加を説明するには足りない、ということこれである。
人口実測の結果は、なかんずく最近二囘のそれは、各所に住所をもつものが一囘以上数えられたので、実数以下よりもおそらく以上になっていると推察されている、と私は聞いた。この推定は、外見上は人口が異常な速度で増加したにもかかわらず、出生及び結婚の総人口に対する比率が減少した事実を説明するものと、認めなければならぬ。しかし同様な比率の減少は、死亡率の減少によっても生ずるであろう。そして死亡率の減少は他の理由から満足に確証されたのであるから、それは立派に右の現象の大部分を説明するであろう。そして二重計算によるものと正当に考え得るものがあるとしても、それはほんのわずかな数であるはずである。
出生及び埋葬の両者に大きな脱漏があり、それは後者より前者の方が大であることは、全く疑い得ない。報告の作成に関係したあらゆる僧侶の証言は、リックマン氏によれば、この点で一致している。そしてもし吾々が、一八〇一年ないし一八二一年の脱漏の比率をもって、一七八一年ないし一八〇一年について仮定したと同一であると仮定し、この前者の人口実測における二重記入の数はおそらく脱漏の数によって相殺されるものと推定すれば、国外死亡を除外した出生の超過だけで、人口は、一八二一年の人口実測よりも一八四、四〇四だけ多くなり、また国外死亡を酌量してこれを加えると(それは、この場合、男子の出生の超過を男女の死亡に比較したところから見ると、一二八、六五一であることがわかる)、三一三、〇五五だけ多くなることがわかるであろう。
過去二囘の報告において、脱漏によって相殺されない二重記入がかかる数に上ると仮定すれば、これら人口実測は更に極めて驚くべき人口増加を示すであろう。一八〇一年ないし一八一一年の期間の増加率はほとんど一三パアセント(一二・八八)となり、これは約五七年にして人口を倍加するであろう。そして一八一一年ないし一八二一年の期間では増加率はほとんど全く一五パアセント(一四・九五)となり、これは人口を五〇年にして倍加するであろう。
吾々は現在のところ人口実測の誤りが不足にあるか過大にあるかがわからないのであるから、私は、本章の前の方で与えた一七八一年ないし一八一一年の修正人口表を改めた方がよいとは考えたことはない。それは、出生のみによる推算よりも遥かに安全な原理に基づいているのであるから、従ってそれはとにかく『緒論』において与えられているよりも正確な人口増加を示すものでなければならぬ。
実際人口報告を考察してみればみるほど、出生率は常にほとんど同一であろうという仮定に基づく過去の人口の推算が、すべていよいよ不確実であることがわかる。もし一八二一年以後の人口を、リックマン氏がその前年に行ったと同一の方法で見積るとすれば、一八二一年の人口は人口実測の示す如き一二、二一八、五〇〇ではなく、わずかに一一、六二五、三三四に過ぎないこととなり、換言すれば五九三、一六六すなわちほとんど六〇〇、〇〇〇だけ一八二一年の人口実測よりも少いことが、わかるであろう。そしてその理由は、リックマン氏の提唱する方法によりかつ脱漏を斟酌しないで推定したところの出生の人口に対する比率が、一八二一年にはわずかに一対三六・五八に過ぎず、一八〇一年には一対三四・八にも上ると、いう事実にあるのである。
人口実測が正確であると仮定すれば、出生率の変動は、(脱漏を斟酌せず、そして各期末の人口をそれに先立つ五箇年間の平均出生と比較すれば、)一八〇一年は一対三四・八、一八一一年は一対三五・三、一八二一年は一対三六・五八となるであろう。
結婚の人口に対する比率については、同様の、またはむしろより[#「より」に傍点]大なる変動が生ずるのが見られるであろう。
一八〇一年にはこの比率は一対一二二・二であり、一八一一年には一対一二六・六、一八二一年には一対一三一・一である。そしてもし、一八二〇年をもって終る二〇年間に、脱漏が極めて少いと思われる結婚が、人口に対して、一八〇一年と同一の比率を採っているものと仮定して、人口を結婚によって推定するならば、一八二一年の人口は、一二、二一八、五〇〇ではなく、わずかに一一、三七七、五四八となり、換言すれば一八二一年の人口実測よりも八四〇、九五二だけ少くなるであろう。
しからば、もし吾々がこの計算に幾らかでも信をおけるとすれば1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、出生、死亡、または結婚の比率に基づく過去の人口の推算には少しも信をおきえない。吾々が人口実測をやってみた二〇年間にこれらの比率にかくも本質的な変動を惹起したと同一の原因は、その以前にも同じ程度に働いたことであろう。そして、一国の健康の増進が、啻に死亡率を低減せしめるのみならず、また出生及び結婚の比率をも低減せしめるものであることは、一般にその真なることがわかるであろう。
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1)[#「1)」は縦中横] 愛蘭《アイルランド》及び蘇格蘭《スコットランド》から英蘭《イングランド》への移住は、ある程度、人口実測の結果が死亡以上に出ずる出生の超過から得られる数字を超過することの、説明となるであろう。
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第十章 蘇格蘭《スコットランド》及び愛蘭《アイルランド》における人口に対する妨げについて
蘇格蘭《スコットランド》の統計報告を詳細に検討すれば、人口の原理の多数の例証が得られるであろう。しかし私は既に本書のこの部分を非常に長々と述べたので読者を倦ませる恐れがあると思う。従って私はここでは、たまたま私に深い印象を与えた若干の事実を述べるのに限定することとする。
たいていの蘇格蘭《スコットランド》の教区の出生、死亡、結婚の記録簿には周知の脱漏があるので、ほとんど正しい推論はそれからは得られない。その多くは異常な結果を与えている。カアカドブライトのクロスマイクル教区では、死亡率はわずかに九八分の一であり、年結婚は一九二分の一となっている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。かかる比率は、未聞の健康状態と最も異常な予防的妨げの作用を意味するであろう。しかしそれが主として、埋葬簿の脱漏と、結婚の一部が他の教区で行われることとによって、生じたものであることには、ほとんど疑いはあり得ないのである。
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1)[#「1)」は縦中横] Statistical Account of Scotland, vol. i. p. 167.
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しかしながら、正確と考えられている記録簿から見ると、地方教区では死亡率は低く、四五分の一、五〇分の一及び五五分の一という比率ですら珍らしくないことがわかる。ウィルキイ氏によるケトル教区の死亡表から計算した生命蓋然率の表によれば、生児の平均寿命は四六・六年1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]という高率であり、そして第一年に死亡するものの比率はわずかに十分の一に過ぎない。ウィルキイ氏は更に附言して、第一巻に発表された三六教区の報告から見ると、生児の平均寿命は四〇・三年であることがわかる、と云っている。しかし、ウェブスタ博士の調査により蘇格蘭《スコットランド》全体につき計算してウィルキイが最終巻に載せている表では、生児の平均寿命はわずかに三一年となっている2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。しかしながらこれは、エディンバラ市の計算をほとんど超過しないから、低きに過ぎるに違いない、と彼は考えている。
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1)[#「1)」は縦中横] Id. vol. ii. p. 407.
2)[#「2)」は縦中横] Id. vol. xxi. p. 383.
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蘇格蘭《スコットランド》の記録簿は一般に極めて不完全に思われるので、わずかに九九教区の報告が、一八〇一年の『人口摘要』に発表されているに過ぎない。そしてこれらの記録簿から何らかの判断が出来るとすれば、それは、極めて異常な健康状態と、極めて低い出生率とを示すものである。一八〇一年におけるこれら教区の人口の総計は二一七、八七三であり1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、一八〇〇年に終る五箇年間の埋葬の平均は約三、八一五、出生は四、九二八である2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。これによって見れば
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