Dましい徴候であるが、しかし人口が十分に稠密な平均的国家では、高い出生率ほど悪い徴標はあり得ず、また低い出生率ほど良い徴標はあり得ない。
サア・フランシス・ディヴェルヌワは次の如く述べているが、これは極めて正しい、曰く、『もしヨオロッパの各国が毎年その人口の正確な報告を作って発表し、第二欄に綿密に正確な小児の死亡年齢を記入するならば、この第二欄は政府の相対的の功績とその国民の比較上の幸福を示すことであろう。しからば単純な算術的叙述がおそらく、引証し得るあらゆる論証よりも決定的なものとなるであろう1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』かかる表から下さるべき推論の重要性については、私は全く彼に同意する。そしてかかる推論を下すに当っては、子供の出生数を表わす欄よりも、幼年期を生残して成人に達したものの数を表わす欄の方に、より[#「より」に傍点]多くの注意を払うべきは、明かである。そしてこの後者の数は、ほとんど常に、出生の総人口に対する比率が最小の場合に最大であろう。この点において我国はノルウェイとスイスの次に位するのであるが、これは我国の大都市や工場の数を考えると、確かに極めて異常な事実である。我国の一切の人口需要が十分に満たされていることほど明かなことはあり得ないのであるから、もしこれが低い出生率で実現されているとすれば、それは死亡率が極めて低いことの決定的な証拠であり、これは吾々が正当に誇ってよい特徴である。将来の調査によって、私が出生と埋葬の両者における脱漏を大きく見積り過ぎたことがわかれば、それは他の事情にして同一なる限り幸福と善政との最も確実な嘗試《しょうし》と私の考えるこの特徴が、私の想像していたよりも更に大きいということになって、この上もなく嬉しいことである。専制的な惨めなまたは自然的に不健康な国では、出生の総人口に対する比率は一般に極めて大きいことが見られるであろう(訳註)。
[#ここから2字下げ]
1)[#「1)」は縦中横] Tableau des Pertes, etc., c. ii. p. 16.
〔訳註〕第二版ではこの次に若干パラグラフがあったが、これは第三版以下では削除された。それは次の如くである、――
『都市と工業地域の教区からサア・F・M・イードゥンが得た計算の一つによれば、年出生の年結婚に対する比率は三対一である1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。一七九九年で終る一二年間の一一一の農村教区においては、年出生の年結婚に対する比率は四対一以上である2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。これから見ると、我国の都市では産児の半数以上が、また地方ではその半数以下が、結婚まで生存するように思われるかもしれぬ。しかし二三四頁(訳註――『結婚の出産性』に関する章の終りの部分)で述べた理由により、おそらくその反対が真であろう。我国の都市では若年期に死亡が生ずるので、産児の半数以下しか結婚まで生存しないことは疑問の余地なく、そして結婚の多くは単に新来者が行うところである。地方では、移民となって出るものが他の地方で結婚するので、半数以上のものが結婚まで生存するのである。――もっとも再婚や三婚を考慮に入れれば、半数以上多くは超えないであろうが。しかし、二六二頁(訳註――『伝染病の影響』に関する章の終りの方)で述べたことからすれば、予防的妨げの働いている程度は、産児の中《うち》結婚まで生存するものの比率によっては決定し得ず、年結婚と年出生とが総人口に対する比率に依存するものである。そしてこれら二つの比率の中《うち》の第一が、一二三分の一から八〇分の一ないし七〇分の一に上り、また第二が三〇分の一から二四分の一、二二分の一、または二〇分の一に上るまでは、都市は人口の点で地方からはなはだしく供給を仰ぐとは云い得ないのである。
[#ここから3字下げ]
『1)[#「1)」は縦中横] Estimate of the Number of Inhabitants in Great Britain, p. 10.
『2)[#「2)」は縦中横] Id. p. 79.
[#ここから2字下げ]
『もし、都市と地方とを一緒にし、また現在の再婚や三婚や私生児を除外して、正確に産児の半数が結婚まで生存するとすれば、各結婚は出生の死亡に対する比率を一二・五分の一対一〇たらしめるには出生五を産まなければならない。そしてもし我国の出生の死亡に対する比率がこれ以上すなわち一三・三分の一対一〇であるならば、一切の事情を含んで、吾々は各結婚につき五・二分の一以下を認め得るようには、思えないのである。
『産児のうち結婚まで生存するものの比率を、年出生の年結婚に対する比率によって判断するに当っては、再婚及び三婚の数と私生児の数は、相互に是正し合う傾向がある。再婚及び三婚は結婚まで生存するものの比率を過大に与える傾向があり、私生児はこれを過小に与える傾向がある。これら二つの攪乱原因のうちいずれが大であるかは、その国の特定の事情に依存しなければならない。
『最近の報告によれば、我国においては、産児の半数よりも遥かに多くが結婚まで生存するように思われる。しかし出生の脱漏が本章で想像したほどであると推定すれば、結果はむしろ反対になる。』
[#ここで字下げ終わり]
一八〇〇年に終る五箇年を平均して、出生の結婚に対する比率は三四七対一〇〇であった。一七六〇年にはそれは三六二対一〇〇であったが、このことから、出生の記録簿は、いかに欠陥があるにせよ、従前は現在より確かに欠陥が大きくはなかったという推論が下されている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。しかし記録簿の外見上のこの種の変化は、脱漏とは全然関係のない原因からも起り得よう。この世紀の中頃に比較して後期の健康状態が増進したという一般に認められている事実により、幼年期を生きのびる子供の数が増加すれば、産児のうち結婚まで生存するものの比率はもちろん増大し、そしてこの事情によって(訳註)出生に比較しての結婚の比率は現在の方が大となるであろう。他方において、もし以前の結婚が早婚であるために現在よりもむしろ多産的であったとすれば、その結果として結婚に比較しての出生の比率がより[#「より」に傍点]大となるであろう。これらの諸原因の一方または両者が働けば、まさに記録簿に見られる結果が生ずるであろう。従ってかかる結果が存在するというだけでは、記録簿の正確性が増大したという想像を否定する推論は、何ら正当に下し得ない。年出生の結婚に対する比率に及ぼす上記二原因の影響は、後の章で説明することとする。
[#ここから2字下げ]
1)[#「1)」は縦中横] Observ. on the Results of the Population Act, p. 8.
〔訳註〕本パラグラフのこの箇所以下は第二版ではこれと異る。それは次の如くである、――
『………そしてこの事情によってまさに記録簿に見られる結果が生ずるであろう。この問題に関し既に述べたところからして、読者は、予防的妨げの作用を減ずることなくしてこの変化が生じ得ることに、気が附くであろう。もし産児の半数が三〇歳ではなく四〇歳まで生存するならば、より[#「より」に傍点]大なる比率のものが結婚まで生存してしかも結婚がより[#「より」に傍点]晩婚となることは、明かである。』
なおこの次のパラグラフも、第三版では若干の用語上の訂正の行われたものである。
[#ここで字下げ終わり]
出生及び死亡の登録は、この世紀の後期より初期の方が脱漏が多かった、と想像すべき正当な根拠があるか否かという一般的問題については、私は次の如く云いたい。すなわち最近の報告は、初期のものが不正確であるとなす疑念を確証し、かつこの世紀の初期の記録簿は、あらゆる見地から見て、過去の人口の見積りの基礎としては不確実な資料を提供したものであるということを証示する、傾向がある。一七一〇年、一七二〇年、一七三〇年には、報告から見れば、死亡が出生を超過したように見える。そしてこの世紀の前半を含む一七五〇年までの六期間を採り1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、出生の合計を死亡の合計と比較するならば、出生の超過は極めて小であり、出生のみの計算に基づいて、この期間に生じたと想像される百万という増加を説明するには全く足りない2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。従って、記録簿が極めて不正確であり出生における脱漏が死亡における脱漏より大であるのか、または各十年を隔てるこれらの時期が正しい平均を表わさないか、といずれかである。これら特定の年は、出生の死亡に対する比率に関して、他の年よりも不利な年であったのかもしれない。実際、その中の一七一〇年という一年は、大きな凶作と困厄の年であったのは周知のことに属する。しかし、もしこの疑念が正しく最初の六期に影響を及ぼし得た――これは極めてありそうなことであるが――としても、吾々は、一七八〇年で終る次の三期に関しては、反対の事件が起ったのではなかろうかと、正当に疑い得よう。すなわちこの三十年間には、同一の計算法によって、百五十万の増加があったように思われるであろう3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。とにかく、このようにして採った別々の三年は、決して正当な平均を確立するに足るものとは考え得ないことを、認めなければならない。そしてこれらの特定の年が出生について通常以上に好都合であったのではないかという疑念をむしろ強めるものは、一七八〇年ないし一七八五年の出生の増加が異常に小であることであり4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]、そしてこれは、もし一七八〇年の出生が偶然に平均以上であったのならば、以前よりも緩慢な増加を仮定しなくとも当然そうあるべきことなのである。
[#ここから2字下げ]
1)[#「1)」は縦中横] Population Abstracts, Parish Registers. Final Summary, p. 455.
2)[#「2)」は縦中横] Observ. on the Results of the Population Act, p. 9.
3)[#「3)」は縦中横] Ibid.
4)[#「4)」は縦中横] Ibid.
[#ここで字下げ終わり]
従って、大体において、初期の記録簿にありそうな不正確と、少数の別々の年から一般的推論を下す誤謬の非常に危険なことを考えた上で、私は、その後翌年の数字が与えられ従って正確な出生平均を得ることが出来るようになった一七八〇年以後までは、吾々は、出生からの計算に基づいた過去人口の見積りを信頼出来るとは、考えない。この意見を確証するより[#「より」に傍点]以上の論拠としては、私は、英蘭《イングランド》及びウェイルズの記録簿摘要の総括においては、一七九〇年の出生総数は二四八、七七四、一七九五年は二四七、二一八、一八〇〇年のそれが二四七、一四七と出ていることを述べるに止める1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。従ってもし吾々が、五年おきの三期に採った出生から人口を測定しているのであるならば、最近十箇年間の人口は著しく増加してきていると信ずべき十分な理由があるのに、それは規則正しく減少してきたように見えることであろう。
[#ここから2字下げ]
1)[#「1)」は縦中横] Population Abstracts, Parish Registers, p. 455.
[#ここで字下げ終わり]
『人口条令の結果に関する諸観察1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]』には、出生から計算した前世紀を通じての英蘭《イングランド》及びウェイルズの人口の表が載せてある。しかし上述の理由でこれはほとんど信頼することが出来ない。そして革命当時の人口については、私は、家屋敷による旧式な計算の方を余計信頼したい。
この世紀の異る時期におけるこれらの人口推算が真に近いということは、ありそうなこととは思われないが、しかし全く不可能ではない。
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