謔黷ホ、住民の半数は四六歳まで生きるように思われる2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。そしてもし、死亡率が六〇分の一、六六分の一、またはなはだしきは七五分の一というほど低い、前記諸教区の若干において、これと同一の計算がなされていたならば、産児の半数が五十歳または五五歳まで生存したことがわかったことであろう。
[#ここから2字下げ]
1)[#「1)」は縦中横] Price's Observ. on Revers. Paym. vol. i. p. 264−266. 4th edit.
2)[#「2)」は縦中横] Id. vol. i. p. 268.
[#ここで字下げ終わり]
都市において出生者の半数が生存する年齢の計算は、人口の見積り数よりも、記録簿に現われている出生及び死亡の数に依存するから、それは、ある場所の住民が年々死亡する比率に関する計算よりも、不確実になる可能性が少い。
この都市の死亡率によって生ずる空席を充たし、また一切のより[#「より」に傍点]以上の人口需要に応ずるためには、地方からの補充が不断に供給される必要のあることは明かである。そしてこの供給は事実上地方の過剰出生から常に流入しているように思われる。出生が死亡を超過する都市においてすら、かかる結果は、その土地で生れたものでないものの結婚によって生ずるのである。我国の地方都市の増大が現在より遥かに急速でなかった時代においてすら、ショオト博士は、結婚者の十九分の九は他所者であると計算した1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。ウェストミンスタ病院で調査した既婚男子一、六一八人既婚女子一、六一八人の中《うち》、わずかに三二九人の男子と四九五人の女子とがロンドン生れであった2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。
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1)[#「1)」は縦中横] New observations on Bills of Mortality, p. 76.
2)[#「2)」は縦中横] Price's Observ. on Revers. Paym. vol. ii. p. 17.
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プライス博士は、死亡が出生を超過するところの、隣接教区を含んでのロンドンは、年々一〇、〇〇〇人の供給を必要とする、と想像している。グラントは彼れの時代において、ロンドンだけのための供給を六、〇〇〇人と見積っている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。そして彼は更に、疫病《ペスト》その他いかなる大きな破壊原因によってこの都市の死亡率がどれだけになろうとも、それは常に二年して完全にその損害を恢復する、と云っている2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。
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1)[#「1)」は縦中横] Short's New Observ., Abstract from Graunt, p. 277.
2)[#「2)」は縦中横] Id. p. 276.
[#ここで字下げ終わり]
従ってこれら一切の需要は地方から供給されるのであるから、もし吾々が、全王国の出生の死亡に対する比率を、かかる多数の移民を送っているに違いない地方教区で観られる比率によって見積るならば、非常に大きな誤りに陥るべきことは明かである。
しかしながら吾々は、少くとも農業労働の維持のための基金が依然として損われぬ限り、地方がかかる移民によって人口減退を生ずるという、プライス博士の危惧に、追従する必要はない。出生率と結婚率とは、いずれも、我国の都市と工場との増加にもかかわらず、地方に対する人口需要は決して逼迫していないことを、明かに立証しているのである。
英蘭《イングランド》及びウェイルズの現在人口を最近五箇年間の平均洗礼数で除すと1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、洗礼の人口に対する比率は一対三六となるが2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]、しかし洗礼には大きな脱漏があると考えられており、またそれは当然である(訳註1)。
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1)[#「1)」は縦中横] これは脱漏報告が一八一〇年に補充される前に書かれたものである。この補充を加えると、一八〇〇年の出生は二五五、四二六ではなく二六三、〇〇〇となり、従って登録出生率は三五分の一に増加する。――次章参照。(訳註――この註は第五版より現わる。)
2)[#「2)」は縦中横] 最近五箇年間の平均洗礼数は二五五、四二六。人口は九、一九八、〇〇〇。(Observ. on Results, p. 9.)
〔訳註1〕第二―第四版ではこれに直ちに続いて次の如くあった、――
『そしてこの脱漏は埋葬におけるより大であると推測されている。しかしながら、この点については、少くとも最近二十箇年間に関しては――おそらくそれ以前には事実であったであろうが――これと見解を共にしないのである。現在の結婚率によって見れば、一七八〇年以来生じたと思われているより[#「より」に傍点]急速な人口増加は、出生の増加よりは死亡の減少から生じたものであることが、わかるのである。』
[#ここで字下げ終わり]
ショオト博士は、英蘭《イングランド》の出生の人口に対する比率を一対二八と見積った1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。サフォークの農業報告では、出生の人口に対する比率は一対三〇と見積られた。最近の報告によれば、サフォーク全体としてはこの比率は一対三三を多くは下らない2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。サア・F・M・イードゥンが提出している人口実測による十三箇村の正確な報告によれば、出生の人口に対する比率は一対三三であり、また都市や工業教区から得られた同じ典拠によるもう一つの報告によれば、一対二七・四分の三であった3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。もしこれらの一切の事情を綜括し、同時に出生記録簿における周知の脱漏と近年の我国人口の周知の増加を考慮して、出生の人口に対する真の比率が一対三〇であると仮定し、更に現在の死亡率を前述の如くに四〇分の一と仮定すれば、最近の報告に現われている洗礼の死亡に対する比率にほぼ近いものが得られる。出生の死亡に対する比率は、四対三または一三・三分の一対一〇であり、これは、外国で死亡したと想像し得るものを斟酌しても(訳註)、アメリカ戦争以来生じた人口の増加を説明して余りあるものである。
[#ここから2字下げ]
1)[#「1)」は縦中横] New Observ. p. 267.
2)[#「2)」は縦中横] 私的調査においては、非国教徒及びその子供に洗礼を受けさせぬものは、もちろん人口の中に数えられないであろう。従ってかかる調査は、その及ぶ範囲では、真の出生率をより[#「より」に傍点]正確に表わすであろう。そして吾々は、公けの報告における周知の出生の脱漏を推算するためにこれを使用して少しも差支えないのである。
3)[#「3)」は縦中横] Estimate of the Number of Inhabitants in Great Britain, etc., p. 27.
〔訳註〕第二版ではここのところは次の如くなっている、――
『外国で死亡したと想像し得るもの、及びこの期間の比較的初期におけるより[#「より」に傍点]大なる一般死亡率を斟酌しても、』
[#ここで字下げ終わり]
『人口条令の結果に関する諸観察』には、英蘭《イングランド》における平均寿命が、一七八〇年以来、一一七対一〇〇の比例1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]で増加したことがわかる、とある。かかる短期間におけるかかる大きな変化は、もし事実であるならば、極めて驚くべき現象である。しかし私は、この埋葬率の減少の全部が健康の増進より生じたものではなく、一部分は、この時期以来の我国の外国貿易の極めて急速な増加により、また多数の人間が陸海軍籍に入って不在となりこの大軍の勢力を不変に維持するため必要な不断の新兵の補充により、外国で死亡するものの数が必然的に増加しなければならなかった事実によって、惹起されたものである、と考えたい。この種の不断の人口流出は、確かに、報告に見られる結果を生ずる傾向があり、そして埋葬を停止的ならしめておいたであろうが、他方出生及び結婚は多少急速に増加していったのである。同時にまた、一七八〇年以来の人口の増加は議論の余地なきところであり、そして現在の死亡率は異常に低いのであるから、私は依然として、右の結果のはるか大部分は健康の増進に帰せらるべきものである、と信じたいのである。
[#ここから2字下げ]
1)[#「1)」は縦中横] P. 6.
[#ここで字下げ終わり]
三六分の一という死亡率は、おそらく、この世紀全体の平均としては低過ぎるであろうが、しかし三六分の一という死亡率に基づいて計算された一二対一〇という出生対死亡の比率は、一国の人口を一二五年にして倍加せしめるものであり、従ってこの世紀全体に対する平均たり得る大いさの、出生対死亡の比率である。最近の計算でこれ以上急速な増加を示すものはない(訳註)。
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〔訳註〕このパラグラフがこの形になったのは第三版よりのことである。第二版ではこれは次の如くあった、――
『もし吾々が、一七八〇年頃の死亡率をもって、現在の如く四〇分の一ではなく三六分の一と仮定すれば、これは、一一七対一〇〇という如き高い比率ではないとしても、健康状態の増進を大きく斟酌したことになろう。そして出生率が現在とほとんど同一であったと仮定すれば、一七八〇年頃の出生は死亡に対し三六対三〇すなわち一二対一〇であったことになろうが、この比率は、三六分の一という死亡率に基づいて計算すれば、一国の人口を一二五年にして倍加せしめるものであり、従ってこの世紀全体に対する平均たり得る大いさの、比率である。我国の人口を最高に見積っても、それは革命当時の二倍とはならない。』
[#ここで字下げ終わり]
しかしながら吾々は、この出生対死亡の比率、または出生及び死亡の総人口に対する何らかの仮定的比率が、この世紀を通じてほとんど斉一に継続したと考えてはならない。相当の期間記録されたあらゆる国の記録簿を見れば、時期を異にするにつれ著しい変動が生じていることがわかる。ショオト博士は、この世紀の中頃に、出生の死亡に対する比率を一一対一〇と見積った1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。そしてもし出生が同じ時期に人口の二十八分の一であったならば、死亡率は三〇・八分の一という高率であったのである。吾々は現在出生の死亡に対する比率は[#「比率は」は底本では「比は率」]一三対一〇以上であると想像している。しかしもし吾々がこの比率をもって、次の百年間の人口増加を測定する指標とするならば、吾々はおそらく非常に大きな誤謬に陥るに違いない。吾々は、我国の資源が、一三対一〇というが如き永久的な出生対死亡の比率を許す如き速度で、相当の期間増加するとは――実際この比率が主として大きな国外流出によって惹起されたのでない限り――合理的に想像することは出来ないのである。
[#ここから2字下げ]
1)[#「1)」は縦中横] New Observ. tables ii. and iii. p. 22 and 44 ; Price's Observ. on Revers. Paym. vol. ii. p. 311.
[#ここで字下げ終わり]
蒐集し得た一切の資料からして、英蘭《イングランド》及びウェイルズの出生の総人口に対する比率は一対三〇と推定してきた。しかしこれは、ノルウェイ及びスイスを除けば、この観察を行うに当って今まで出てきたいかなる国に生じたよりも小さな比率である。そして在来、大なる出生率は活力あり繁栄せる状態の最も確実な徴標であると考えるのが、政治統計家の常であった。しかしながら、こうした偏見は永続しない方が望ましい。アメリカやロシアのような事情にある国では、またはその他の国である大きな死亡率を生じた後では、大きな出生率は
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