。しかしこの比率は、我国の大都市や工場の数を考えてみれば、異常に低いものであり、真に近いものとは考え得ない。
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 1)[#「1)」は縦中横] 人口は九、一六八、〇〇〇、年死亡は一八六、〇〇〇と見積る。(Obs. on the Results of Pop. Act, p. 6 and 9.)
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 我国の都市人口の地方人口に対する正確な比率がどうであろうとも、この島の南部地方は、この比率が一対三以上に達している事態に確かに位しているのであり、また実にそれが一対二以上であると信ずべき十分な理由がある。クロオメが樹立した法則によれば、死亡率は従って三〇分の一以上であり1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、ジュウスミルヒによれば三三分の一以上であるはずである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。『人口条令の結果に関する諸観察』には3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]、埋葬記録簿の脱漏の蓋然的原因が数多く指摘されているが、しかしこれら脱漏の合計については何の計算も与えられておらず、従って私はかかる計算を提供すべき何の資料ももたない。従って私は、この脱漏が全体として、現在の年死亡率を四〇分の一たらしめる如き数であると仮定すれば、これは、我国の諸事情を考えてみて、想像し得る最低の死亡率であるはずであり、そしてもしそれが真であるならば、それは我国が、慎慮と清潔に関する人民の習慣の点でも、また環境の自然的健康性の点でも、一般よりも驚くべきほどに優れていることを示すものである、と云うに止めよう4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]。実際、死亡率を低下せしめる傾向あるこれら二つの原因の双方が、我国において著しい程度で作用していることは、ほとんど確証された事実であると思われる。上述せる年結婚率の小さいことは、貧民法があるにもかかわらず、幸福にとり極めて好都合な慎慮の習慣が、社会の大部分を通じて広く行われていることを示すものである。そして我国の田舎の教区が一般に非常に健康的であることは、最も明白な証拠から見てわかるところである。プライス博士は、種々の教区の牧師から蒐集されかつ積極的人口実測によって得られたパアシヴァル博士の記述を引用しているが、それによれば若干の村落では、年死亡者はわずかに四五分の一、五〇分の一、六〇分の一、六六分の一、またははなはだしきは七五分の一に過ぎない。これらの教区の多くでは、出生の死亡に対する比率は二対一以上であり、ある一教区では三対一以上である5)[#「5)」は縦中横、行右小書き]。しかしながらこれらは特別の場合であり、農村一般には当てはめ得ない。平地のある教区では、特に沼沢に近い教区では、この比率は非常に異っており、その少数においては死亡が出生を超過している。ショオト博士がことさら環境の非常な相違のあるところを選んで記録簿を蒐集した五四の地方教区においては、平均死亡率は三七分の一というほど高かった6)[#「6)」は縦中横、行右小書き]。これは確かに、我国の農村教区一般の現在の死亡率よりも遥かに高いものである。ショオト博士の採った時期には若干の大きな伝染病が含まれているが、これはおそらく通常の比率以上であったことであろう。しかし疾病流行季は常に包含さるべきものであり、しからざれば、吾々は大きな誤に陥るであろう。ジュウスミルヒが検討したブランデンブルグの一、〇五六箇村においては、順年六年の死亡率は四三分の一であり、混合年一〇年の死亡率は約三八・五分の一であった7)[#「7)」は縦中横、行右小書き]。サア・F・M・イードゥンが述べている英蘭《イングランド》の村落では、死亡率は約四七ないし四八分の一であるように思われる8)[#「8)」は縦中横、行右小書き]。そして人口条令に基く最近の報告には、更により[#「より」に傍点]大なる程度の健康状態が現われている。これらの諸観察を一緒に纏めてみると、もし吾々が四六分の一ないし四八分の一をもって疾病流行季を含めた我国の農村地方の平均死亡率とするならば、これは幾分でも確からしいと考え得る最低の死亡率であろう。しかし王国全体に対する平均を得るために、都市や工業地帯の死亡率をこれに混ぜ合せるときには、この比率は確かに四〇分の一まで高まることであろう。
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 1)[#「1)」は縦中横] 〔Ueber die Bevo:lkerung der Europa:ischen Staaten, p. 127.〕
 2)[#「2)」は縦中横] 〔Sussmilch, Go:ttliche Ordnung, vol. iii. p. 60.〕
 3)[#「3)」は縦中横] P. 6.
 4)[#「4)」は縦中横] 我国の人口が従来、少くともこれを出生または死亡の比率から推算しようと試みた人々によって、過少に見積られたのは、少しも驚くに足りない。最近の人口条令が出るまでは、当然他国と同程度に正確と考えられた我国の年死亡の実際報告が、人口の四九分の一以下となろうとは、何人も想像し得なかったであろう。もしフランスの実際報告に、一七八〇年をもって終る十年間という如き昔でさえも、四九を乗ずるならば、その人口は当時四千万以上ということになろう。年死亡の平均は八一八、四九一であった。Necker, de l'Administration des Finances, tom. i. c. ix. p. 255. 12mo. 1785.
 5)[#「5)」は縦中横] Price's Observ.[#「Observ.」は底本では「Obsers.」] on Revers. Paym. vol. ii. note, p. 10. First additional Essay, 4th edit. 特定の教区においては、私信の方がおそらく公けの報告より信頼出来る。けだし一般に、ある程度この問題に興味をもち従って当然正確を期するためより[#「より」に傍点]多くの努力を払う牧師のみが、信頼されるからである。
 6)[#「6)」は縦中横] New Observations on Bills of Mortality, table ix. p. 133.
 7)[#「7)」は縦中横] 〔Go:ttliche Ordnung, vol. i. c. ii. s. xxi. p. 74.〕
 8)[#「8)」は縦中横] Estimate of the Number of Inhabitants in Great Britain.
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 我国のかくも多数の住民を包含しているロンドンの死亡率は、プライス博士によれば、彼がその計算をなした当時に、二〇・七五分の一であり、ノリジでは二四分の一、ノオサンプトンでは二六・五分の一、ニュウベリでは二七・五分の一1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、マンチェスタでは二八分の一、リヴァプウルでは二七・五分の一2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]、等々であった。彼は、年々都市で死亡するものの数は、マンチェスタやリヴァプウル3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]、その他の繁栄を極める工業都市で事実見られる如くに、死亡の最も少い年頃の人間の流入による急速な人口増加の結果たる場合を別とすれば、滅多に二八分の一というが如き低率になるものではない、と云っている。一般に彼は、大都市の死亡率は一九分の一4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]ないし二二及び二三分の一、普通都市では二四分の一ないし二八分の一、地方村落では四〇分の一ないし五〇分の一である、と考えている5)[#「5)」は縦中横、行右小書き]。
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 1)[#「1)」は縦中横] Price's Observ. on Revers. Paym. vol. i. note, p. 272.
 2)[#「2)」は縦中横] Id. vol. ii. First additional Essay, note, p. 4.
 3)[#「3)」は縦中横] Id.
 4)[#「4)」は縦中横] ストックホルムの死亡率は、ワルゲンティンによれば、一九分の一である。
 5)[#「5)」は縦中横] Observ. on Revers. Paym. vol. ii. First additional Essay, p. 4.
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 かかる叙述に対しては、プライス博士には都市の不健康を誇張する傾向があるという反対論がなされるかもしれない。しかしこの反対論は、ロンドンに関して重要性を有つだけであるように思われる。右に記された他の諸都市の数字は、彼独特の意見が影響を及ぼし得ない文書から得られたものである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。しかしながら、啻にロンドンのみならず英蘭《イングランド》の他の諸都市やおそらくはまた地方農村もまた、これらの計算の当時には現在より健康状態が劣っていたと信ずべき十分な理由があることを、注意しなければならぬ。ウィリアム・ヘバアドン博士は、プライス博士がそれによってロンドンの生命の蓋然率を計算した一七五九年ないし一七六八年の十箇年間の記録簿は2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]、近年の記録簿よりも遥かに甚だしい程度の不健康状態を示している、と云っている。そして人口条令に基づく報告は、埋葬における大きな脱漏を斟酌しても、我国のあらゆる地方都市や田舎において、従来計算された時よりも遥かに健康状態がよいことを、示している。同時に私は『人口条令の結果に関する諸観察』に述べてある三一分の一というロンドンの死亡率は3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]、実際よりも低いと考えざるを得ない。五千というのは、おそらく埋葬の脱漏の酌量としては不足のようであり、また戦争や商業上の仕事による不在者は十分に考慮されていない。死亡率を見積るに当っては、現在人口のみが考慮せらるべきである。
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 1)[#「1)」は縦中横] ロンドンの人口または死亡率の推算は、最近の人口実測以前には、周知の如き記録簿の大きな脱漏があるので、常に多くの推測や意見に依存していた。しかしここに挙げた諸都市については事情はこの程度に至っていなかった。プライス博士は、人口減退の問題について大きな誤りを犯したように思われるが、彼はこれに言及するに当って、極めて率直に、自分はおそらく一度提出した意見を固持しようという気持に無意識に支配されたかもしれぬ、と述べている。(訳註――この註は第三版より現わる。)
 2)[#「2)」は縦中横] Increase and Decrease of Diseases, p. 32. 4to. 1801.
 3)[#「3)」は縦中横] P. 13.
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 大都市や、また普通都市においてすら、幼年期に対し特に好ましくない何物かが、確かにあるように思われる。そして死亡が主としてどの社会部分に生ずるかを見れば、死亡が、通常かつ正当に都市に帰せられているより[#「より」に傍点]高度の奢侈と淫蕩に由来するよりは、子供達の弱い肺にとり好ましくないと考え得る空気のむさ苦しさと、彼らがほとんど必然的に経験するとじこめられた生活とに、由来するものなることを、示すように思われる。最良の体躯をもち、最も規則正しく静かに暮している夫婦でも、都市ではその子供を田舎におけると同様に健康にすることは滅多になかろう。
 ロンドンでは前の計算によれば、産児の半数は三歳以下で死亡し、ウィーン及びストックホルムでは二歳以下、マンチェスタでは五歳以下、ノリジでは五歳以下、ノオサンプトンでは十歳以下で死亡する1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。これに反し地方村落では、産児の半数が三十、三十五、四十、四十六、及びそれ以上までも生きる。ヨオクシアのアクウォス教区では、リイ博士が二〇年間に死亡したすべてのものの年齢について作った極めて正確な計算に
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