する予防的妨げが社会のあらゆる階級を通じて大きな力で作用していることが認められるであろう(訳註1)。そしてこの観察は、一八〇〇年に通過した人口条令1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]の結果得られた記録簿からの摘要によって、更に確証されるのである。
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 1)[#「1)」は縦中横] 本章は、その結果が一八〇一年に公表された第一囘人口実測の直後、一八〇二年に書いたものである。(訳註――この註は第六版のみに現わる。ただしこれ以前の部分はもっと早く書かれたものである。次の訳註を参照。)
〔訳註1〕本章の最初からここまでに至る部分は、おおむね第一版の英蘭《イングランド》に関する記述から書き写されたものである(Cf. 1st ed., pp. 63−69.)。第一版の右の個所は、古代及び支那の人口に対する妨げを論ずる箇所に続いて現われており、すなわち次の如き記述をもって始まっている、――
『近代ヨオロッパの主要諸国を検討してみると、それは牧畜民族であった当時以来人口の点で著しく増加してきているけれども、現在その増加は極めて緩慢であり、二十五年ごとにその人口を倍加することなく、そのためには三、四百年またはそれ以上必要であることが、わかるであろう。実際ある国は絶対に静止的であり、またあるものは退歩的ですらあるかもしれない。この緩慢な人口増加の原因は、両性間の情欲の衰滅に帰することは出来ない。この自然的性向はなお少しもその力を減ずることなく存在していると考える十分な理由がある。しからば何故《なにゆえ》にその結果は人類の急速な増加となって現われないのであろうか。ヨオロッパのいずれか一国をとってみれば、他のいずれの国のこともそれで同じくわかるのであるが、この一国の社会状態をよく眺めてみると、吾々は、この問に答え、一家の扶養に伴う困難の予見が人口の自然的増加に対する予防的妨げとして働いており、また下層階級のある者からその子供らに適当な食物と注意とを与える力を奪うところのその現実の窮状が、積極的妨げとして働いている、と云うことが出来るのである。
『英蘭《イングランド》はヨオロッパの最も繁栄せる国の一つであるから、十分一例として採ってよかろうし、またそれについて行われる観察は、ほとんど変更を加えずに人口増加の緩慢な他のいずれの国にも当てはまることであろう。
『予防的妨げは、英蘭《イングランド》の一切の社会階級を通じてある程度作用しているように思われる。最高の地位にあるものの中にも、一家をもつと仮定すれば切りつめなければならぬ経費と止めなければならぬ楽しみとを考えて、結婚をしないでいるものがある。かかる考慮は確かに大したものではない。しかしこの種の予防的予見は、その地位が低くなるほどますます重大な考慮の種となるのである。』
 右の記述に続いて上記の諸パラグラフが出てくるのであり、すなわち第一段では予防的妨げと積極的妨げとが共に行われていることを説いて、その予防的妨げの説明として上記の記述が出ているのである。従ってこれに続いて今度は積極的妨げの説明があるのであるが、これは第二版以下では削除された。削除された部分(第五章の冒頭)は次の如くである、――
『人口に対する積極的妨げとは、私は、既に始った増加を抑圧する妨げを意味するのであるが、これは、もっぱらではないとしても、主として、社会の最下層階級に限られる。この妨げは、私が右に述べた他方の妨げほど誰の眼にも明かに映るものではない。そしてその作用の力と範囲とを明確に証明するためには、おそらく、吾々が現在もっている以上の資料を必要とするであろう。しかし私は、年々死亡する多数の子供の中《うち》、非常に多大の比率が、時々ひどい窮状にさらされまたおそらく不健康な住居と苛酷な労働とに運命づけられて、その子供に適当な食物と注意とを与え得ないと想像されるものに属するという事実は、死亡表を注意深く見たものが普く認めていることである、と信ずる。貧民の子供のこの死亡率はあらゆる都市において絶えず注意されている。それは確かに同じ程度には地方には存在しない。しかしこの問題は、在来は十分な検討を受けていないから、地方においてさえも中流や上流の階級よりも貧民の子供の方が比例上余計死ぬわけではないと云い得るわけではない。実際、六人の子供をもち、時には絶対的なパンの欠乏に悩む、労働者の妻が、その子供に生命を維持するに必要な食物と注意とを常に与えることが出来ようとは、到底想像出来ない。農民の息子や娘は、物語に書いてあるような薔薇の天使の姿はしていない。彼らがその発育中にいじけ、一人前になるのに長い年月を要することは、田舎の久しく住んでいるものの認めざるを得ないことである。十四歳か十五歳と思われる男児が、聞いてみるとしばしば十八歳か十九歳である。そして鋤を牽くのは確かに健康によい運動に違いないのに、この仕事をしている子供には脚にふくらはぎの見られるものが滅多にない。これは適当な栄養か十分な栄養かの不足にのみ帰し得べき事情である。』
 そして第一版では、これに続いて、英蘭《イングランド》貧民法が論ぜられているのである。
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 これらの摘要の結果は、英蘭《イングランド》及びウェイルズにおける年結婚は総人口に対して一対一二三・二であることを示しているが1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、これはノルウェイとスイスを除けば、前に検討したいずれの国で見られるよりも低い結婚率である。
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 1)[#「1)」は縦中横] Observ. on the Results of the Population Act, p. 11, printed in 1801. 人口条令に対する囘答は、ついに幸にも、我国の人口問題が長年包まれていた曖昧な点を明かにし、そして政治計数家に若干の極めて貴重な資料を与えてくれた。同時にまた、それは、それから得らるべき推論に関して推理や推測を全然加える必要のないほどに完全なわけではないことを、告白しなければならない。だからこの問題が現在の努力の後に中断されてしまわないことを、熱心に希望しなければならない。最初の困難が克服されたのであるから、十年ごとの人口実測は容易に慣れた仕事となり得よう。そして出生、死亡、結婚の記録簿は、少くとも五年ごとには受取り得よう。私は、在来吾々が想像するを常としていたよりも多くの推論が、一国の国内状態に関し、かかる記録簿から得らるべきことを、確信するものである。
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 前世紀の初頭に、ショオト博士はこの比率を約一対一一五と見積った1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。おそらくこの計算は当時は正しかったであろう。商業及び農業のより[#「より」に傍点]急速な増進により人口が以前よりも急速に増したにもかかわらず、現存結婚率が低減しているのは、一部分は近年見られる死亡率の低減の原因であり、また一部分はその結果である。
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 1)[#「1)」は縦中横] New Observ. on Bills of Mortality, p. 265. 8vo. 1750.
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 この条令に基づく結婚の報告は、記録簿のいかなる他の部分よりも、不正確の疑いを蒙るおそれの少いものということになっている。
 ショオト博士は、その『都市及び農村死亡表に関する新観察』New Observations on Town and Country Bills of Mortality において曰く、私は、『我国民の卓越せる裁判官たる観察をもって、人類の成長及び増加は、人類の性質における何ものかによるよりも、人民が結婚するに当って感ずる戒慎的困難により、家族扶養上の煩苦と経費との予想により、制限されるところが多い、と結論する。』そしてこの観念に従って、ショオト博士は、結婚せる貧民を養うために、独身生活者に重税と科料を課することを提唱している1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
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 1)[#「1)」は縦中横] Id. p. 247.
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 この卓越せる裁判官の観察は、出生を阻まれる数に関しては、全く正当である。しかし未婚者は処罰せらるべし、という推論はそうとは思われない。自然の増殖力はなるほど我国では十分に発揮させられているどころではない(訳註)。しかも吾々が、労働の価格が大家庭を維持するに足りないことや、貧困から直接間接に起る死亡の数を考え、更にこれに加うるに、我国の大都市や工場や救貧院で夭折する無数の子供のことを考える時には、吾々は、もし年々生れるものがこの夭折によって大いに減少されないとすれば、成人となるべき追加数に仕事と食物とを与えるために、労働の維持のための基金は、従来我国で見られたことのない速度で増加しなければならぬということを、承認せざるを得なくなるのであろう。
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〔訳註〕この『自然の増殖力はなるほど我国では十分に発揮させられているどころではない。』という一文は、第三版にはじめて現われたものであり、第二版ではこの箇所は次の如くなっていた、――
『………という推論はそうとは思われない。思うに、我国では、自然の増殖力の半ば以上は発揮させられておらないが、しかも国が適当に養い得る以上の子供がいる、というのは、真を距《へだた》る極めて遠いものではないであろう。
『もし吾々が、年出生をもって、短期間にはしばしば大陸に現われ1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]またアメリカの多くの地方ではおそらく絶えず現われている比率たる、人口の二〇分の一を占めるものと仮定し、また二〇歳以下の死亡をもって三分の一と認める――ショオト博士によれば、ある地方ではこの死亡はわずかに五分の一または四分の一に過ぎないのであるから2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]、三分の一というのはほどよい仮定であるが――ならば、またもし、すべてのものが、決して早過ぎはしない二〇歳という年齢で結婚するとすれば、この場合人口の三〇分の一が年々結婚することとなろう。換言すれば、現在の如くに一二三人につき一結婚ではなく、六人につき一年結婚があることになろう。従って、我国では自然の増殖力の半ば以上は発揮させられていない、と立派に云えるのである。しかも吾々が、…………
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『1)[#「1)」は縦中横] プロシアでは疫病《ペスト》流行後に、第一の異常の年を除去すれば、五年間の平均で、出生の総人口に対する比率は一対一八以上であった。(Table iv. page 253.)ニュウ・ジャアシイでは、プライス博士によれば(Observ. on Revers. Paym. vol. i. p. 283.)それは一対一八であり、また奥地の植民地ではおそらく一対一五であった。
『2)[#「2)」は縦中横] New Observ. on Bills of Mortality, p. 59.』
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 従って第三版以後では、数字による例解が省略された上で、二つのパラグラフが一つにまとめられたのである。
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 従って独身者や晩婚者は、かかる行動によって現実の人口を多少でも減少せしめるものではなく、単に、しからざれば過度となるべき幼少死亡率を低減するだけのことであり、従ってかかる見地からすれば、何らのひどい非難や処罰に価するものではないと思われるのである。
 出生及び死亡の報告には脱漏があると想像されているが、これには十分の根拠がある。従ってそれが総人口に対してとる比率を幾分でも正確に見積ることは困難であろう。
 もし英蘭《イングランド》及びウェイルズの現在人口を、一八〇〇年をもって終る五箇年間の平均死亡数で除すならば、死亡率はわずかに四九分の一ということになるであろう1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]
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