れは幾分でもあり得そうに思われる範囲いっぱいを認めていることになるのであるが、しかもこれは、これを認めれば一七八五年ないし一八一三年におけるほとんど二百万の増加を意味するものであり、これは英蘭《イングランド》に起った率には遥かに及ばぬ増加であるが、しかもなお表面上最も強力な障害にも打克つ人口原理の力を十分示すに足る増加である。
革命勃発後六年または七年の間の出生の増加の問題については、決して永久に決定を与えられそうもない。
混乱の際に、記録簿が規則正しく記録されたとはほとんど想像することが出来ない。そしてそれは第九年に蒐集されなかったから、今後それが正確な形で提出される機会はないのである。
一八二五年(訳註――本書の以下の部分は第六版のみに現わる。)
本書の前版が現われて後に、フランスの人口に関し更に詳細なことが発表された。
一八一四年及び一八一五年に確定したフランスの全領土について、一八一七年以来、年々の出生、死亡、結婚に関する報告が規則的に行われ、そして一八二〇年には人口実測が行われた。
一八二五年の『経度局年報』には、一八二二年をもって終る六年間の出生、死亡、結婚の数が出ている。その総計は次の通りである。
[#ここから表]
出生/死亡/結婚
五、七四七、二四九/四、五八九、〇八九/一、三一三、五〇二
[#ここで表終わり]
その年平均は、
[#ここから表]
出生/死亡/結婚/平均出生超過
九五七、八七五/七六四、八四八/二一八、九一七/一九三、〇二七
[#ここで表終わり]
一八二〇年の人口は、各県の実測によれば、三〇、四五一、一八七であった。
以上の数からすると、年出生の人口に対する比率は一対三一・七九すなわち約三二分の一であり、年死亡率は一対三九・八一すなわち約四〇分の一、年結婚率は一対一三九、出生の死亡に対する比率は一二五・二三対一〇〇すなわちほとんど五対四、結婚の出生に対する比率は一対四・三七である。私生児の出生の嫡出児出生に対する比率は一対一四・六、男子出生の女子出生に対する比率は一六対一五、死亡以上に出ずる年出生の超過の総人口に対する比率、――これは、もし報告が正確ならば、増加率を決定するものであるが――一対一五七である。
一八二二年に終る六年間の出生、死亡、結婚の報告がどの程度に正確であるかは何とも云えない。この報告には規則性があってそのために立派に見える。しかしながら、外見では同じ規則性がありながら、我国の記録簿に、出生及び死亡の大きな脱漏があるのは、吾々のよく知るところである。このことは、二度の人口実測の中間の期間の、死亡以上に出ずる出生超過が、この実測によって明かとなった人口増加に著しく及ばないという事情で、すぐ証明されることである。フランスにおける最近二十五年間の人口実測は、英蘭《イングランド》のそれほど規則的ではなく、またそれほど信頼も出来ない。しかしながら、前述の、一八一三年のものは、一八二〇年のものと比較し得ようが、もし両者が等しく真に近いならば、一八一三年ないし一八二〇年の七年間のフランス人口は、死亡以上に出ずる出生の超過によって見れば、一八二二年に終る六年間よりも、著しく急速に増加したに違いないことがわかるであろう。この六年間のこの超過の総数は、前述の如く、一、一五八、一六〇であり、その年平均は一九三、〇二七であって、これを中位人口すなわち一年間の増加を控除した一八二〇年の人口と比較すると、人口への年増加率は一対約一五六となる。そしてこの死亡以上に出ずる出生の年超過の人口に対する比率は、本書[#「本書」は底本では「本章」]第二篇第十一章の末尾にある第二表によれば、人口を約一〇八年に倍加せしめる増加率である。
他方において、旧フランスの人口は、一八一三年に二八、七八六、九一一、一八二〇年には三〇、四五一、一八七で、この七年間の差すなわち人口増加は一、六六四、二七六であり、年平均増加は一九三、〇二六でなく、二三七、七三五である。そしてこの大きい方の年増加を七年間の中位人口と比較すると、一対一五六でなくて一対一二四となり、そしてこの増加率は人口を一〇八年ではなくて約八六年にして倍加せしめる率であって、これは一八二二年に終る六年間に出生及び死亡の報告中に大きな脱漏があるらしいことを示すものである。もし実際、この二つの人口実測が等しく真に近いとすれば、一八一七年以前の三年間に出生率の大きな差異が生じ得たと想像すべき理由はないから、フランスの記録簿は、我国のそれと同種類の――もっともその程度は同一ではないにせよ――訂正を必要とする。私は後章で英蘭《イングランド》及びウェイルズの出生の報告は六分の一、埋葬は一二分の一の脱漏があるものと想像した。これだけの訂正をフランスの報告に当てはめると、一八一三年ないし一八二〇年の増加を説明するに必要なところ以上となるであろう。しかしもし吾々が、出生の脱漏は一〇分の一、死亡は二〇分の一と想像すれば、出生の人口に対する比率は二九・一分の一、死亡の比率は三八・一分の一となるであろう。これらの比率によれば、死亡以上に出ずる出生の年超過の人口対比は一対一二三となり、これは、国外死亡を若干斟酌すれば、一八一三年及び一八二〇年の人口実測が等しく真に近いと仮定して、この両時期の間にフランスに生じたと同一の倍加期間または同一の増加率を与えるであろう。
出生及び死亡の報告の脱漏を、右の如く斟酌しても、死亡率は以前に蒐集された記録簿のいずれにおけるよりも低いことは注意に価する。そして出生率もまた、革命前よりも、また前述の第八、第九、第十年における三〇県からの報告におけるそれよりも、小であるから、そしてまた、第九年の一般報告には大きな脱漏があり、また一八一三年の五〇県からの報告の脱漏はそれ以後の記録簿における脱漏よりも少くはないと信ずべきあらゆる理由があるのであるから、近年の人口増加率の逓増にもかかわらず、出生率は減退してきていると考えて差支えなかろう。この増加率の逓増は、革命以来の労働階級の境遇の改善によって惹起され、またおそらくは種痘の採用によって助勢されたところの、死亡率の減退によるものの如く思われる。それは、増加率の累進が出生率の低減と全く両立し得るものであり、またかかる出生率の低減は、いかなる一つまたは多くの理由によるものであろうととにかく死亡率が減少した場合に起る可能性の多いものであることを、示すものである。
異れる時期における諸国の人口を出生の増加によって測定することの[#「ことの」は底本では「との」]誤りなることを[#「ことを」は底本では「こことを」]示す、興味ありかつ適切な例証として、次のことは注目に価しよう。すなわちネッケルによれば、フランスの年出生は、一七八〇年に終る六箇年を平均して、九五八、五八六であった。ところが一八二二年に終る六箇年の出生は、前述の如く九五七、八七五である。だから出生によって人口を測定すれば、四二年間に人口は増加したよりはむしろ減少したように見えるであろうが、しかるに、実測によれば、人口はこの期間ほとんど四百万増加したと信ずべきあらゆる理由があるのである。
[#改ページ]
第八章 英蘭《イングランド》における人口に対する妨げについて
我国の社会をほんの瞥見しただけで、あらゆる階級を通じて、人口に対する予防的妨げが極めて著しく行われていることを、吾々は嫌でも認めざるを得ぬ。主として都市に住んでいる上流階級のものは、不正な性関係に耽る便宜があるので、しばしば結婚の志向をもたない。また他のものは、家族をもつと仮定すると費用がかかると考え、また楽しみを奪われると考え、結婚をしないでいる。財産が多い時には、かかる考慮は確かに些細なことであるが、しかしこの種の予防的予見は、下層に下るに従って、重大な考慮を払わなければならなくなるのである。
辛うじて紳士階級の交りが出来るだけの所得しかない高等教育を受けた人は、もし彼が結婚して家族をもつならば、一切の従来の交際を絶たざるを得なくなることを、絶対に確信しているに違いない。教育ある人が当然に選択する婦人は、彼と同じ習慣と感情の中に育てられ、彼女が結婚によって落ち込まざるを得ぬ社会とは全く異る社会の親しい交渉になれている婦人である。男たるものはその愛情の対象を、おそらくは彼女の習慣と志向とに相反する地位に置くことに、容易に同意し得るであろうか。社会の階段を二、三段、ことに教育が終りを告げ無知が始まるあたりで、下ることは、一般人には、幻想的な悪とは考えられず現実的な悪と考えられるであろう。もし社交が望ましいものとすれば、それは確かに自由な平等な相互的な社交で、利益を受けると共に与える社交でなければならず、被護者が保護者に対し、貧民が富者に対するが如き、社交であってはならない。
かくの如き顧慮は、確かに、かかる階級にある多くのものが、年若くして愛着を感ずる志向に従うのを妨げているのである。しかし他のものは、情欲がもっと強いかまたは判断力がもっと弱いために、かくの如き顧慮を無視する。そして道徳的な愛というが如き悦ぶべき感情が時にそれに伴う一切の害悪を償ってなお余りありという具合に行かぬとすれば、それは実際つらいことであろう。しかし私は恐れる、かかる結婚の結果は、慎慮に富む人の予言を否定するよりはむしろ確証することが普通であることを、認めなければならないことを。
商人や農民の息子達は結婚しないように勧められ、そして彼らが家族を養い得べきある商売か農場を手に入れるまでは、この忠告に従う必要があることは、彼らの一般に認めるところである。しかし商売か農場を手に入れるのは、おそらく彼らがずっと年取ってからのことであろう。農場の不足は一般に喞たれていることであり、またあらゆる種類の取引は競争が激しいから、誰もが成功するということは出来ない。事務所の書記やあらゆる種類の商業や自由職業の競争者の間では、おそらく他のいかなる社会部門よりも人口に対する予防的制限が普及していることであろうと思われる。
一日十八ペンスか二シリングの稼ぎを得て独身で楽に暮している労働者は、一人を養うに足る以上には出ないと思われるわずかな額を四、五人に分つ前に、いささか躊躇することであろう。自分の愛する女と一緒に暮すためには、彼はおそらく、もっと安い賃銀にも、もっとつらい労働にも、喜んで堪えることであろうが、しかしもし大家族を有ち何らかの不幸に遭遇するならば、いかに倹約しても、いかに身体を働かしても、子供が飢えるのを目撃し、または扶養のため教区に依頼するという、断腸の思いを避け得ないことを、自覚するに相違ない。独立愛好心は確かに何人もこれが根絶を望まぬ感情である。しかし英蘭《イングランド》の貧民法はあらゆるものの中で、漸次にかかる感情を弱める傾向の最も強いものであり、ついにはおそらくこれを完全に破壊してしまうべきものである、と告白せざるを得ない。
富者の家庭に住んでいる召使は、結婚をあえてせんとするに当っては、更にいっそう強力な制約を突破しなければならない。彼らは生活の必要品や愉楽品を、ほとんどその主人と同じくらい豊富にもっている。労働者階級の仕事と食物に比べれば、彼らの仕事はやさしく食物は贅沢であり、またその誇りが害されれば主人を代える力のあることを自覚しているので、他に依存しているという観念は弱くなっている。このように現在は楽な地位にあるが、もし結婚すれば彼らの見通しはどうであろうか。取引をするにも農業をするにも知識も資本もなく、日々の労働で生活資料を稼ぐことには馴れず、従って出来ず、従って彼らの唯一の落着き先は、彼らの人生に対する幸福な夕暮の輝やかしい見込を確かに少しも与えてくれない、みすぼらしい居酒屋であろうと思われる。従って彼らの大多数は、この好ましからぬ将来の見通しに阻まれて、独身の現状に満足しているのである。
もしこの英蘭《イングランド》の社会状態の概観が真に近いとすれば、人口に対
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