Z〇〇である1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。この計算が正確にいつ行われたのかはわからぬけれども、しかし著者は平時において[#「平時において」に傍点]という表現を使っているから、おそらく彼は革命前の時期を云っているのであろうと思われる。そこで吾々は、この一、四五一、〇六三[#「一、四五一、〇六三」は底本では「一一、四五一、〇六三」]という数字は、革命勃発時における兵役適齢の未婚男子の全一団を現わすものと仮定しよう。
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1)[#「1)」は縦中横] P. 32. 8vo. 78 pages.
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戦争勃発前のフランス人口は、憲法議会によって、二六、三六三、〇七四と推算された1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。そしてこの計算は過大であると信ずべき理由はない。ネッケルは二四、八〇〇、〇〇〇という数を挙げているが、当時の年出生は百万を越え、従って彼れの乗数二五・四分の三をもってすれば、総人口はほとんど二千六百万となる、という確信を表明している2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。しかもこの計算は、憲法議会の推算に先立つ十年に行われたものである。
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1)[#「1)」は縦中横] A. Young's Travels in France, vol. i. c. xvii. p. 466. 4to. 1792.
2)[#「2)」は縦中横] De l'Administration des Finances, tom. i. c. ix. p. 256. 12mo. 1785.
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しからば年出生を百万をやや上廻るものとし、プウシェのある計算から事実と思われる如く1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]に五分の二をやや上廻るものが一八歳未満で死亡するとすれば、六〇〇、〇〇〇人以上の者が年々一八歳に達する、ということになる。
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1)[#「1)」は縦中横] Essai, p. 31.
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年結婚は、ネッケルによれば、二一三、七七四人である1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。しかしこの数は人口が増加しつつある時にとった十年間の平均であるから、おそらく低きに過ぎるであろう。これを二二〇、〇〇〇とすれば、結婚年齢に達する六〇〇、〇〇〇の中《うち》四四〇、〇〇〇が結婚するということになる。従って、一八歳に達する人間が、年結婚の通常率を成立せしめるに必要な人数以上に生ずる超過は一六〇、〇〇〇すなわち男子八〇〇、〇〇〇となる。従って兵役適齢の未婚男子一、四五一、〇六三という一団と、これに毎年加えられる一八歳の青年八〇、〇〇〇とは、年結婚の数に少しも影響を及ぼすことなくして、兵役に徴集し得るわけである。しかし吾々は、この一、四五一、〇六三が一度に徴集されるとは想像し得ない。そして多くの兵士は結婚しており、従って人口増加に全然無関係というわけではない。そこで、吾々は、未婚男子の集団の中《うち》六〇〇、〇〇〇が一時に徴集され、そしてこの数は、一部は年々一八歳に達ししかも年結婚数を成立させるに必要でない八〇〇、〇〇〇から徴集され、また一部は戦前に存在していたところの、八五一、〇六三という未婚男子の一団の残りから徴集される、一五〇、〇〇〇の年々の補充によって維持されるものと仮定しよう。この二つの源泉から一五〇、〇〇〇が十年間毎年供給されても、しかも通常の年結婚数が一〇、〇〇〇以上増加すべきことは、明かである。
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1)[#「1)」は縦中横] De l'Administration des Finances, tom. i. c. ix. p. 255.
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なるほど十年経てば本来の未婚男子の一団の多くは兵役年齢を越すであろう。しかしこれは、彼らの結婚生活によって相殺され、また実に相殺されて余りあるであろう。五十歳の人間は一般に兵役年齢を過ぎたものと考えられるが、しかしもし彼が姙娠可能の女と結婚するならば、人口増加の上では決して無用ではないことを、最初から考慮に入れなければならぬ。そして事実上、毎年一五〇、〇〇〇の新兵の補充は、主として年々一八歳に達する三〇〇、〇〇〇の男子から取られ、従って年結婚数は多く未婚者の本来の一団の残留部分から供給されるであろう。四十歳五十歳の鰥夫や独身者は、通常の事態においては適当な配偶者を得るのが困難であろうが、このように夫が少い時にはこの困難もおそらく除去されるであろう。そして六〇〇、〇〇〇という人間がいなくなるので、もちろん年結婚数が非常に増加する余地が与えられるであろう。この増加は確かに起った。しからざれば独身を続けたはずの本来の独身者の一団の中《うち》、多くの者は、このように事情が変化したので結婚したのであろう。そして、一八歳未満の青年の極めて多数が、徴兵忌避の目的をもって、尚早にして結婚生活に入ったことは、周知のことに属する。これは極めて広く行われ、また未婚者の数を極めて減少せしめるに役立ったので、一七九八年の初頭には、既婚者を徴兵から除外する法律を廃止するの必要が認められ、そしてこの新法公布後に結婚した者は未婚者と無差別に徴集せられた。そしてこれ以後には、この国の人口増加に事実上寄与している者からも一部分徴集が行われたけれども、しかもこの徴兵を免れた結婚数はなお依然革命以前の通常結婚よりも大であった。そして夫の徴集によって破れた結婚といえどもおそらく全然子供を生じなかったわけではなかろう。
サア・フランシス・ディヴェルヌワは、確かにフランスの損害を誇張する傾向を有ち、またおそらくかなり誇張していると思われるのであるが、彼は一七九九年までのフランス軍隊の陸海を通じての全損失を、百五十万と見積っている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。この問題を例証するために私のとった概数はサア・フランシス・ディヴェルヌワ氏の見積りよりも六十万だけ多い。しかしながら彼は、革命に伴う他の破壊原因による死亡をこの上百万人計上している。しかしこの損失はあらゆる年齢あらゆる性に無差別に生じたのであるから、同じ程度には人口に影響を及ぼさず、従ってサア・フランシスの計算以上に生ずる血気旺んな六〇〇、〇〇〇の男子によって相殺されて余りあるであろう。更におそらく、革命戦の後期においては、徴兵が旧領土よりも新領土において更に厳重に行われたのであり、そしてこれら新領土の人口は五、六百万と見積られているから、それは軍隊で死んだと想像されている百五十万人のうちの大きな比率をなしたことであろう。
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1)[#「1)」は縦中横] Tableau des Pertes, etc., c. ii. p. 7. ――ガルニエ氏は、そのアダム・スミス仏訳版の註において、フランス人口のわずかに六十分の一が戦死したに過ぎぬと計算している。彼は、直ちに編成されたものはわずかに五〇〇、〇〇〇に過ぎず、戦争中にこの数に追加されたものは四〇〇、〇〇〇であると想像し、そして自然死を遂げたものの数を斟酌した上で、戦争のために増加した死亡はわずかに毎年約四五、〇〇〇に過ぎぬと想像している。Tom. v. note xxx. p. 284. もし実際の損失が、ここに述べてあるところ以上に出でぬとするならば、出生のわずかの増加がこれを容易に恢復したことであろう。しかし私は、これらの推算は、サア・フランシス・ディヴェルヌワの推算が過大であると同程度に、過小である、と考えたいのである。
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革命の初期において(訳註)離婚を大いに便ならしめた法律は、道徳的見地からも政治的見地からも極めて悪法であったが、しかし、それは男子が非常に不足しているという情勢の下において、それはいささか一夫多妻の慣習のような作用をし、そして夫の数に比例して子供の数を増加させたであろう。これに加うるに、夫のない婦人が全部子供を産まないとは思われない。私生児の出生総数に対する比率は、革命前の四七分の一から現在一一分の一に増大している1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。そしてこれは道徳的堕落の憂鬱な証拠ではあるけれども、たしかに出生数の増加には寄与したであろう。そしてフランスの農婦は。革命期間中は、人手が足りないので、通常以上の所有をあげることが出来たから、おそらくこれらの子供達の多くは生き永らえたことであろう。
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1)[#「1)」は縦中横] Essai de Peuchet, p. 28.
〔訳註〕『革命初期において』なる語は第五版より現わる。その他用語上の若干の修正がある。なおここでパラグラフが改められたのは第六版からである。
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これら一切の事情の下において、フランスの農業が生活資料を無事に保証し続ける限り、その人口が、革命の進行中働いた一切の破壊原因にもかかわらず、依然減少しなかったということは、不可能ではあり得ぬのであり、またありそうもないことですらないことが、わかるのである。そして、いかにはなはだしくフランスの工業が損害を蒙ったにしても、その農業は衰滅よりはむしろ増進したことは、今では一般に認められているように思われる。戦争中のいかなる時期においても、召集された軍隊の数が、革命前に工業に従事していた人間の数を超過した、と考えることは出来ない。これらの工業の破壊によって失職し、しかも軍隊に加わらなかった者は、もちろん農業に参加したことであろう。そしてフランスでは、婦人が農場で大いに働くのが常に習慣なのであるが、この習慣は革命中おそらく増大したことであろう。同時に、最良の最も気鋭の働き手の大部分がいなくなったので、労働の価格は騰貴したであろう。そして新しい土地が耕作されるに至り、また最大の消費者1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]の大部分が外国に行って不在なので、食料品の価格は比例的には騰貴しないであろうから、この労働の真実価格の騰貴は、啻に結婚に対する有力な奨励たる作用を演じたばかりでなく、また農民をしてその生活を改良しそしてより[#「より」に傍点]多数の子供を養育し得せしめたであろう。
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1)[#「1)」は縦中横] ある時期に増加した子供の数が軍隊に行って留守になった男子の数と等しくなると仮定しても、これらの子供は、すべて非常に若いのであるから、同数の成人が消費すると等しい量を消費するとは想像し得ないであろう。
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あらゆる時代に、フランスの小農業者及び小財産家の数は極めて多い。そしてかかる事態は一国民の純剰余生産物すなわち自由に処分し得る富にとって好都合なものではないけれども、しかしそれは時に絶対的生産物にとっては都合の悪いものではなく、そして常に人口増加を助勢する強い傾向を有つものである。貴族や僧侶の広大な所領地の多くの売却と分割により、地主の数は革命の間に著しく増加した。そしてこれらの所領地の一部分は、遊園地や遊猟場から成っていたので、この所領土は開墾されることになった。なるほど地租は啻に重税であるのみならず、その賦課が不公平である。しかしながらこの不都合はおそらく、耕作者が蒙っていた従来の圧迫が除去されたのでほぼ相殺されるであろうし、また大きな領地の売却と分割は、農業の側から見れば、または少くとも、単なる人口に関しては主要点をなす総生産物にとっては、明かな利点と考え得よう。
かように考えてみると、革命中に生活資料は、増加しなかったとしても少くとも減少しなかったらしく思われる。そしてフランスの耕作の現状を一瞥すれば、この仮定はむしろ確証されるようである。
従って、吾々は、フランスの年出生は革命中七分の一だけ減少したという、サア・フランシス・ディヴェルヌワの臆測に同意することは出来ない1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。これと反対に、むしろこの数だけ増加した
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