ee a paper in the Bibliothe`que Britannique, published at Geneva, tom. iv. p. 328.〕
[#ここで字下げ終わり]
 おそらく程度は同じでなかろうが同じ種類の死亡率低減の現象がスイスに生じたことは、極めて確実である。そして吾々は、上述せる他の諸国の記録簿から、より[#「より」に傍点]大なる死亡率は当然により[#「より」に傍点]大なる出生率を生ずることを、知っているのである。
 出生が死亡に依存するというこの事実については、ミウレ氏自身多くの事例を提供している。しかし彼は真の人口原理を知らないので、それはただ彼を驚かすのみであって、彼はこれを応用していないのである。
 彼は、スイス婦人の出産性の欠乏について述べて、プロシア、ブランデンブルグ、スウェーデン、フランス、また実に彼が記録簿を見たすべての国は、洗礼の総人口に対する比率は、これが三六分の一なるヴォー州よりも高いと云っている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。彼は更に附言して、最近リヨン州で行われた計算から見ると、リヨン州だけでは洗礼比率が一対二八であり、諸小都市では一対二五であり、地方教区では二三ないし二四分の一であることがわかる、と云っている。彼は曰《い》う、リヨン州とヴォー州とには何たる大きな差異があるのだろう、ヴォー州では、最大の比率、しかもわずか二つの小さな教区にしか見られぬ最大の比率ですら、二六分の一を出でず、多くの教区では四〇分の一よりもかなり低いのに!2)[#「2)」は縦中横、行右小書き] と。彼はまた曰う、平均寿命[#「平均寿命」に傍点]にも同一[#「同一」に傍点]の差異がある。リヨン州では二五年をやや越すくらいであるが、ヴォー州では最短平均寿命、すなわち湿潤で不健康なただ一つの教区だけで見られる平均寿命でさえ、二九・五年であり、多くの場所では四五年以上である、と3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。
[#ここから2字下げ]
 1)[#「1)」は縦中横] 〔Me'moires, etc., par la Scie'te' Econ. de Berne. Anne'e 1766, premie`re partie, p. 47, 48.〕
 2)[#「2)」は縦中横] Id. p. 48.
 3)[#「3)」は縦中横] Id.
[#ここで字下げ終わり]
 彼は曰く、『子供が嬰児期の危険から最もよく免かれ、また、いかなる計算法によって計算してみても、平均寿命が他国よりも高い国こそが、まさに、出産性が最小であるというのは、何に由来するのであろうか。また我国の一切の教区の中で、最高の平均寿命を与える教区が、増加傾向の最小なる教区だというのは、どうしてであろうか。
『この問題を解くために、私は次の推測を、だがほんの推測として挙げてみたい。これは、あらゆる場所において適当な人口の均衡を維持せんがため、神は賢明にも、各国において生命力がその増殖力と反比例を保つように、事物を調整したのではなかろうか1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
[#ここから2字下げ]
 1)[#「1)」は縦中横] Id. p. 48 et seq.
[#ここで字下げ終わり]
『事実上、経験は私の推測を確証する。アルプス山脈中レエザンという村は、人口が四〇〇であるが、その出生は一年わずか八人ほどである。ヴォー州は大体同一人口に対し一一人、リヨン州では一六人である。しかし、二〇歳になると、この八、一一、一六という数字が同じ数になってしまうのだとすれば、ある場所で生命力が与えるところのものを、他の場所では増殖力が与えることが、わかるであろう。かくて最も健康的な国も、増殖力が少いために、人口過剰とはならず、また不健康な国はその異常な増殖力によって、その人口を保つことが出来るであろう。』
 ミウレ氏が、記録簿から、最も健康な人民は最も増殖力が小であることを見出したときの驚きがどんなであったかは、彼がこれを説明するために奇蹟に頼っていることで、判断することが出来よう。しかし、この場合において、解決が困難だからといって、このような推測に頼らなければならぬ必要は少しもない。この事実は、婦人の出産性はその健康性と反比例的に変動するというような奇妙な仮定に頼らなくとも、説明し得よう。
 各国の健康性には確かに大きな差異があり、それは部分的には土壌及び位置から生じ、また部分的には人民の習慣及び職業から生ずるものである。これらの原因、または何であろうとその他の原因により、大きな死亡率が生ずる時には、それに比例する数の出生がすぐその後から生ずるものであり、これは労働に対する需要の増加による年結婚数の増加と、より[#「より」に傍点]若く従って当然より[#「より」に傍点]多産的な年齢に結婚が行われる各結婚の出産性の増大との、両者によるものである。
 これに反し、反対の原因によりある国または教区の健康性が著しく大である時には、もし人民の習慣により、過剰人口の吐け口として移民が行われないならば、やがて予防的妨げの絶対的必要が極めて強く人民の注意に迫り、ために彼らはこれを採用せざるを得なくなり、もしこれを採用しなければ餓死するということになるであろう。従って結婚は極めて晩婚となるので、啻に年々の結婚数が全人口に対比して小となるばかりでなく、また各個々の結婚の生殖力も当然に小となるであろう。
 ミウレ氏が言及しているレエザンの教区においては、これら一切の事情がなみならぬ程度で共存していたように思われる。その位置はアルプス山脈に位しているが、しかし高過ぎることはないから、おそらく空気は最も清浄で衛生的であった。そして人民の職業は、全部牧畜であったから、従って最も健康的なものであった。ミウレ氏の計算の正確なことはこれを疑うことが出来ないが、それによれば、この教区における生命蓋然率は、六一年というが如き異常な高さにあったことがわかる1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。そして平均出生数が三〇年に亙りほとんど正確に死亡数と等しかったという事実は2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]、人民の習慣上移住が行われず、そしてこの教区の人口を支持すべき資源がほとんど停止していたことを、明かに立証するものであった。従って吾々は、牧場は限られており、量においても質においても容易には増大し得なかったであろう、と断言することが出来る。そこで飼育し得る家畜の数はもちろん、同様にまたこれら家畜の世話に必要な人間の数も、限られていたことであろう。
[#ここから2字下げ]
 1)[#「1)」は縦中横] Id. table v. p. 64.
 2)[#「2)」は縦中横] Id. table i. p. 15.
[#ここで字下げ終わり]
 かかる事情の下においては、青年期に達した若者は、誰かが死んで、牧人か搾乳者かその他類似の職業が空席となるまでは、その父の家を去って結婚することはどうして出来ようか。そして、人民の健康が非常によいのでこうしたことはなかなか起らぬに違いないから、彼らの大多数は、その青年期の大部分を独身で暮らさなければならず、しからざれば自分も家族も餓死してしまうという最も明かな危険を犯すことになるであろう。この事情はノルウェイの場合よりもいっそう甚だしいのであり、また出生と死亡とがほとんど等しいという事情からして特にはっきりと現われるのである。
 父親が不幸にして普通以上の大家族を有つならば、その結果として結婚数は増加よりはむしろ減少の傾向を示すであろう。彼はおそらくその小さな所有地で子供達全部に適当な仕事を見出すことは出来ないであろうが、しかしたぶん倹約すればその全部を家庭で食わしていくことくらいは出来るであろう。しかし子供達は明かに長い間かからなければ父親の許を去ることが出来ぬであろうし、また息子の中で最初に結婚するのもおそらく父の死後となるであろう。しかるにもし父親が二人しか息子を有たなかったとすれば、その一人はおそらく親の家を去ることなくして結婚することが出来ようし、またもう一人は父の死と同時に同時に結婚することが出来よう。おそらく一般的に云って、四人の未婚成年がいるかいないかが、この上結婚して新家庭をつくる余地があるかないかの差異を作り出すものと、云い得るであろう。
 この教区では、ほとんど例外なしに、極めて晩婚であり、しかもその位置が極めて健康的であるために夫婦の一方の死亡による結婚の解消は極めておそいのであるから、現存する結婚の大部分では夫婦の年齢が非常に進んでおり、従ってたいていの婦人は子供を産まなくなってしまっていることは、明かである。従って現存結婚総数の年出生数に対する比率は、一二対一という極めて異常な比率であることがわかった。出生率は人口のわずかに約四九分の一にすぎず、そして十六歳以上の者がそれ以下の[#「以下の」は底本では「以上の」]者に対する比率は約三対一であった1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
[#ここから2字下げ]
 1)[#「1)」は縦中横] Id. p. 11 and 12.
[#ここで字下げ終わり]
 この教区と対照をなすものであり、かつ人口の測定に当って出生数がいかに頼りにならぬかということの証拠として、ミウレ氏は、ユラ地方のサン・セルジュの教区を引合いに出しているが、そこでは、現在結婚数の年出生に対する比率はわずかに四対一であり、出生数は人口の二六分の一で、十六歳以上の者と以下の者との数はちょうど同じであった1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
[#ここから2字下げ]
 1)[#「1)」は縦中横] Ibid.
[#ここで字下げ終わり]
 彼は曰う、これらの教区の人口をその年出生率から判断すれば、レエザンはせいぜいのところサン・セルジュを越すこと五分の一以上ではないと思われるであろうが、しかし実際の計測をすると、前者の人口は四〇五、後者のそれはわずか一七〇であることがわかった1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、と。
[#ここから2字下げ]
 1)[#「1)」は縦中横] Id. p. 11.
[#ここで字下げ終わり]
 また曰う、私は、最も著しい対照をなしている教区を選んだのであるが、しかし他の教区ではその差異がそれほどはなはだしくはないけれども、しかも、場所が異れば、距離が非常に近く、また環境の点では明かに類似していても、その比率に著しい差異のあることが、常に見出されるであろう1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、と。
[#ここから2字下げ]
 1)[#「1)」は縦中横] Id. p. 13.
[#ここで字下げ終わり]
 以上の如き観察を下し、また私が紹介しなかった同一傾向を有する他の観察を下して後なお、彼が、ヴォー州の人口減退の証拠の全部を出生率に求めているのは、奇妙なことである。この比率は時期を異にし位置を異にするにつれて異るものではないと想像すべき十分の理由はない。レエザンとサン・セルジュとの二教区の出産性の著しい対照は、時間と事情との力が変化し得る原因に依存している。サン・セルジュでは成人に達する子供の数の比率が大きいところから見れば、その自然的健康性はレエザンのそれに比して遥かに劣るものではないことがわかる1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。その出生の死亡に対する比率は七対四であった2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。しかしその全住民数は一七一を越さなかったのであるから、この大きな出生超過が、過去二世紀の間、規則正しく人工に附加され得なかったことは、明かである。従ってそれは、近年この教区の農業または取引が急に増大したのによるか、または移住の習慣によるかの、いずれかによって起ったものに相違ない。私は後者の仮定が正しいと思う。そしてそれは、前述の成人の比率がより[#「より」に傍点]小である事実によって確証されるように思われる。この教区はユラ地方に位置を占め、パリからジュネエヴに至る大
前へ 次へ
全44ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
吉田 秀夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング