校職員の手にあまり、今一歩で騒動が勃発するという報告に接した。私は困った。どうもそういう学校騒動のたまごを持ち込んだのでは、会長に対しても全く相済まぬことであった。そこで牧舎と住宅とはそのまま学校に寄付して、彼に牛を曳いて帰って来いと命じた。
すると大きな体のウルスス君が牛を曳いてノッソリと帰って来たが、特別大きなこの二つの存在には、第一入れる場所からして無い。私も全く当惑した。ことここに至れば完全な牧場を設けて、この両者を活かすよりほかなしと決意した。
そこで獣医学校の大槻雅得氏に設計を託し、三井家の牧場をも参酌して、きわめて小規模ながら牧場を自営することとなった。すなわちこれが仙川にある中村屋牧場である。
この牧場はこんなわけで出来たが、今日では最も優良なる生乳と生クリームとを供給し、中村屋にとり、なくてならぬ存在となった。窮余の一策としてやむにやまれず設けたものが今日これだ。人間万事塞翁が何とやら、うまいことを言ったものだと思う。
また私はこの牧場経営で、二年ほど苦労したが、その後欧州視察の旅で、この知識がたいへん役に立ち、あちらの農業視察に大いに便宜になった。欧州の農業
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