経済を知るにはその基礎たる牧畜の知識を切要したからである。
もう一つの幸いは、ウルスス君が私の所に来て以来、修道院製造のバター、チーズ、タニヨール、果物漬などを中村屋が取扱って全国に配布することになった。
四囲の刺激に一段の飛躍
三越が新宿に進出し、現在の二幸のところに支店を開いたのは大正十五年十月であった。まだその頃の新宿は新開の発展地とはいえ、これといって目に立つほどの商店もなかったから、三越支店の出現が、新宿一帯の地に与えた刺激は大きかった。地元の商店で多少ともその打撃を受けないものはなかったが、中村屋(当時売上げ月二万円程度)でも、月額千円に上った商品切手が全く出なくなり、その他の売上げにおいておよそ二千円を減じ、合わせて三千円の激減を見た。これらの客はすべて三越に吸収されたものであった。
私は考えた。鳥なき里の蝙蝠《こうもり》という譬《たとえ》があるが、三越という大きな鳥が出現して中村屋がただちにこの打撃を被るのは、やはり中村屋の商売にまだ一人前として足らぬところがあるからである。これは大いに反省し環境に従って一段の飛躍を遂げるのでなかったら、せっかく独自の
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