私のとらないところであった。
 たとえば今日は百円くらいの売行きはあろうと思っても、夕立その他の万一の故障に備えて、その八掛け八十円だけの製造に止める。したがって毎日早く売り切れてしまうから、中村屋の品は新しいということがお得意にも判り、あの店のものならばと期待してもらえるのである。
 しかし遅く見えたお客に『今日はもう売り切れました』と言って断るのはまことに辛いことであるし、またたしかに惜しい。そこでつい余分に製造するのが人情である。その余分に製造したのが売り切れれば結構だが、三日に一度くらいは売れ残り、これを捨てるのは惜しいというわけで、翌朝蒸し返し、あるいは造り直して売る。いかに精選した原料を用いてあっても、蒸し返しや造り直しでは味が死んでしまっていて、出来立ての品とは較べものにならぬ。客は失望し、その店の信用は漸次失墜する。こんなことは私が言うまでもなく、誰でも判っている筈なのだが、その判っていることを人はやはり繰り返すのである。店員諸子も他日中村屋を離れて自分の店を持つ暁には、こういう迷いに陥らぬよう、いつも内輪目の手堅い商売を目指してもらいたいものである。
 中村屋では生菓
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