を朝々の静坐道場としておられたが、どんな寒い冬の朝でも道場は暗いうちから満堂立錐の余地なく、後《おく》れたものは廊下の板の上に坐っていた。この朝の静坐が済んでから、毎週二回、我が中村屋でも第二の会が催され、ここにも毎回十数人の人々が集まり、約十年ほども引きつづき行われたのであるが、惜しいかな、先生は大正九年の十月十七日に急逝せられた。
岡田先生は何事でも三段論法で断言されるのであったが、私に教えて言われるには、『商売を繁昌させるのは難かしいことではない、良い品を廉《やす》く売ればよろしい』
わかり切ったことのようであるが、先生はこの鉄則を私に教えられたのであった。すなわち「良い品を廉く」を店の標語《モットー》として中村屋は今日に至ったのである。
さて「良い品を廉く」というと、そこに連想されるものは薄利多売であるが、私は必ずしも多売を目的としなかった。良い品のその「良い」ことを落さぬためには、常に製品を内輪に見積って、どんなことがあっても翌日にまわるような売れ残りを拵えてはならない。すなわちここが大切の思い切りどころであって、多量に製造して販売能力の精一杯まで当てにするという方針は
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