絶対の信頼をもって先生の教えに服していたこと、まことに不思議なほどであった。かの有名な栃木鎮台田中正造翁もその一人であったが、翁はこの二十歳も年少な岡田先生を評して、
『聖人とはこの方のことでしょう、古来支那に孔子出で、印度に釈迦あり、猶太に基督《キリスト》が生れ、聖人はみな外国にあって、まだ我が日本には出なかったのであるが、今度こそは我が国にも聖人が生れました』
と言い、崇敬措かなかったものである。私などは先生のような大人物を評価するなど思いも及ばぬことであるが、かつて聖書で、基督の徳を慕うて集まった数百人の男女が、ホザナよホザナよと讃えつつ村から村へと続いたというところを読んで、これは後世信者が基督の徳を誇張してこのように書いたものであるとのみ考えていたことを思い、ああ見なければ解らぬものだ、現にこういう事実が眼の前にあるではないか、聖書にある基督のことも決して誇張ではなかったのだと感じ入ったほどで、実際岡田先生の静坐会に参加する人々、またどこまでもと先生の後をついて歩く人々は、雲の如くであったと言っても過言でない。
先生は当時、もの淋しい日暮里駅の上にある本行寺という寺の本堂
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