にない好天気であったことを知り、秋田から餅米を取りよせて新兵衛餅と比較して見た。すると果たしてこの年は秋田餅の方が優れていたから、これを用いてお得意に配り、値も安くて品も良かったと好評を博したことがあった。
 この場合、私が秋田餅の上出来なのを知らず、例年通り新兵衛餅を天下一品として納めていたとしたら、せっかく得たお得意を失い、中村屋の信用をおとすところであったのである。
 こんなふうで、天下一品と折紙のついた原料を扱うからといって、決して安心は出来ない。四囲の状況に照して注意を怠らず、研究心強く、またその労を厭うところがあってはならないのだということを、その時しみじみ感じたことであった。

    良い品を廉く

 私が静坐の岡田虎次郎先生を知ったのは明治四十五年の春であった。その動機は妻が「黙移」に書いているからここには省くが、とにかく先生はその時代におけるたしかに驚嘆すべき存在であった。その教えを受けるものには大学教授あり、富豪あり、宗教家あり、貴族あり、学生あり、また狂える婦人あり、病める者あり、じつに社会各層を網羅し、人生の諸相をここに集めたかの観があり、それらの人々がじつに
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