ろん美食は自分たちだけのことであって、職人や小僧女中たちはいわゆる奉公人並みの食事、昔からある下町の商家のきまりともいうか、とにかくこの差別待遇で、万事に主人側と雇人との区別がきちんとしていた。
 それから夫妻とも信心家で、二十一日は川崎の大師様、二十八日は成田様、五日は水天宮様、というふうに、お詣りするところがなかなか多い。むろん中村さんとしては商売繁昌をお願い申しに詣るのであって、これも商売熱心の現れには違いないが、同時に楽しみでもあって、夫婦ともその日は着飾って出かけて行った。いったいにみなりを構う方で、流行に応じて着物を拵えていた。
 これでは主人夫婦の生活費と小遣いに店の売上げがだいぶ引かれ、一方雇人たちは粗食に甘んじて働かねばならぬ。しごく割のわるい話である。
 ことに相場に手を出してからは、無理なやりくりで店の原料仕入れも現金買いは出来なくなり、すべて掛け買いで、それも勘定が延び延びになるから、問屋も安くは売らない、少なくも一割くらいは高く買わされていた。そんな高い原料を使い、おまけにそういう暮し方をしていたのでは、少々店が売れたところで立ち行く筈はないのである。
 我ら
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