談話に思はず時刻を移し、やうやくに辞し去りたる頃は、はや仲秋望後の月の、大空に輝く時なりけり。
 幾度か雪駄直しの手にかかりて繕はれたる靴の、急くほど足痛けれど、携へたる紫メリンスの、風呂敷の中には、校長の注意にて母への土産もあるに、心勇みて玉江橋の中程まで来かかりたる金之介の、足音に驚きてや、橋の欄干に身を寄せたる婦人の、しかも年|弱《わか》く、月の光を受けて面《かほ》の色凄きまで蒼白く美《うるは》しきが一歩二歩歩み出たり。訝《いぶか》しとは思ひながら行過ぎたれど、何となく気にかかりて振り向けば、また立止まりてさめざめと泣くさまなり。あまりの不思議にしばしば見帰れば。かなたも気味悪げにこなたを見たるが。しばし何事をか打案ずるさまにて金之介の傍へ駈け寄り、あなたはもしや兄上様、イイエあの淵瀬の若旦那様ではござりませぬかと、問ふに金之介は驚きて、よくよく見れば稚な顔のいたく大人びて、見違へたれど紛ひもなきお静なり。いかにしてかかる辺りに彷徨《さまよ》へるにやと思へど、今は親しからぬ身の左右《さう》なくは問はず。ただ訝しげにその顔をうちまもるにぞ、お静は涙ぐみながら、言葉せはしくその身のあ
前へ 次へ
全24ページ中20ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
清水 紫琴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング