ゑさせ、鼠縮緬の坐蒲団の上に立膝したるお艶、今しもお吉が結ひ上げたる髪を合はせ鏡に照らし、小判紙を右の中指《なかざし》に巻きて襟のあたりを拭ひゐたるが、お吉は例のお世辞よく、煙草吸付けて先づ一ぷくと差出しつ。奥の方を冷やかに見遣りてニヤリと笑ひ、それではあちら様へも伺ひませうかといふは、お秋を指さすなるべし。ハアやはりネー、同じにしないといけないからねとお艶の軽くうなづくを受けて、お吉もまた仰々しくしばしばうなづき、真実にネーお大低じヤアありませんネーと意味あり気にお艶の顔を見る、ここらがお吉の三略なるべし。折から伴働《なかばたら》きのお鈴は次の間より、太やかなる頸を突出して、アノー大丸が御注文の品を持つて上りましたと申して、前刻からお待ち申してをりますが。アー次へ通しておくれとのお艶の指図に入れ違へて大丸の手代は、早くも次の間へ伺候しつ。見上ぐるばかりの風呂敷包手早く解きて、注文の品々ズラリ並べ立てぬ。如才なきお吉は、あるひは半襟の一ツにでも有り付かむかと、忙しき身の立ちかけたる腰を据ゑて、ヲヤヲヤどうも立派です事ネー。私達はとても大丸さんの、お店へは上がれませぬから、せめてはこなたで眼のお正月をさして戴きませうと。あれよこれよと撰り好むお艶が、手に取るほどのもの、喋々しく誉め立てぬ。お鈴もさすが年若き女のたかね[#「たかね」に傍点]の花とは知りながら、これもその場を去りかねて、お艶の機嫌とりとり品|評《さだ》めするにぞ。賑やかなる声はかなたにも漏れてや、お秋の部屋に人形の着もの縫ひゐたるお静の、何事と見に来りしが、見れば取広げたる呉服の数々《しなじな》、中には我のと覚しき、赤地錦の帯もあり。秋の七草を染め出したる京友仙の美《うるわ》しきは、ちやうど袷になりもやせむ白地博多に太やかなる赤の一本筋は、ちとあつさり過ぎたれど、いづれ心づくしの品ならぬはなし。物心付き初めたるお静は、見るからに好ましく、彼や我がものとしたまふらむ、これはいかにと、お艶の顔と品物とを、七分三分に見競べての物思ひ。なさぬ中とて、さすがこれをとはいひ出でねど、心を配る様子を見てとり、如才なきお吉はにこやかにお静に会釈し。これはこれはお娘様《じやうさま》の、いつお見上げ、申してもおとなしい。おつつけ若旦那様の御卒業あそばしてお帰りなされむには、あなた様の、いやと仰せられても、御母様の捨置きたまふ事でなし。それはそれは沢山お求めあそばしましように今からその用意にちとおねだりあそばせとや。かかる事いはるるは常なれど、お静は子供心にも恥づかしく、またしてもお吉のそんな事いふものでなしと。ツンと澄まして横を向きたる折ふし、お秋の姿チラと向ふの縁側に見えたるに心付き、オオ伯母様の定めて御覧なさりたかろにと、お艶がお待ちといひたる声は耳にも入らず、足早に馳せゆきて、さも大事件の起こりたるかのやうに、伯母様伯母様アノー大丸が美しきもの、たくさん持つて参りました程に、あなたも御覧あそばしませぬかと我が見たきもの見せて喜ばせむとの子供心嬉しく、お秋は進まぬながら手を携へられて入来りしに、お艶はジロリとそなたを見たるのみ、お吉お鈴さへも無言なり。お秋は何となく気の咎められて、縁側に佇みをりしに、お静は何の気もつかず。伯母様そこでは見えませぬ、こちらへお這入りあそばせと引張るやうにして、お艶と我との間に坐らせ、伯母様これが私には宜しいでしやう、ホラこの間申しました松村さんのお嬢さんのは、ちやうどこんな風なのですよと。思はず手を伸べて、一ツ二ツお秋の方へ引寄せむとするにぞ、お艶はこらへかねて、人知れぬやうにお静の手をピチリとひねり、およしよ、子供が出しや張るものではないと、お秋にあててお静を叱り、更にまた詞をあらためてお秋に向ひ奥様も何か御入用にや、御入用の品あらば私まで仰せ置かれたし。奥様のはおじみな柄、お年寄のはたいてい極まつたものなれば、私が見計らつて、後から鈴に持たせて上げませうにと、いふは敬して遠ざくる算段と早くもその機を見て取りしお吉、俄に空々しき辞儀を施して奥様の何時の間に入らせられしやら、ツイ夢中になつて、拝見致してをりましたので飛んだ失礼を致しました。どれおぐしをお上げ申しませうか、お鈴さん憚りながらおくせ直しのお湯をとの詞をきつかけに、お鈴もまたその意《こころ》を得て、常には軽さうにもあらぬ尻振り立てて行く後姿にくらしく。よくもこれ程いひ合はしたやうに奥様をおもちやにせらるるものと。お秋よりは、大丸の手代眼を団《まる》うして見送りぬ。跡にはお艶が好みの品々に添へて、価貴きものの一二反は、丸三郎の贈りものとして購はれし事なるべし。(『女学雑誌』一八九六年一〇月二五日)
その三
有為転変の世の習ひ、昨日までは玉楼金殿の裏に住居し貴人さへ、今日は往来の人
前へ
次へ
全6ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
清水 紫琴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング