に道を狭められ車夫にさへ叱り飛ばされ、見るもいぢらしき姿となるがある世に、算盤珠の外れ易き、商業界に身を置きし金三の、流行紳士ともてはやされしも一時。淵は瀬となる世の中に、名詮自称の金三のみ、いかでかはその数に漏るべき。かねてしも財源と頼みてし会社の一朝祝融の怒りに触れて、十年の経営たちどころに灰燼に帰し、百千の株券とみに市場の声価を失ひたるより、いかでこれを恢復せばやと、再興の計画にをさをさ肝胆を砕く折も折。我が名義にて営みし私立銀行の、忙しきままこれまで人任せにしたるが、何事もなかりしに、役員の不始末より破産の不幸に逢ひ、無限責任の悲しさには、債務ことごとく金三の一身に集りぬ。されど金三は年頃の派出やかなる暮しに少なからぬ借財もありて、巨万の富を重ねしと見えしも、その実融通一つにて支へたる身なれば、今かく重なる不幸に逢ひては、資産の全部を、手離さではかなはぬ仕儀となりぬ。その噂早くも伝はりて、債権者の名々、我も我もと先を争ふて責め寄するにぞ、さすが商界の一老将も、力つき謀窮まりて、我が住居さへ保ちかぬる様子を、見て取りし妾のお艶、足もとの明るき内に、辞し去るが上分別と思へるにや。ある日金三の機嫌よき折を見て、今日この頃のお心遣ひ、私の眼にはありありと、そのお窶《やつ》れが見えまする。所詮女の身の力及びませねど、日頃の御恩報じは今日この時、もとの島へ戻り二度の花咲かせむも、それはかへつて旦那様のお顔汚し。それよりは私が下女代はりを致してなりとも、口を減らさせましたい心なれど、馴れぬ水仕事は、奥様もお遣ひあそばすにお骨も折れませう。まだしも慣れた事なれば、もとの土地へ帰りまして、お茶屋でも始めたならば、私の古い馴染もあり、旦那様の御贔負受けたお茶屋も少なからねば、引立ててもくれませう程に。さすれば旦那の、お助けとはならぬまでも、私とお静の二人口に、御心配かけぬだけの事は出来ませう。別に資本のいると申すでもなし座敷の飾り夜の具《もの》皿小鉢のいくらかを、分けて戴けばそれで済みまする。いかがなものといひ出でたるを、瘠《や》せても枯れても我《わし》は淵瀬、そなたの力を借るまでもないと、初めは笑ひて取合はざりしが、お艶が切に請ふて止まざるにぞ、さらばそなたの気の済むやうと、島の内に相応《ふさわ》しき貸家求めさせて望み通り引移らせぬ。お艶は得たりと我が衣類調度は更なり、その外何くれとなく借受けて持運び。始めは本宅へのおとづれ怠らず、金三をもしばしば呼び迎へて快く待遇《もてな》しそれこれの事指図を仰ぐにぞ、金三もかかる場合ながら、新たに別荘得たる心地して、掛物もこれ、敷物もこれと、追々に本宅のもの持来りて、多くはお艶の方に在るにぞ、お艶の新宅躰裁よく調ひたる頃は、淵瀬の倉庫はいつしか空しく、座敷までも明屋《あきや》めきぬ。お艶はここらが見切り時と思はぬにはあらねど、とみには冷やかなる気色も見せず。されど居心よきままに、いつまでも金三の入り浸らむには、様付の居候置きたるも同様にて、果てはかくまで謀りたる甲斐なからむと、追々には針を包みたる美《うるは》しき詞にて、お客商売に殿御は禁物、殊には世上にお顔広き旦那様の、ここに居たまふ事人に知れては出入るお客の、気を置かるるもあるべきに、なるだけ人に、お姿の見えぬやうにしたまへかし、この間も御存知の何某様二階にて大浮かれの最中、旦那様のお声聞こえてより、拇指《れこ》は内にかと俄の大しけこみ、それよりは花々しき騒ぎもなく、そうそうにお帰りなされしより、私も始めて気がつきました。商売大事と思ひ給はば、その御心したまひてよと。いふは正《まさ》しく我を遠ざくる算段と金三は未だ心付かねど、せつかく気保養にと思ふお艶の家に在りても、お艶は多く座敷へ出で、傍らには居らぬがちなるさへ、飽かぬ心地せらるるに、この上|一室《ひとま》に閉籠もりて、影さへ人に見せられじとは、てもさても窮屈なる事と、少しは面白からず思ひしにや、その後は足も自づと遠ざかるを。お艶は結句、よき事にして、強ひては迎へず来ればよき程に待遇《もてな》せど、以前に変はる不愛想は、逐に金三の眼にもつきて、己れ不埓の婦人《おんな》めとさすがの金三も怒らぬにはあらねど、流れの身には有りがちの事と、それより後はおとづれもせず。この時にこそ金三も、無明の夢の醒めけらし。
 この間に立ちて殊勝にも、いぢらしきはお静にて、これはお艶の養ひ子とはいへ、稚きより淵瀬の本宅に人となり、石女《うまずめ》のお艶の、可愛がるやうにて、怖らしきよりは、万事物和らかに、情け深き本妻お秋の何となく慕はしく、多くはそが傍らに在りしに、お秋もまた遣る方もなき心の憂さを、この無邪気なる少女に慰めむとてか。お静お静と呼寄せての、優しき慈愛身にしみて嬉しく。果ては読み書き、裁ち縫ひの道しるべさ
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