盤を取り上げて、今度は手に持ちたるまま妻の顔を見て、
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 先づここへ三と置くやろ、さうしてこちらへ十四とおいてと、エエ十四を三で除るとすると、――な、それな三一三十の一三進が一十、ソレ三二六十の二、三二六十の二でそれな……
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 ちよつと頭を掻きて、
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 除り切れんさかい都合が悪いけど、これでざつと四合六勺なんぼといふものやろ、
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 どうじやといはぬばかり手柄顔に、また妻の顔を見て、
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 それな、そこでコーツと一石を十二円の米として、
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とまたぱちぱち算盤と相談、
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 五銭六厘は違はうといふもんじや。ゑらいもんなあ。今は割木がたこ[#「たこ」に傍点]なつてるさかい、これで一束は買へまいけれど、まア一度分の焼《た》きものは、ざつとここから出やうといふもんじや。何となア怖いもんなア。
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 今は自分の得意のみにては飽き足らずや、妻よりも感歎の声を上げさせむと、しきりにその同意を促したれど、これはまたいかなる事ぞ、鬼の女房に鬼神のなり損ねてや。この女房京女には似ず、先刻来の事にはいつさい無頓着にて腮《あご》を襟に埋めたまま何事をか他事を考へゐたり。
 庄太郎はやや不満ならぬにあらねど、元来惚れたる妻なればや、我と我が機嫌をとり直してからからと笑ひ、妻の顔を下より覗くやうにして、
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 アハ……これはまたちと御機嫌を損ねたかな。
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 これには妻も何とかいうてくれさうなものと、しばしためらひゐたりしが、なほもかなたは無言なれば、また重ねかけて、
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 何じやまた怒つたのか、何にもそないな怖い顔せいでもえいがな、お前はとかく私が勘定の話すると気に入らぬけれど、わしばかりの世帯ぢやないがな。この身代がようなれば、やはりお前もええといふもんぢや。――が今のはほんの物の道理をいうて見たのや、何もこれで雑用が減つたか減らぬか、それを月末に勘定してみやうといふではなし、ほんの話をして見ただけの事やさかい、万事その心得で居てさへ貰へばええといふこツちや。
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 自ら詫びるやうな調子になりて、
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 わしも今出て行こうといふ矢先じや。お前の怒つた顔を見て行くのも、あんまりどつとせんさかい、ちと笑ろて見せいな。
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 同時に算盤は、無情にも傍《わき》へ突遣られたり。
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 コーツとなア、その代はり土産は何を買うて来か知らん、二ツ井戸のおこしはお前が好きやけど、○万の蒲鉾はわしも喰べたいさかいな。
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 さも大事件らしくしばし考へ込みしが、庄太郎はポンと手を叩きて、
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 いいわ、負けといてやろ、おこしにして来るさかいな。ひよつと夕飯までに帰らなんだら、少し御飯《ごぜん》を扣《ひか》へて喰べとくがよい、腹のすいてる方がおいしいさかいな。
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 いかなる場合にも、勘定を忘れぬ男なりけり。お糸もかう機嫌を取られてみれば、さすが我が亭主だけに、厭はしき人ながらも気の毒になりて、やうやく重き唇を開き、
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 宜しうござります、何んにも御心配おしやすな、あんたに御心配かけるやうな事はしまへんさかい、安心してゆつくりと行ておいでやす。
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 大張込みにいひたるつもりなれど、そのゆつくりといひしが気にかかりて、庄太郎はむツとした顔付、
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 何じやゆつくりと行て来いといふのか。
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 俄然軟風の天気変はりて、今にも霹靂一声頭上に落ちかからむ気色にて、庄太郎は猜疑の眼輝かせしかど、例の事とて、お糸は早くも推しけむ、につこりと笑ひを作りて、
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 いいえ、なアゆつくりというたのはそりやあなたのお心の事、おからだはどこまでもお早う帰つて貰ひまへんと、私も心配どすさかい。
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 庄太郎はとみに破顔一番せむとしたりしにぞ、白き歯を見せてはならぬところと、わざと渋面、
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 さうなうてはかなはぬ筈ぢや、亭主の留守を喜ぶやうな女房では、末始終が案じられる。それはマアそれでよいが、また何にもいふ事はなかつたかしらん。
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 考へ果てしなき折しも、店の方にて丁稚の長吉、待ちあぐみての大欠伸、
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 旦那はまアいつ大阪へ行かはるのやろ、人を早う早うと起こしといて、今時分までかかてはるのやがな、おつつけ豆腐屋の来る時分やの
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