、悲しい中にも嬉しいに。どふぞ明けずにゐてほしい。とてもよい事、ない筈の、この一生を、一夜さに、縮めてなりとも、継ぎ足して、明けささぬやうしてみたい。これがせめての思ひ出とは、よくよく因果な生まれ定。父様母様許して下され。わしや身分が欲しかつたと。蒲団の裾にしがみ付き、はつと飛退く耳もとに。はやどこやらの汽笛の音。ゑゑ忙《せわ》しない、何ぞいの。横に仆《こ》けても居る事か。よその共寝を起こすがよい。こちや先刻にから坐つたままと。起こしともない、明け鴉。かあいかあいの方様を、かうして去なすが後朝《きぬぎぬ》か。あの汽笛めも、奥様に、似たらば、たんと鳴りおれい。ゑゑ腹が立つ、気が狂ふ。耳まで真似して鳴るからは、この身体にも愛想が尽きた。どうなるものぞと、むしやくしや腹も。さすがいとしい顔見ては、耻しさのみ先立ちて、今まで何も思はぬ振り。そつと起こして見送りし、門辺で澄が捨詞。また嫌はれに来やうぞと、顔を見られて、魂は、ふわり、もぬけの唐衣。きつつ空しく行く人の、さこそは我をつれなしと、思ひたまはむ、お後影。お寒さうなが勿体ない。せめて私もこの寒風《かぜ》にと、恍惚《うつとり》そこに佇みぬ。
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