顔を見上げて、涙ぐむ、気色をそれと見て取つて『ほう、また泣くか、はて困つた。泣くほど嫌なら達ても行くと、いふてみたいの気もすれど。正直な汝を対手《あひて》に、この上|拗《すね》るも罪であろ。乃公から折れて頼むとしやう。さあさあ頼んだ、どこでもよい。そこが否なら、この隅へ、ころりと丸寝をするとしやう。蒲団を一枚貸してくれ、栄耀な事はいふまい』と。はやとろとろと夢心地『それではお風邪召しまする。私はたつた一夜の事、寝ませいでも大事ない』『失礼ながら』と小夜蒲団『さうさう掛けては、汝がなからふ。なに外にまだあるといふか。それならばよし、よい心地。明朝は未明に起こしてくれ。人眼に掛からば、つまらぬ事、疑はれまいものでもない。これでとやかく思はれては、鴉に阿呆と笑はれる。鴉が笑はぬその隙に、せめて、夢なと見やうか』と。何やら足らぬ薄蒲団、身に引纒ひ、すやすやと、寝入らせたまふかおいとしや。せめて来世は、主従の、隔てを取つて、一日でも、かうしてお傍に居てみたい。どふやら、ひよんな胸騒ぎ。また奥様のお肝癪。変はつた事がなければよい。明日の事が気にかかる。どうなる事ぞと、吐く息も、身体も氷るこの夜半が
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