意趣晴し、ある事ない事告げ口して。怒らしたものならむと、瞬く隙に見て取つて。もうこの上は詮方がない。弁解《いひわけ》しても無益《むだ》な事。それよりは、ここ一寸を遁れての、分別が肝要と。思案を極めて、調子を替え『あい、それで合点がゆきました。いひたい事は、たんとあれど。証拠のない事いふたとて、よもやうむとはいはんすまい。なるほど私が悪かつた。悪かつたとしておきまする。そこでお前はどうあつても、深井の旦那を殺す気かえ』『殺さいでどうするものか。今夜は昼から、お前の家に、遊んでゐるといふ事まで、己れはちやんと知つてるよ』『なるほどさうでござんせう。それなら私もお前に相談。手引をさせておくれかえ』『へんそんなお安直《やす》い手引なら、こちらからお断りだ。手引が何だか恠しいもんだ』と。いふ顔じつと、照る月に、雪より白い顔見せて。解けた眼もとに、男の膝。我からわざと身を寄せて『疑ひ深いは女子の性男子がさうではなるまいぞえ。かうして二人が居るところを、人が見たらば、真実《まこと》の恋か、虚偽《うそ》の恋かが知れやうに。お前がそれでは曲がない。元木に勝る、うら木なしと、世間でいふのは、ありや嘘かえ。お前は知つてでござんすまい。そりやもう私が別れてから、よい慰みが出来たであろ。たまたま逢ふた、この私を、斬るの、はつるといふてじやもの。それが分らふ筈がない。さあ斬らんせ、殺して下され。おおかたどこぞの可愛い人に、去つた女房の私でも。生かしておいたら、何ぞの拍子。邪魔になるまいものでもないと、いはれさんした心中立に、私を斬るのでござんせう。さうならさうと有り体に、いふてくれたらよいものを。私にばかり難僻付けて。手引をしやうといふものを。まだ疑ふてならぬといふ、お前は鬼か蛇でござんしよ。さうと知つても、この私は、顔見りや、やつぱり憎うはない、こんな心になつたのも、思へば天の罰であろ。さあ斬つて下され、殺して下され。罰が当つて死ぬると思へば、これで成仏出来まする』南無阿弥陀仏と合はす掌《て》の、嘘か真実を試さむと。やつと声掛け、斬る真似しても。びくとも動かぬその身体は。お門違ひの義理の枷、なつても、ならぬ恋ゆゑに、身を捨鉢の破れてゆく、覚悟としらぬ助三が『心底見えた』と、手を取つて、頼む、喜ぶ顔見ては。さすが欺すも気の毒ながら、いづれ私も死にますると、心の詫びがさす素振。虚偽《うそ》では出
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