し。どの道、危険《あぶな》げ無い事ならと。念を押したる分れ道。見返りがちにゆく影を。ほつと見送る、安心の、刹那を破る大欠伸『いつまで己れを待たすんだ。早くこつちへ来ないか』と。引張りかかるに『何じやぞえ。私が逃げるものではなし。往来中での大声は、ちと嗜んで貰ひましよ。私に話はない筈ながら、あるといはんす事ならば、詮方がないゆゑ行きまする。人通りのない処で、尋常《じみち》に話すが好ござんせう』と。いふはもとより望むところと『それは天晴れよい覚悟だ。それではそこの公園の、中へ這入つて話すとしやう。さあ歩行た』と、お園を先に、逃がすまいの顔付き鋭く。ちよつと背後を振向いても、ぐつと睨むに、怖気は立てど。心は冴えた、冬の夜の、月には障る隈もなき、木立の下を行き見れば。池の汀のむら蘆も、霜枯れはてて、しよんぼりと。二人が立つた影ぼしの、外には風の音もなし『おいここだ』と助三は、傍の床几に、腰かけて『こりやお園、手前はよく己れの顔へ、泥を塗つてくれたなあ。一体ならば、重ねておいて四つにすると、いふが天下の作法だが。そこは久しい馴染《なじみ》だけ、手前の方は許してやる。その代はりにやあこれから直ぐに、男を殺す手引きをしろ。さうして首尾よく仕遂げたうへは、一緒に高飛びして。どこのいづくの果てででも、もとの夫婦にならなきやならんぞ。それがいやなら、いやといへ。ここで立派に殺してやる。手前を殺したその刃物で、直ぐに男を殺したら、重ねておいて殺すも同様。どの道今夜は埓明ける。さあ死にたいか、生きたいか、返答せい』と、威しの出刃、右手《めて》にかざして、詰め掛くるに。不審ながらも、ぎよつとして『男とは何の事。事情《わけ》をいはんせ、分らぬ事に、返事のしやうもないではないか』『へん、盗人たけだけしい。分らぬとはよくいつた。手前の腹に聞いて見ろ』『さあそれを知つてゐる位なら、何のお前に聞きませう。男呼ばはり合点が行かぬ。私はお前の女房じやないぞえ』と。いはれて、くわつと急き込みながら『なるほど今は女房じやない。離縁《さつ》たのは覚えてゐる。が己れが離縁《さ》らないその内から、密通《くつつ》いてゐた男があらふ』『やあ何をいはんすやら。そんな事があるかないかは、お前も知つての筈ではないか。今になつてそんな事。誰ぞに何とかいはれたかえ』『知れた事だ。天にや眼もある、鼻もある。誰が何といはねえでも、曲
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