いました。親猿が、その有様を見ておりまして、さも悲しげな声で、なきさけび、半四郎師匠を、きっと、にらみつけた、あの凄い目に、傍にいた私どもは、思わず、震い上ったほどでございました。その芝居小屋は、その後、はやらなくなりまして、なくなりました。あの猿がうらんでいるのかも知れませぬが、座主も、座主でございます。ああした小屋も、もとより水商売、そうしますれば、お茶屋や、料理やで、お猿は、去る[#「去る」に傍点]に通じると云いまして、げんを祝い、お稽古ごとにも「外記猿《げきざる》」とか「うつぼ猿」さては、俗に「猿舞」と申します「三升猿曲舞《しかくばしらさるのくせまい》」というように、猿のついたものは、習わないほどでございますのに、あの小屋の座主はまた、何と考えて、ああしたお猿を、小屋の庭先きに飼っていらっしたのか、と今でも不審に思うのでございます」
と、こんなことを申されたことがございました。私は、このようなとき、
「そうしたお方の三味線をお弾きになるのはいやなことでございましょう。しかし、それにいたしましても、心の中で、お師匠さんが、そんなに思っていらっしゃいますのに、どうして、踊と三味線
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