しております親爺の方にまで、色々なお尋ねがあったそうでございまして、次に記しますのがその陳述であったのだそうでございます。
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「あの、河原崎座の小屋は、御存じの通り猿若町《さるわかちょう》の表通りにございまして、裏は細い通りになっております。――つまり、猿若町の裏通と、夜ともなれば絃歌さんざめく囃子町《はやしちょう》の裏通とが、背を合している、人通も、あまりない程な、細い裏道なのでございます。この裏筋に面した側には、小屋の出入口が二つあるのでございまして、ひとつはお客さま用の非常口――しかし、これは、いつも、かたく閉されております。も一つの方が、楽屋への入口でございまして、このはいり[#「はいり」に傍点]口に、冬の寒い日であれば、火鉢におこした炭火で、また火をいたしながら、私が番をいたしているのでございます。……それは、一座の入れかわりました初日なぞ、はたして、この方が、こん度、お芝居をなされる役者の方であろうか――お囃子のご連中であろうか――と、首を傾げるようなことがございます。しかし、そこは、永年、こうした、入口の番人でお給金をいただいている私でございます。たとえ
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